第4話

「殺す。


 そうするしかないから」








 「おお! 成功だ!」


 平田は、満足そうな声をあげた。


 「スカイウォーカー一号機と名づけよう!」


 川原で平田はのんびり、自作した凧をあげていた。


 仕事もしないで作り上げた、平田自慢の凧である。


 飛行機の構造も取り入れた苦心の作は、空に吸い込まれるように上がっていた。


 「スカイウォーカー?」


 トシが紫外線カットのフィルムがはられたバイザー越しに、空を見上げる。


 もう結構なお年頃だから、紫外線対策は絶対なのだ。


野外ではちゃんとバイザー、もしくは帽子を被る。


 羽織ったジャージもしっかり、長袖だ。


 「そうだ。あの名作、スターウォーズからだ。トシちゃん知らない?」


 「知りません」


 「トシちゃん、映画くらい見ないとね……」


 ため息をつく平田を無視して、トシははるかの様子をうかがった。


 


 はるかは、石を投げていた。


 トシが「ここに届くまで」という印を置いた場所にまで、全く石は届く気配もなかった。


 「……難しいですね」


 心配そうにトシは言う。


 「ああ。でも、やるしかないわけよ。やらなきゃ死ぬし……てか、どこまで上がるんだ、この凧! 怖くなってきたぞ!」


 平田は本気で怯えた声を出した。


   

 

 大気圏に突入する……等と、言い始めた平田を置き去りにして、トシははるかのもとに行く。 


 「それはもういいわ。じゃあ、走りなさい。昨日よりも速く走ること!」


 トシははるかに声をかけた。


 はるかは、石を最後にもう一度投げ、トシの言葉に頷き川原を走り出した。


 石を投げ、穴をほり、走る。


 この一週間、それだけをしてきた。


「とにかく、体力が最低限はないと」


 トシは言った。


 本ばかり読んでいた少女は、あまりにもか弱すぎた。


 四ヶ月しかないのだが、何かを教えるレベルですらないはるかの身体を、まず鍛えることをトシは選んだ。


 「必死なんだけどね……」


 トシはため息をつく 


 はるかの必死さは伝わってきた。


 身体はとっくに限界だろう。


 手も、足も、マメが潰れて血まみれだろう。


 だけど、顔には出さない。


 頷くことしかしないのは、もう声すらでないからだ。


 「ご飯も食べられなくなっているしね……」


 限界が近い。


 だけど、この程度ではダメなのだ。


 部活や稽古のしごきとはわけが違うのだ。


 トシはため息をつく。


 「でも、やらなきゃ死ぬのはあの子。死んでも、お金は貰えるけど」


 いい子だもの、そうなったら後味悪いわよね……。


 トシがつぶやいた。


 「……それだけか? 相変わらず冷酷な女だな」


 面白そうな声がトシの側でした。


    

 トシは驚きもしない。


 気配を感じさせずトシの側に立てる人間は、そんなにはいない。


 「何の用?」


 冷たくトシは、言い放つ。


 「冷たいな。久しぶりだというのに」


 残念そうに男は言った。


 だが、目は笑っている。


 大きな男だ。


 小柄なトシの隣ではなおさらでかい。


 プロレスラーだと言われても驚かないだろう。


腕まわりも、胸まわりも、全てがでかい。


 ただ、プロレスラーはこんなにしなやかに動きはしない。


 「二度と会いたくなかった。むしろ」


 トシの柔らかな顔立ちが、冷ややかな拒絶を浮かべる。 


 こんな顔も出来るのだと、トシを知る誰もが思うほどの冷たさだ。


 「そう言うなよ」


 ちょっと苦笑して、男はトシの顔を覗き込む。


 少し、少し男の目に切なさにも似た苦さが浮かんだようにも見えた。


 「あなたが意味もなく、ここにいるとは思わない」


 トシは測るような目で男を見る。


 「どうせ、私達の敵方にいるんでしょ」


 トシの言葉に、男は困ったように頭をかいた。


 「そういう言い方は、好きじゃないな。クライアントが敵対しているのは事実だが、オレは、お前の敵だったことは一度もないよ?」


 言い終わる前に、男のあご先に蹴りがかすめた。


 トシが放った蹴りだった。


「おっ?」


 男は寸前で避けたが、顎先をほんの少しかすめた蹴りは、男の脳を揺らし、瞬間、姿勢がぐらついた。


 地面に膝をつく形になった男の脳天に、トシの踵が振り下ろされた。


 男はその足をつかんで攻撃を止めた。


 トシは、片足を男につかまれる状態となった。


 逃げることも、攻撃することもできない状態、と思われたトシだが、顔色一つ変えず、捕まれている足を支点にして、捕まれていない方の足で男のあご先を蹴り上げようとした。


 男は慌てて手を離し、蹴りをよけた。


 ふわり、トシは宙を回り、優雅に着地した。


 「やっぱり敵じゃない!」


 トシが怒鳴った。


 「頼むから、言葉で伝える努力を先にしてくれないか……びっくりするだろ。オレじゃなかったら、死んでたぞ」


 男はため息をつく。


 「で、なんの用なの?」


 トシは、男と適切な距離をおきながら(相手の間合いから外れた距離だ)、尋ねた。


 「……いい子じゃないか。みすみす殺す気か?」


 トシと男のバトルに気付かず、朦朧と走り続けるはるかを、男は見ながら言った。


 「こちらにおしつけといて良く言うわね、どうせ、金額が足りなかったんでしょ」

 

  「当たり前だ。可愛い女の子に人を殺させるなんて、相当な金額じゃなきゃ引き受けられるか」


 「相当な金額だったら引き受けるんでしょ!」


 「そりゃ、仕事だからな――おっと蹴りは無しだ」


 トシの行動を見越して、男が制する。


 「……で、何?」


 「ビジネスだよ。ビジネス。交渉に来た。オレのクライアントは、あのお嬢ちゃんを諦めさせ、仇討ちを実行させなければ、お嬢ちゃんが支払う金額の三倍は払うと言っている。もちろんお嬢ちゃんのこれからの人生に必要な金もだ。バカ息子が、母だけでなく娘まで殺したら、さすがに外聞が悪いらしい」


 「ふざけないで。仇討ちをもう申請したの。実行しなかったら、ソイツ、お咎めなしで自由の身じゃない。なにが悲しくて、わざわざ憎い相手を自由にするバカがいるの?」


 「でも、このままじゃ、なぶり殺されるのは、あのお嬢ちゃんだ。正直、なんとかなるとは思えない」


 「……そうね。あの子だってそれは分かっているはず。でも、あの子はその申し出を受けないわ」


 「でも、本人に交渉ぐらいしたって良いだろ? お前にそこまでの権限はないはずだ」


 男はトシの顔を楽しげに見つめ、言った。


見つめること自体が楽しいと言ったように、見つめながら。


 トシは怒ったように顔をそむけたが、はるかに向かって大声で呼びかけた。


 「はるか! 休憩よ! こっちに来なさい!」


 ふらふらと、やってきたはるかを見て、男は小さくため息をついた。


 ただでさえ痩せていた身体がさらに痩せ、疲労が、目の下にクマをつくっていた。


 「ボロボロじゃないか……」


 トシに聞こえるように、言ったのだろう。


 だけど、その声に含まれる心配気な調子には、ウソはないようだった。


 「……あ、おじさん……」


 はるかは男を見て呟いた。


 くすくす、意地悪くトシが笑った。


 「……おじさん……まぁ、君から見れば、そうだろうな」


 憮然として、男は言ったがにやりとトシを見て笑った。


 「まぁいい、トシの笑顔を見ることができたし」


 男の言葉に、トシの笑顔が消えた。


 それを見て、さらに男の笑顔が大きくなる。


 トシの反応が楽しくて仕方ないらしい。


 男ははるかを地面に座らせ、自分も隣に腰掛けた。


そして優しく話しかけた。


 「はるか君、どうしても仇討ちをするのかい?」


 「お、久しぶりだねぇ、デカイの!」


 男の言葉を遮るように、平田の声がした。


 「……平田さん、いつからそこに


凧を手に、いつのまにかそこにいた平田に対し、少し嫌そうに男は言った。


 「お前がトシに蹴られているところから。面白かったよ」


 けろりと平田が言った。


 「そうですか」


 男は投げやりに言った。


 どうやら、あまり平田は得意じゃないようである。


 「はるか君、考え直さないか」


 男は言った。


 「考え直す……?」


 はるかは不思議そうにくりかえした。


 「そう、このままだったら、君は殺される。仇討ちを止めるんだ。ママだけじゃなく、君まで、あの男に殺されてやる必要はないだろう? 考えてごらん、ママを殺し、君を殺し、あの男は自由になるだけだ。それでいいのかい?」


 男は優しく話しかける。


 はるかはじっと、男を痛いくらいにみつめていた。


 男は続ける。


 「君の気持ちは分かる。あの男が憎い。分かる。だけど、殺されてやってもいいのかい?アイツは平気で君を殺すよ」


 男は少し顔をしかめた。


 春岡。


 はるかの仇。


 男の雇い主。(正しくは春岡の両親だが)


 男の春岡に対する感想は「糞」、である。


 役に立たない上に害悪であり、おまけに不快だ。


 弱さと甘えに腐らせた魂を、綺麗な肉体や、優しげな物腰や、優秀な頭脳、鍛えた体で隠している。


 仇討ちが申請され釈放となった春岡を、弁護士と共に、男は迎えに行ったのだ。


男に事情を説明された春岡は、驚いた顔をしてみせた。



 「はるかちゃんが、仇討ち……」


 春岡は驚いたようにつぶやいた。


「……ボクを恨んでいるのだろうな」


 春岡は切なげにため息をついた。


 当たり前だろう、と男は思ったが顔には出さない。


 「……どうされるんですか」


 聞いてみたのは興味本位だった。


 何かを春岡に期待していたわけではない。


 「どうって……」


 春岡はその質問にびっくりしたようだった。


 決まりきったことだろう、そう言う風に春岡は答えた。


 「はるかちゃんを殺すよ。そうするしか、ないじゃない」


 その後で、悲しげな顔で、色々綺麗なことを言ってはいたが、(愛していただとか、もう少し自分のことを理解してくれれば、こんな結果にはならなかったとか)男は聞くのをやめた。


 くだらなかったからだ。


 


 「みすみす殺されてやるつもりか? アイツは何とも思わない。君を虫でも殺すかのように殺す。自分が、一番可愛いからだ。人の命よりも何よりも、自分が一番、他の人間は自分のため以外には存在していない、と思っているからだ」


 説得するためではなく、ただ単なる真実を男ははるかに告げる。


 はるかはじっと男の目を見つめ、身じろぎもせずに聞いていた。



 「これは取引だ。金では君が動かないことを、オレは知っている。君がどれだけ真剣なのかも。だけど、君の命までくれてやる必要はないだろう?」


 はるかの薄い茶色の目を男は見つめる。


 これは、男の本心。


もちろん、はるかを説得することによって貰える礼金も大切だ。


 「トシさんや、平田さんを紹介してくれたのに、そんなことを言うの?」


 はるかは首を傾げる。


 「そりゃ、そうした方が、礼金があがるじゃないか」


 男はしれっと言った。


 「何! そのためだけにウチを紹介したの!」


 「なるほどな」


トシがぶち切れ、平田が感心した。


 「あなたはお金で動くの?」


 はるかは首をかしげ尋ねた。


 「否定はしないね。ただ、お金は大事だとは思っているよ。それで全てが買えるとは思っていないけどね。君がアイツを殺せる可能性は低く、君がアイツに殺される可能性は高い。だからこそ取引だ」


 男はタバコを取り出し、火をつけた。


 嫌煙派のトシが嫌な顔をした。


 「……どれくらいの障害なら、なんとか納得出来る? 片腕? 片足? それ位ならオレがもぎ取ってやる。生きたままで、最大の恐怖と共に。何、相手さんも、バカ息子に嫌気がさしているんだ。さすがに命までは、情があるからとるわけにはいかないが、それくらいの罰は向こうさんも、構わないと言っている」


 男は表情一つ変えずに言ってのけ、煙を吐き出した。


 


 「そこまで絵を書いていたのか。相変わらず、たいしたもんだ」


 平田は感心した。


 男の頭の中にはここまでの計算があったのだろう。


 はるかを平田達のもとに連れて行き、仇討ちを申請させる。

 同時に、春岡の方とも交渉し、はるかの代わりに復讐もし、謝礼をも貰う。


 「悪い話じゃないはずだ。そりゃ、殺したいだろうが、裁判の結果や、はるか君自らが、仇討ちすることと比べたら、最善の策じゃないか? 平田事務所も、この話から手を引くことで金が入る」


 ちらりと、平田に目をやり窺うように男は言った。


やはり、平田が苦手なようだ。


 「なぁ、トシ。お前だって、はるか君が殺される所を、本気で見たいわけじゃないだろ」


 男に言われて、トシは何も言い返さない。


 「オレはオマエの案でも、かまわんよ。全然、働かなくても金が入るなんてありがたい」


 平田は言った。


 「働いているのは私です」


 トシがそこは素早く突っ込んだ。


 「だけどな、坊主」


 平田は手にした凧をもて遊びながら、男を、坊主呼ばわりした。


    

 「頭もキレるし、腕っ節も度胸もあるよ、オマエ。なかなか大したもんだ。そうすりゃ、誰もかもが、上手くいく。腕をちぎられた春岡からも下手すりゃ感謝されるかもしれん。ああ言う連中は、万が一でも自分が死ぬなんて考えたくもないからな。だけど、オマエ分かってないよ。オマエはまだ、人間が分かってないね」


 平田ははるかの方を向いた。


 「人間ってのは、オマエが考えているより、バカで、どうしようもないもんなんだよ。なぁ、はるかちゃん。どうする?」


 平田ははるかに問いかける。


 はるかは男に向けていた目を、平田へと向けた。


 そして、はっきりと答えた。


 「私、仇討ち、自分でします。だって、おじさんのお話は分かったけれど、それじゃダメなの。そんな話じゃ、ママは喜ばない。そんな話キライだもの」


 これはママのための物語なのだ。


 ママにいつか書いてあげるはずだったはずの。


 文字ではなく、はるかがはるか自身を文字にして書いていく物語なのだ。


 「損とか得とか、上手くやろうとか、計画とかそういうのはママ嫌いだったもの。『小さい』って」


 はるかの言葉に男は絶句し、平田は爆笑し、トシは唖然とした。


 「はるかちゃんにかかったら、オマエも『小さい』呼ばわりだぜ!」


 「……別にオジサンのことじゃないの」


 追い討ちをかける平田、慌てて否定するはるか。


 苦く男は笑った。


 「話が落ちないって理由で、交渉を断られたのは、初めてですよ。平田さん。確かにオレはまだまだ人間が分かっていなかったようだ」


 男ははるかにもう一度だけ尋ねた。


 それは奇しくも春岡に尋ねた問いと同じだった。

「それで、どうするんだい」



 はるかは真剣に答えた






 「殺す。


 そうするしかないから」


 そしてまた、はるかの答えも、春岡の答えと同じだった。





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