第四話  のらりくらり黙する狼(前)


 大学から乗車十七分、駅から徒歩十五分。川沿いに住宅が並ぶその中に埋もれるような、小さなアパート。聞けば一回の角部屋で、わずかながらもバルコニーがついているという。

 決して広くはない道に、バスが通る。長くは停めていられない。


「何か手伝う~?」

「自分でやります」

「はぁーい」


 玄関を開けてすぐ洗濯機、四畳ありそうなキッチンに食事用のテーブルが置かれている。ずらりと並ぶ調味料の数々。朝食に使ったのかシンクには食器がのこされているが、そこまで散らかっているようには見えない。

 

「お料理するの?」

「好きなんですよね。昔っから」

「そっかぁ」


 宗平はテレビと蒲団と本棚で一杯になってしまっている六畳間で、こちらに背を向けて荷づくりをしながら答えた。

 シンクの下の扉を開ける。量販店で買ったとは思えない風格の漂う包丁がぶら下がっている。これは持っていくべきだ。奥を漁ると、包丁が収められていたと思しき桐箱が出てきた。丁寧にしまい、テーブルに置いておく。忘れないようにしなければ。


「洋服なんて買えばいいんだから、貴重品だけね」

「いやパンツとか」

「生活していないとバレるのも困るんだってば」

「……」


 中途半端な体勢で固まり、宗平が逡巡している。


「じゃ三枚だけ!」

「三回も勝負しちゃうのぉ? 若いなぁ」


 宗平は真面目な顔で振り向いた。


「ちょっとセクハラよしてください。俺、余裕ないんで」

「あ、ごめん」


 調子に乗りすぎた。

 宗平は小柄な遥来と比べれば年相応の若者らしい体格で、ほどよく鍛えている様子が窺えた。アーモンド型の目の上に形のいい眉があり、鼻筋も通っているその顔は、老若男女から広く好かれる爽やかな好青年そのものだ。遥来が友達を連れてくる日を心待ちにしていたが、まさかこういう形で来るとは。


「日辻君、お金どこ?」

「押入の左下」


 確かめると段ボールが口を開けていた。ビニール袋で防水を施し、一回り小さな段ボールに収め緩衝材で保護した上で梱包されている。厳重だが多額の現金の扱いとしては退学処分ものである。

 送り状の品目は書籍。業者を介しているからといって危険物が仕込まれていないとは限らない。小型の金属探知機で全体をスキャンするが、盗聴や盗撮、位置情報を得るための仕込みは見受けられなかった。宗平本人のスマホでそれらを賄っていた連中だから、想定内ではあった。

 札束をいくつか改める。


「日辻君、これ連番だよ。新札で連番。ってことは、発行した銀行と引き出した人物がわかるかなぁー」

「まじっすか」

「今日はもう遅いから明日銀行に行きましょう」


 荷造りを放り出し、宗平が脇に膝をついて顔を突っ込む。


「俺、ヤバくないっすか? この金どうしたんだって言われたらなんて……」

「うん、大丈夫。俺が持っていくから」

「いや、あんたも同じだろ。むしろ後ろ暗い裏金と思われて通報されるかも」


 蒼くなって呟く姿が不憫で、早速だが事実を打ち明ける事にした。


「上丸銀行って知ってる?」

「あ? はい、知ってますけど」

「うちの社長、そこの末っ子ちゃんなんだよね。それで俺、彼のお兄ちゃんなんだよ。腹違いの。ま、三ケ月だけどね」

「……は?」


 蒼くなったり白くなったり、忙しい子だ。


「相続権放棄して従兄弟って事で事業手伝ってるんだけど、実はお爺ちゃんの財産分与は済んでて本店に俺の金庫あるから。顔パスだから大丈夫」

「……まじか」

「ついでに言うと、こんな一億ぽっち盗もうとも思わないから安心して」

「なんかもうよくわからない」


 首をふってヨヨと泣きだした姿も、えらく不憫で胸が痛む。

 学生の人生を狂わせるには充分な額だが、使い込んだ様子はない。持っているだけで第三者に命を狙われる危険もある。警察に届けなかった理由は、怪しい金だとわかっていたからだろう。

 悪い夢を見ただけだ。そう思ってくれればいいが。


「その金をどこかへやったとして、俺はどうなっちゃうわけ?」


 涙を拭いて、宗平が情けない顔を向けてくる。


「なんだ、わかってるじゃん」

「運び屋が運び屋できなかったら、そっちのが殺されちゃうだろ」

「だから金の出どころを突き止めて元を潰すんだよ。泣かないの。大丈夫だって。俺がぜんぶやってあげるから」


 ほぅほぅと泣き始めた宗平に困り果て、ひとまず肩を叩いてみた。反応はない。冷蔵庫を覗くと、牛乳があった。グラスを見つけて牛乳を注ぎ、金の前で泣き崩れている宗平の肩を再び叩く。

 宗平が顔をあげた。


「ほら、落ち着いて」

「賞味期限切れてんだよ……!」


 それは俺のせいじゃない。

 匂いを嗅いでみたが問題はなさそうだったので、一口飲んでみた。


「大丈夫そうだよ」

「じゃ俺も飲む」

「はい、どうぞ」


 素直だ。

 飲み終えたグラスを膝の上で両手で包み、宗平は涙目で壁を睨む。


「一応ね、知り合いに警察も弁護士もいるから。徐々にさ、そういう手続きが必要になってもなにも心配する事ないから。ね、元気出して」


 宗平が項垂れる。


「なんで俺だったんだろ」

「人生そういう時もあるよ」

「ねぇよ、絶対」


 実際、宗平は悲劇のヒロインというより現に事件に巻き込まれている被害者だ。遥来もよく見つけてきてくれた。まだ若いのに、知らず知らず犯罪に手を染めて命まで落とすなど、あってはならない。

 

「日辻君」


 前髪を指で持ち上げる。

 苦悩に満ちた顔があった。まだ一度も笑ったところを見ていない。陰気な性格には見えないし、体格も悪くなく、趣味は料理だ。朗らかな若者なのだろう。それを消してしまいたくはない。


「美味しいもの食べに行こうか」

「……最期の、晩餐……」


 悲観的にも程がある。


「なぁーに言ってんの。腹が減っては戦は出来ぬって知らない? 今日は俺が御馳走してあげるから明日は日辻君が作ってよ? いい? わかった?」


 返事をしない宗平をなんとか宥めてアパートを後にした。焼肉店へ連れて行くと、あの苦労はなんだったのかと憤慨したくなるほど宗平は食欲を発揮し、ついには溌溂とした笑顔で俺に礼を言った。帰りの車の中でも機嫌がよかった。しばらく忘れていられるならそれもいい。

 ホテルの駐車場で宗平は事態を思い出したらしく、再び蒼白になった。


「吐かないでよ? せっかく食べたんだから」

「……はい」


 フロントガラスを虚ろに眺め、胃に手を当てている。

 

「ここは要人警護で使う最高にガード堅い要塞だから、安心して眠りなさいね」


 部屋に荷物を運び込み、ドリンクを注いで一息つく。二間に分かれたリビングの方でソファーに沈み込む宗平にはまったく生気がない。あの肉は何処へ消えたのか。


「宋ちゃん元気だしてぇ~?」


 完全に梨の礫。

 これ以上追い詰めるのも可哀相になり、しばらくそっとしておく。

 上手い話をぶらさげたメールで若者を釣り、現金輸送の駒にする。悪辣な連中に違いない。同様の事件が他に起きていないか探る必要もありそうだ。失踪者リストを当たってみよう。

 帰り際、宗平の前にしゃがみ込み顔を覗き込んだ。もう泣きはしなかったが、苦悩と恐怖が色濃く満ちるのを見ると、腹の奥で嫌な虫が疼いた。朝は遥来が迎えに来ると伝えると、宗平は確かに頷いて見せた。

 駐車場で車に向かい歩いていると、着信があった。


「……来たよ」


 いつも非通知でかけてくる。相手をしなければしないで面倒な目に遇うのだから、仕方がない。


「勘弁してくれよなぁ、忙しい時にさぁ」


 車体に寄りかかり呼びかけた。


「もしもし? ……ああ、元気。え? いや、こっちは東京ですよ。星なんて見えないって、知ってるくせにやだなぁ」


 監視が目的なのか、それとも寂しいのか。


「だぁかぁらぁ。お友達にはなれないって、何度も言ってるでしょ~」


 邪険に扱おうと響かない精神は厄介極まりない。ただこちらにも、その都度与えられる動向を探る機会を存分に活用する心積もりはある。

 

「何処にいるの。……そう、こっち来ないの? ──いや、会いたくない」


 数分、世間話のような会話をして通話を終えた。

 心の重荷を溜息に込め、吐き出す。もし帰って来る事があっても、この件が片付いてからにしてくれ。

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