第六話  のらりくらり黙する狼(後)


 宗平の牛丼は甘口で優しい匂いがした。蕪とパプリカのサラダに、蕪の葉の味噌汁。旨いし幸福感に満たされすぎたせいで無言で完食してしまってから、多少の気まずさを覚える。


「ごちそうさま。向こうにいるね」


 昨日に続き、洗い物の音を聞きながらデスクに収まる。

 ジュリは猫タワーで爪研ぎ中、ゾーンに入っているので触ってはいけない。

 いくつかの案件を同時に進めながら、造園業の男から調べ始めた。池端与四雄いけはたよしお、享年六十九歳。死因は心不全。新聞の記事でさえ、二人の男が向かい合って公園で死んでいた事実から事件性を仄めかしているが、目立った動きはない。相手という言葉が適当がどうかわからないが、もう一人は栗生克明くりゅうかつあき。享年七十三歳。同じく心不全。司法解剖が行われた病院をつきとめデータを覗いたが、目立った外傷もなく、死に至る病はどちらも抱えていなかったために弾き出された万能診断のようだ。

 怪しい。

 だが世間には、明確な事件や悪意が蔓延っている。この二人の死が追及されなくても不思議はない。

 しかし池端と栗生のどちらも天涯孤独という境遇は気になる。事件に巻き込まれる大多数が、社会との健全な繋がりを持たない、あるいは希薄な孤独者だ。単に結婚できず親に先立たれ寂しいセカンドライフを送っていたかもしれない栗生はまだしも、池端が一人者というのはおかしい。探せばいるだろうが、珍しいパターンと言える。会社や財産を遺したいという思いも、誰かと歩みたいという思いも抱かなかったのだろうか。俺から見れば、池端は孤独を選択したように見える。

 出身地も東北と北九州、仕事上の繋がりもなく、どこに接点があるかわからない二人だ。ただインターネットを介し、例えば栗生が池端から借金をしていたという筋書きなら想像に難くない。使いこなす高齢者は多くはないが、一定数存在する。だが調べを進めても、二人とも静かにコツコツと働き人生を送ってきたクリーンな人物像しか浮かんでこなかった。

 池端はなぜ一億もの金を用立てたのか。現在、池端の財産は法律上、国が管理している。死の直前に敢えて銀行から引き出した一億が、正体不明の第三者によって一人の若者の手に渡されているのだから疑いようもなくこれは事件だ。


「よかったら、どうぞ」


 洗い物を終えた宗平が冷たい麦茶を出してくれた。

 トレイには宗平自身の分と、小皿に鰹のおやつが乗っている。


「ありがとう」

「あの、勝手にやっていいかわからないけど。いりますか?」


 爪研ぎ棒と死闘を繰り広げている殺気立ったジュリを見遣り、眉根を寄せている。池端、栗生に続き宗平も充分すぎるほどに真面目だ。


「うぅ~ん、あとでいいんじゃない? 遥来帰ってからで」

「わかりました」


 近くの椅子に腰を落ち着け、宗平は部屋の機材を見回した。部外者だが、見てもわからないだろうし緊急事態だ。

 宗平を呼び寄せた。


「池端から金を奪う目的で栗生を運び屋に選んだのか、池端が栗生に渡すなり運ばせたかった金を第三者が強奪したのか。憶測に過ぎないけど、確かな事は二人が死んで君の手に金が渡った事ね」


 案の定、宗平はモニターを凝視し絶句している。


「そこでどうしても、一億当選のメールを送ってきたのが誰か突き止めたいなぁと思うんだよ俺」

「難しい、ですか?」

「いやぁ~尻尾出さないね。結構やり手だなぁ」


 すると思いがけない事が宗平の口から語られた。


「じゃあ、俺に考えがあります」

「え?」


 宗平はモニターの一つとスマホの画面を鏡代りに前髪を整え、応接室に移った。突然の事態にぽかんと見送った俺は、そのあとで聞こえて来た陽気な声に度肝を抜かれた。


「はいっ、なんと! 一億円当選しましたぁー! パチパチパチパチ」


 椅子を蹴り中を覗くと、棚の位置をうまく使いスマホでローテーブルを撮影している。宗平はカメラに映るようソファーに座り、腕まくりをして手を叩いていた。


「えー、実は。ちょっと前にメールから応募できる宝くじを買って、ね。皆さんも宝くじ買った事ありますか? 僕は初めてだったんですけど、見事、当選しましたぁ~。パチパチパチパチ」


 呆れすぎて頭が真っ白になる。

 これが若者の感覚なのか。動画を流して情報を得ようという発想もわからなくはないが、宗平の場合は自殺行為である。まさか、それがわからないのだろうか。


「今日は皆さんにね、どういう流れで僕がビックなお金を手に入れたのか、その方法というか流れをね、ご紹介したいと思います」


 背後で警告音が鳴った。

 振り向くと、宗平のスマホと同期させた監視システムが立ち上がっていた。ソファーに座る、素人目にも決して安物に見えないスーツを敢えて腕まくりまでしている若者が、慣れた様子で喋り続けている。

 映像の横に、流れる文字。

 リアルタイムでコメントが寄せられている事に気づき、全身が冷えた。

 

「馬鹿馬鹿馬鹿」


 ライブ配信だ。

 慌てて電源を切ろうと応接室に入った俺を、宗平は屈託ない笑顔で止めた。得体の知れないものを前にして、再び思考がショートする。怯えた生真面目な好青年は、どこにいった?


「ちなみにここは、お金を管理してくれる弁護士さんの事務所です」


 嘘八百よくもまあペラペラと。


「ね、立派でしょ? ちなみにこちらが──俺の即席金庫。そこ、笑わない! ビンボーな学生なんだよ。精一杯。俺の精一杯の策、ザ・段ボール」


 金が送られてきた箱は既に空だ。一億の札束は金庫室で出どころを確認したあと、俺がケースで持ち運んでいる。


「もうお金はきちんとしたところへしまったんだけどね。皆さん、銀行の金庫って入った事ありますか。超寒かった」


 眩暈がした。突っ立っている場合ではない。やめさせなければ。


「えっと、僕が当選した宝くじのサイトと、当選のお知らせメール。これを次の動画できちんと編集してお見せしたいと思いますのでね。皆さん。大きな夢を持って、待っていてください。こう御期待!」


 俺がスマホの電源を切る間際まで、宗平はソファーに座ったまま手をふっていた。

 沈黙が落ち、ジュリの爪を研ぐ音が耳鳴りのように木魂する。

 宗平は、顔面蒼白で脂汗をかいてぐったりしていた。


「演技派かよぉ……」


 俺のぼやきに対する答えは、簡潔。


「体操のおにいさん、憧れて」

「もうやめてぇ~」

「だって金が動かないんだから、どの道、俺のところ来るでしょ」


 涙を溜めて睨まれたら、怒るに怒れない。

 番狂わせも甚だしいが、宗平の言う事には一理ある上、最初から身元は割れているのだ。俺は考えを改めた。


「勇気があって偉いね。こっち来て」


 二人でモニターを覗き込みコメントの送信者を端からチェックリストに入れていく。その間、俺の分だった麦茶を宗平が飲み干した。

 コメント送信者の中にはこちらがマークしているような人物がいなかったため、時間を区切り配信する事に決めた。餌を撒くのだ。

 宗平を普段着に着替えさせる間、彼が過去に動画を投稿していた事実を突き止めた。本人が言っていたように子供や高齢者に向けて簡単に楽しめる短い体操の動画を八本。可愛い趣味だ。

 四時を回った頃、三度目の配信で進展があった。


「あっ」


 宗平が声をあげる。

 祝う声ややらせを疑う声等の様々なコメントが打ち込まれる中、謎の単語が飛び込んできたのを目敏く捉えたのだ。

 

「ミハルス……?」


 別の視聴者からも数件、同様の四文字が続く。


「ミハルスって何?」


 俺と同じ疑問を、これもまた複数の視聴者がコメントしてくる。

 

「いや、わかりません」


 宗平の乾いた声が痛々しい。

 動画自体が短いため、一回に集められる情報も限られてくる。だが宗平を手放しに晒すわけにはいかない。三度目の配信が終わりに差し掛かり、タイミングを計ったかのように人名らしきものが打ち込まれた。


「え? な、なにこれ……タカラタマ……宝珠院ほうじゅいん?」


 宝珠院仁之。

 三回目の配信を終えた。名前の部分をどう読むか判断がつかないが、重要な手がかりだ。だが──


「これを書いたって事は、こいつを知ってるって事ですよね?」


 コメントを指差したどたどしく訪ねてくる宗平に、俺は返す言葉を失っていた。

 視聴者のユーザーネームは、俺に自身の存在をアピールしてくるものに他ならなかった。


「……華那カナ。女性かな」


 宗平が呟く。ダークサイドの情報をぶち込んでくるのだから、偶然、同じ名前という事もありえない。

 監視されている。やはり俺は、ここのシステムごと監視されていたのだ。

 その証拠に四度目の配信はできなくなった。俺が唖然としている間に、保管された動画情報を丸ごと削除されてしまった。


「日辻君」


 呼ぶと不安そうな瞳が間近で揺れた。


「この事、遥来にナイショにしてくれる? 視聴者の方」


 宗平は答えなかった。余裕がなかったのかもしれない。

 俺もだ。

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