第八話 いばらの森の獣たち(中)
目玉焼きと納豆、野沢菜の漬物は料理のうちに入らない。ただ一日もつように豚汁を作った。
遥来が大学に向かった後、岡谷は片付けなければいけない案件があるといので例の調査は一旦ストップし、俺はジュリと交流を深めるよう言い渡されていたのだが、新顔の俺を小さな白い獣は完全に格下と見なしているようで無視された。
手持無沙汰で岡谷の背後をうろついていたら、手は離せないようだったが岡谷が気を利かせてデスクを一台貸してくれることになった。
「ちょっとは世間の闇をお勉強しなさい」
そう言うと、岡谷は俺の頭を雑に撫でた。髪を直しながらブラウザを弄る。犯罪、事件、など検索してみると、おどろおどろしい件名が雪崩のようにヒットして早くも寒気を覚えた。怪談、噂なども検索してみる。曖昧なワードした思いつかないためか、情報量の多さに圧倒されるだけで小一時間が過ぎていた。
ミハルスの検索をすると、掲示板で俺と思われる人物の事を扱った書き込みを見つけた。仁之様しゃべってた、教祖チャラい等、昨日の動画の事だろう。そっくりさん。にしては似すぎ。一億とかw。見ている人は見ているようだ。
昼はあさりの炊き込みご飯と、蓮根の梅和え、作ってあった豚汁、デザートにあまなつを切った。
岡谷は本当に忙しいようで、まともな口調で何本か電話もかけている。
俺は遥来の名前を検索にかけた。昨夜、河上から変な脅しを受けて気になっていたのだ。もちろん信じ難い。だが一年誰からも声をかけられないという徹底した嫌われ方は、何か原因があるように思う。殺人の汚名を着せられるほどの何が遥来にあるのか気になった。
「……?」
意外にも数件のヒットがあった。本人か少なくとも同姓同名の人物が事件に巻き込まれた事があるようだ。
十年偽装連続殺人事件という見出しに、一瞬戸惑う。名称に曖昧さを感じたというのもあるが、十年というのが引っかかった。十年も要するなら、いったい遥来が何歳のとき事件が起きたというのか。
サイト自体は未解決事件を扱う闇サイトらしかった。記事を読み進めるうちに、俺は息をするのも忘れのめり込んでいった。それは俺の記憶にも残っている印象深い殺人事件だったからだ。
最初のニュースを見た時、俺は中学生二年生だった。トラック運転手を高校一年生の男子生徒が刺殺したという事件。記事にはトラック運転手の男の名を<
そして無罪判決のあと、更に報道が過熱した。記事に詳細が書いてある。まず殺されたのは<海崎衛>ではなかった。<海崎衛>を名乗る<
「……」
見ていたのはいつも<元少年>の文字。この<元少年>が、あの遥来だというのか。<小井出遥来>は犯人グループ逃亡の際に切り捨てられ、重症を負い医療刑務所に収監されたと書いてある。ニュースでは<元少年>が意識不明の重体、という情報までだったと記憶している。
そして三人はそれぞれ海崎衛─<
新しい名前と人生を与えられた三人が、成人し、新たに少年を巻き込んで殺人事件を起こした。十年による偽装と連続殺人、という意味で十年偽装連続殺人事件らしい。記事の末尾に<風間總臣>には氏名変更の手続きを担当した弁護士への殺害容疑もかけられているとある。
「……」
重大事件として連日放送されていた。最初の時も、無罪判決の時も、そして真相が明らかになり犯人が逃亡した時も。あの大事件に関わった、俺とそう変わらない歳の<元少年>が、あの遥来。
「……」
同姓同名という事もありうる。どう噂が伝わったのかが不明にせよ、河上は知っていた。だが記事を見る限り、この<小井出遥来>が殺人犯ではない事は確かだ。事実が湾曲して、尾ひれをつけて、名前が同じだけの赤の他人かもしれないのに、遥来は汚名を被せられている。
嫌われているのではない。村八分だ。
「酷い」
「ほんとだよ」
「!」
背後から声がかかり、椅子から転げ落ちそうになる。
体を支え振り向くと、肩にジュリを乗せた遥来が立っていた。陰のある淀んだ目で俺を見降ろし、指でジュリと戯れながら一歩ずつ近づいてくる。そして座っている俺を囲うように手をついて、モニターを覗き込んだ。
息が、うまくできない。
「結構詳しく書いてあるんだよね。どこで洩れるんだろ」
「なにぃ?」
岡谷が声だけ割り込んでくる。
あの事件、と遥来は返した。
「え、メェちゃんそれ調べてたの?」
「誰か僕の事チクったのかも」
「いやぁ、俺が昨夜脅かしちゃったせいかもしれない」
「岡谷さんなに言ったの」
「俺と遥来がミハルス信者でメェちゃん殺そうとしてるかもしれないって考えた事ないのかなって訊いた」
「馬鹿じゃないの?」
遥来の声が恐ろしく冷たい。
俺は河上の名は伏せた上で、友人から遥来のよからぬ噂を聞いたので事実無根だと確かめるために検索した旨をなんとか説明した。
「事実だよ」
「えっ」
「ほぼ事実」
遥来からジュリがデスクに飛び降り、ちらりと俺を見あげる。そして走り去っていった。背後から凄まじい威圧感が覆い被さってくる。ジュリ……傍に、いてほしかった。
「信じるか信じないかはあなた次第だけど、僕は誰も殺してないよ。今も大学生やってるし。ついでを言うと、僕が助けてもらったから、誰か困っている人を助けたくてここでバイトしてる。岡谷さんが僕の恩人」
遥来が離れた。恐る恐る椅子を回すと、腕組みをした姿勢で、遥来がスカーフの端を摘まんでいた。するするとほどけていくスカーフを固唾を呑んで見つめていると、薄い布に隠された部分、遥来の首に痛々しい傷跡が現れた。
「見て。風間に斬られた」
「……」
言葉にできない。
「僕の事を命をかけて助けてくれた人たちが、あなたの事も命をかけて助けてくれる。それだけは信じてよ」
「ごめんねぇ~」
淡々と語った遥来に、岡谷が呑気な声を被せてくる。
俺は頭での処理には支障が出ていたが、目の前にある遥来の傷ついた体と、遥来の言葉は信じた。疑う余地がなかったのだ。
咄嗟に口に出る。
「痛むか?」
遥来は目をぱちっと開き、明るい笑みを浮かべた。
「たまにね。つっぱるよ。冬は特に」
「そうか」
「へぇ、心配してくれるんだ。優しいね」
心配というか、痛々しくて胸が苦しくなる。
体の傷が癒え切っていないのは見てわかるが、その心の傷はどれだけ深いか。計り知れない。そして、気休めなんて通用しない、大きな傷だろう。
ジュリが戻ってきた。遥来の手から足元に垂れるスカーフへと攻撃を仕掛ける。遥来は嬉しそうに笑ってスカーフでジュリと遊び始めた。
「前にね、別の猫がいたんだよ。てる美っていうの。てる美が逃げちゃって、雨の日でさ、てる美を避けようとして事故っちゃった人がいたの。その人が刑事で、僕をずっと信じてくれたんだ」
そう話す遥来の目はいつも以上にきらきらと輝いて、その信頼や嬉しさが伝わってくるようで目頭が熱くなる。
壮絶な人生だったのは明らかだ。でも、遥来には支えてくれる人たちがいた。かつてニュースで見ていただけの不遇な人物が、今確かに笑っている。それは完璧な奇跡に思えた。
遥来はさっき、人たちと言った。岡谷やその刑事以外にもきっと多くの人が関わっているのだろう。
「だから俺たちミハルスじゃないんだよ。安心してぇー」
どうしてぶち壊すテンションで来るのか。岡谷は。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます