第七話  いばらの森の獣たち(前)


 帰るなりジュリを纏わりつかせ遥来は俺をからかった。


「あなた人気者なんだね。僕、一年ぶりくらいに声かけられたよ」


 どれだけ嫌われ者なんだ、おまえは。

 早速ジュリと二人の世界にトリップした遥来を見遣り岡谷が声をかけた。


「ねぇ、ミハルスって知ってる?」

「なにそれケーキ屋さん?」


 そうだったらどんなにいいか。

 動画の配信を三回で止め、岡谷はミハルスについて調べ始めた。俺もスマホで検索したが、カスタネットの正式名称だという情報しか得られなかった。だが岡谷の検索範囲は俺が触れる世界のずっと奥へ、そして裏側まで広がっているようだ。


「違うんだなぁ。新手の新興宗教。びぃっくり」


 これほどまでにまったり驚く人間、初めて見た。

 ダークウェブという単語を聞いた事はあったが、そんな危ないものには触りたくないと思っていた。ミハルスはそういった、一般人が普通に暮らしている限りでは触れられない場所で情報を公開していた。

 岡谷がサイトを開く。

 画面一杯、高原に光が射し、掌が白い靄を掬い上げる。


「……『本当の貴方を空高く奏でよう。打ち鳴らせ命の音、響き合う魂を』まぁ謳い文句は陳腐と言うか、どこにでもありそうな怪しい感じ」


 言って遥来はジュリの頭を口に含んだ。凄い愛情表現だ。小さなジュリの手が高速パンチを繰り出している。

 岡谷がカーソルを動かしページを移動した。そこには教祖を含む教団幹部の写真が掲載されていた。


「ふぇっ!」


 遥来がジュリを吐き出す。ジュリは飛んで逃げた。

 

「日辻君じゃん!」

「教祖の宝珠院仁之君。二十一歳」

「日辻君なにやってんの!」


 白い衣装に身を包んだ若い男を見る度、恐ろしくて吐き気がする。


「ちなみに我らがメェちゃんは二十歳だそうだよ」

「はぁっ?」

「もう顔認証かけた。頬骨と歯の形が全然違うから別人」

「じゃあ他人の空似って事?」


 それにしては鏡を見ているようで、気味が悪い。

 遥来はデスクに手をつきモニターを凝視してから再び俺を睨んだ。


「よかったね、まともな服の趣味で」


 おまえに言われたくない。今日だってカンカン照りの夏日というのに、相変わらずスカーフを巻いている上、デニムは赤だ。赤だぞ。

 岡谷が幹部の顔を順に別窓で表示していく。


「不思議、不思議。こんな教祖ちゃまにいい大人がごっそりついて。ねえ」


 俺に振らないでほしい。

 遥来がわずかに考え込み、真面目な顔を向けた。


「日辻君さ、この教祖だと思われてるって事ない?」

「え?」


 どういう事だ?


「いやね、僕本当に友達いないのよ。でも今日、お昼に声かけられて、昨日日辻君といた事とか一緒に帰った事とかすごく聞かれて」

「俺あんまり休まないから。心配してくれたんだと思うけど」

「三十八人だよ」


 一瞬、なにを言われたかわからなかった。だがそれが、遥来に俺の安否を尋ねた学生の数だと気づいた時、さすがに違和感を覚えた。


「言っとくけど、多いなって思って数え始めてからの数だから。実際は先生入れて五十人近くだと思う」

「スターじゃ~ん」


 岡谷が楽しそうに合いの手を挟む。

 さすがにすぐ思い浮かぶのはせいぜい……


「あ、数えてる」

「とりあえず、昨日焼肉食って下痢しちゃったって言ってあるけど」


 軽い調子の岡谷と、顔に似合わずえげつない言動が続く遥来に妙なプレッシャーを感じながら普段つるむ仲間を一人ずつ頭の中で数えた。普段よく一緒に過ごす仲間は八人、たまに加わるのが六人。それ以外は、サークルやらバーベキューやらでイベントがあれば一緒に楽しむ友達で、あとは知り合い程度だ。知り合いの数ならもっと多いが、たった一日休んだだけで安否確認してくれる人数としては、さすがに腑に落ちない。


「多いの? 少ないの?」


 長い脚を組んで頬杖をつき、指先にジュリの尻尾を絡めながら訊ねてくる岡谷は、少し笑っているように見えた。


「多いと思います」

「だから教祖様と間違われてるんじゃないかって言ったの。聞いてた?」


 遥来は、気が強い。

 岡谷が助け舟を出してくれた。


「それはメェちゃんに聞いてもねー」

「いや、でも」

 

 俺はスマホを確認して、疑問を口に出してみる。


「それだけ聞いてくれたとしても、俺に直接ってのはないんで」

「だから、教祖様だと思ってるからお友達にはなれないんじゃないの? ねえ、僕の話ちゃんと理解してる?」

「いじめないのおー。いけっ、ジュリZ!」


 猫じゃらし風の玩具をモニターの後ろから出し、岡谷が遥来へ投げてジュリを仕向ける。忽ちだらしなく顔を崩して遥来はジュリと世界へ入った。

 岡谷が目で促してくる。モニターには草原に建つ教団の施設と、白い服を着た大勢の信者が映し出されている


「ただまぁ、十中八九これでミハルス行きの一億だったって事でしょう」

「似てるから、俺のところに……?」

「それ以外ないと思うけどなぁ。日辻君が何か隠してなければ」


 隠してない。隠していないと思う。

 そりゃ昨日の今日、会ったばかりでまともな自己紹介さえしていないのだ。俺も自分の事は話していないし、岡谷や遥来の事も、この二日間で知り得た事以外なにも知らない。それは互いに、隠し事をしている事にはならないはずだ。


「え、じゃあ池端と栗生もミハルスの信者だったって事?」

「そぉーこまではどうだろ」


 遥来が新しい名前に反応し、岡谷が説明を始めた。

 俺はスマホで仲間内から連絡が来ていないか改めて確認する。やはり誰からも何も連絡は届いていなかった。それもそれで、寂しい気もする。


「遥来もよく注意してよ。メェ様に群がる野獣を撃退してもらわないと」

「野獣っていうかキ●ガイでしょ」

「ヤバさは同じぃ~」


 始終愉快そうな岡谷も充分ヤバいと思うのは俺だけか?

 夕食にトマトソースパスタとスープを作り、九時頃ホテルに向かった。途中で遥来とジュリを下ろし、停めたついでと現金一万円を渡され目が点になる。


「バイト代。よく考えたら、もう日給一万円でいいよね」

「時給千円って決まったじゃないですか」


 できれば札一枚だって見たくない心境だ。だが至れり尽くせり匿われて、不自由なく過ごしているのは岡谷のおかげというのもわかっていた。


「だとしても今日は九千円でしょ。チップよ」

「六千円です」

「真面目だなぁ~」


 俺の膝の上に一万円札を置いて岡谷が車を出した。

 この件についてあれこれ話し合うのはやめて心を整えよう。使わなければいいだけだ。付箋アプリを使って、メニューと所要時間と時給千円の計算を記録しておいて、あとでまとめて返せばいい。

 気が重くなった。

 いつまで続くだろうか。

 料理は好きだから作るのも食べてもらうのも遣り甲斐がある。ただしこの状況は何ら嬉しくない。


「日辻君は、……フフフ」


 急に笑い出した。


「な、なんすか」


 恐る恐る尋ねる。するといやらしい流し目で岡谷は一瞥をくれる。

 なんだ。ぞっとするのだが。


「真面目を通り越して、馬鹿なんだねぇ」

「……」


 言ったきり前方を向いて運転を続けている。その口元が相変わらず笑っていた。だが細められた目元にいつもと違う鋭い色が漂っていて、じんわりと怖気づく。こちらには引け目がある。軽い気持ちで犯罪まがいのメールに返信してしまい、怪しい金に触ってしまった。その後始末を、全く見ず知らずの間柄だったこの男がしてくれているのだ。馬鹿と言われて当然の有様だった。

 岡谷が、低い声で囁いた。


「俺や遥来がミハルスの信者かもとか、考えないの?」


 足元から一気に体が冷える。

 

「よく素直についてくるよね。二日もさ」

「……あ、……えっと」


 交差点で左折するのそ遠心力で体が傾ぐ。岡谷の運転は丁寧だと思う。そして、不可解なほどに面倒見がいいというのもまた事実だった。

 金を持たせた俺を、俺ごと回収するのが二人の役割だったら。座っているのにくらりとした。


「そういうところだよ。その警戒心のなさと甘さが、こういう事態を招いたの。これを機に大人になりなさいね。もっと疑ってかからないと」


 肝を据えた、という事らしい。

 短い説教のあとも、いくらか剣呑な表情で沈黙を貫く。そうしていると岡谷はまったく堅気の人間には見えず、セキュリティ会社の役員と言われてもまるで信憑性がなかった。それに夜の暗さに浮き上がる端正な顔立ちは、彫刻のようだ。

 その夜、ベッドに寝ころび岡谷の会社を検索した。大手クライアントをいくつも抱える実績と信頼のある警備会社のようだった。岡谷の腹違いの弟という代表取締役社長の写真も見た。まるで似ていない。

 スマホを弄っていると、日付が変わった。

 しばらくして友人の河上かわかみからメッセージアプリに連絡が入った。俺が下痢というのを真に受けている。一応話を合わせ返した。たったそれだけのやり取りで、俺は日常が返ってきたようでとてつもない安堵を覚えた。だが河上は続けた。


『小井出遥来といつからつるんでんだよ』


 ちょっと前から、と濁す。

 そして次の一文に目を疑った。


『あいつ人殺しだぞ』

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