第五話 のらりくらり黙する狼(中)
「送られて来た当選メールはプリペイド式の携帯からで、もうゴミになっちゃってるよ。一億円の送り主欄に書いてある住所は、なんと廃坑です。会社名っぽいものが書いてあるけどもちろん実在しない」
「それ今っすか」
包丁を構えたまま肩越しに振り向いた宗平の、まあ隈の青い事。
「早い方がいいと思って」
「あんたが定食っぽいの食べたいって言うから、朝からスーパー行って米炊いて出汁とって豆腐切ってんだよ。座って待っててくださいよ」
キラリ、と匠の包丁が光った。
キッチンから退散した俺を、遥来が頬杖をついて迎えた。
「怒られちゃったよ」
「でも自分で献立決めて作ってるんだから、楽しいんじゃない?」
宗平を迎えに行った遥来は、気を利かせたつもりか、俺が家庭的な朝食を望んでいると伝えたらしい。確かに魅力的な話だが昨日の今日で食事の世話をさせるというのはどうかと思う。
「自分が食べたかっただけだろ~?」
「当然でしょ。朝五時に起きて大人のお迎えしなきゃならないんだよ。超お腹すくよ」
米の炊ける甘い匂い、焼き魚の香ばしい匂い、柔らかな味噌汁の匂いまで漂ってくる。素晴らしい。涙が出そう。
思えば未だかつてこれほどまでに活発な生活音がキッチンから響いた事はなかった。せいぜい電子レンジとコーヒーメーカーくらいだ。
「びっくりだよぉ、宋ちゃんご飯作ってくれるんだもん」
「え? 昨日、焼肉奢ってやるから朝飯作れって言ったんでしょ?」
言った。忘れていた。
「本気にしたかぁ。悪い事しちゃったなぁ~」
「鼻の下伸びてるよ」
ジュリが遥来の肘に寄り添って寝ころび、伸びをした。
料理が趣味だと言っていたが、宗平は実に機敏な身の熟しで調理している。七時半に来て、今が八時五分。と思っていたら米が炊けた。再びキッチンに顔を出すと、宗平が炊き立ての米をかき混ぜている雄々しい瞬間を目撃。
「なにやってるの?」
「こうやって蒸らすんですよ」
「へぇ~、さすがだねぇ~」
次の瞬間、フライパンから鮭を皿に移した。立て続けに卵を焼く。と思えば、鍋のおたまをぐるっと回し火を止める。
「神業だねぇ」
「普通です」
冷蔵庫から小鉢が出てきた。
「え、それも用意したの?」
「切って漬けるだけですからね」
「すごぉーい」
茄子と胡瓜の漬物が、鮭に並んだ。そして卵焼き。
簡単ですけど、と前置きをして並べられた立派な朝の定食に、俺の心は躍った。
「凄い! 御馳走だ!」
「やったー。食べよ食べよ」
ジュリを肩に乗せた遥来も、満面の笑みでキッチンに入ってくる。
「凄い凄い、お家のご飯みたい。こんな食器あった?」
「買ってきた。しばらく続くんだから要るでしょ」
「あ、もうじゃんじゃん買ってきて。冷蔵庫大きくしてもいいよ」
「永住するわけじゃないんだから」
口だけ塩対応の遥来も、俺に負けじと鼻の下を伸ばしながら、更に負けじと鮭を狙うジュリを牽制している。
ご飯、味噌汁、お冷を並べた宗平が座り、手を合わせた。
「いただきます」
デスクから椅子を一脚運ぶ手間はあったが、三人と一匹で小さなテーブルを囲む朝食はなかなか素晴らしい。
大学へ行く遥来をすまし顔で見送ったジュリが窓際で毛づくろいを始めた頃、宗平の洗い物をBGMに俺も調査を始めた。
手元をジュリが横切る。
「岡谷さん、昼って何時くらいっすか? 米セットします」
戸口から顔を出す宗平を一旦目に留め、口元がゆるんだ。
ついに……ついに専属コックがやってきた。
「今日は出かけるから外で食べるかなぁ」
銀行で金の出どころを突き止めなければいけない。だがその前に服を買い揃える事にした。宗平を本店へ連れて行くなら、多少それらしく着飾らせるのもいい。経費だからと宥めながらスーツを一揃え誂えし、上丸銀行本店へ向かった。
結論から言うと、金の出どころは割れた。関東の外れで造園業を営んでいた男が会社名義で用立てた金らしい。ただ、男は昨年の暮れ、都内の公園で死体で発見されている。近所の住人が犬の散歩中に発見した際には、もう一人男が倒れていたというから無関係ではないだろう。造園業の男と、一人は中小企業で勤め上げた独身男。ホームレスでもあるまいし、揃って死体で発見されるとなれば事件だ。
「造園業なら顔も広いか」
「俺、銀行の金庫って初めて入りましたよ」
「冷房効きすぎだよねぇ」
銀行を後にし、昼食をとるため車を流している。平日の昼とあって道が混み、信号の度に小さな渋滞に嵌る。
横目で宗平を見遣る。誂えたスーツが新卒らしい雰囲気を醸し出すかと思いきや、意外や意外、表情が服装に合わせて化けるタイプらしい。好青年ぶりを発揮し、どこぞの御曹司のような風格を漂わせているのだ。あっぱれ。
「日辻君、食べたいものある?」
「牛丼」
「牛丼かぁ~」
学生らしい。大手チェーンの大人気メニューで日常を取り戻したいのか。だが最高級黒毛和牛を堪能できる料亭の裏メニューを御馳走してあげるのもいいな。あまり落ち込ませないような配慮が必要だろう。
だが宗平はきっぱりと言い切った。
「俺作りますよ」
「え?」
「どこも混んでそうだし、岡谷さんさえよければ」
こちらとしては願ったり叶ったりだ。
顔に出たのか、宗平は俺を一瞥すると明らかに安堵の表情を浮かべた。
「実は外食苦手なんですよね」
それは意外だ。
「えっ。じゃあ昨夜は悪い事しちゃったねぇ」
「いや、それは、もういい店連れてってもらったんで。ありがとうございました」
「うぅん。むしろ外食しかした事ないから、けっこういろんなお店連れてってあげられるけど。そっか、苦手かぁ」
「いや、本当に美味しかったです。自分じゃ行けないところなんで」
外交的に見えて実はインドアなのだろうか。
「じゃあさぁ、日辻君の気が向いた時はまた、どっか行こうよ」
「あの、もしあれなら俺置いていつも通り食べに行ってください」
「うっそ、なんでぇ?」
ステアリングを回し交差点の流れを見ている状況で直接顔を向ける事ができないが、できるだけ憤慨を伝えるため声のボリュームをあげる。
「三食作るって昨日話したでしょ~?」
「いや、朝晩っすね」
そうだった。
「三食作ってよ。時給千五百円に上げるから」
「いや、お世話になりっぱなしなんで、飯くらいさせてください」
「なぁに言っちゃってんのぉっ?」
気づけばさっきから否定ばかり返される。新たな信号待ちの列で先が詰まり、改めて宗平の顔を見た。緊張している。
思えば無理もない事だった。俺の日常は、彼の非常事態でできている。いくら安心して任せろと言ったところで、宗平からすれば俺が敵か味方か判断する材料さえないのだ。
それにしては従順についてくるが。
「あのさぁ、気にしなくていいんだよ? スマホをガードしてあげたところまでがサービス。あとの事は、俺の調査なんだから。きっかけは日辻君だけど、悪者を潰す流れで君を保護する必要があったってだけなんだからさ」
「でも、凄い金かけてるじゃないっすか。それでバイト代貰うって」
「日辻君、警察に税金以外お礼しようと思う?」
アーモンド型の目が大きく開いた。
また少し車を進める。
「あ、そうか」
宗平が呟いた。
「俺をって事じゃなくて、仕事なんだ」
「そぉそぉ!」
しばらく考え込んだ後、宗平は遠慮がちな視線を寄こし、丁寧に言葉を紡いだ。
「時給は千円にしてください。普通の家庭料理なんで」
「大変結構でございまぁす」
日差しがきつい角度から打ち、サングラスを装着する。宗平はよく見せる唖然とした表情を向けた。
無差別に選ばれた捨て駒だ。こんな不憫な若者を放っておけない。だが妙な気負いを押し付けて誰が得をするのか。与えられた立場を最大限活かし生きていくには、俺にも誠心誠意尽くす相手が必要だ。さもなければ、悪魔の囁きは常に両耳から滑り込み、脆弱な精神は食い尽くされ、堕とされる。
誰か必要だった。それは、あるいは二号の母、あるいは腹違いの弟、可哀相な遥来、困り果てたクライアント。
宗平はそうして、俺を人間の岸へ引き留めてくれる要素の内のひとつとなって、新たに現れたのだ。宗平を助ける事で、俺はまた救われる。慈善ではない。
「お店寄ってく? スーパー」
返事を待たずにウィンカーを切った。
彼が晴れやかな学生生活を取り戻した後で、忘れてしまって構わない。それが誰なのかは関係ない。一握の砂、星空の塵だ。特別じゃない。
情報の波はいつも、犠牲者を与えてくれる。
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