第二話  愚かな羊は黄金の夢を見るか(中)


 午後の講義をそれぞれ終えた後に正門で待ち合わせ、遥来のバイト先であるケルビム・セキュリティー・コーポレーションに向かった。てっきり電車で行くものと思っていたが、遥来は大通りに出て早々タクシーを拾った。いちいち驚かされる。

 車中で遥来は、俺にこの件についての礼を要求してきた。


「署名?」

「そう。できたら友達も誘ってよ。僕、ぼっちだから全然集まらなくって」


 金品は事足りている様子だが、友達には不自由しているらしい。

 怪しい勧誘や妙な投資なら断るが、遥来が求めているのは学生生協でプロテインを扱って欲しいという内容だった。俺は遥来の次に名前を書いて、署名の束を預かった。


「あのさ、俺は二年なんだけど」

「一緒一緒~」

「え、学部はどこなの」


 聞けば遥来は情報学部らしい。かく言う俺は教育学部で体育を専攻している。


「ふぅん。じゃあ体育の先生になるの?」

「なりたいなと思ってるよ」


 見るからに運動音痴そうな遥来は興味を失ったようで、窓の外を眺めた。

 俺もあと三センチ欲しい悔しい中背男子だが、遥来は女子から見ても充分可愛いだろうと思われる姿形をしている。狙っているかのような顔を隠す髪型も、媚びていないと思うが実際上手いと感じる。


「なに見てるのー」


 窓に映る俺と目を合わせるわけでもなく、遥来は外を見たまま言った。


「着くよ」


 車で十五分もしない距離にその事務所はあった。もちろんカード払いだ。割り勘を求められる気配すらない。高層ビルが建ち並ぶオフィス街の一角で駅からも近く、正直なところ電車でよかったのにと改めて感じたが、口には出さずにおいた。

 遥来は俺とも違うし、俺の友達とも違う。

 エントランスを抜けエレベーターで上がる間、この場所では学生そのものである自分の服装の方が浮いている気がして肩身が狭くなった。

 

「あ、そうだ。猫、大丈夫?」


 唐突に遥来が言った。


「動物は全般的に好きだけど」

「よかった」


 遥来が笑った。これが驚くくらい、可愛かった。


「僕の猫がいるからね。仲良くしてあげて」

「え」


 バイト先に猫がいるというのに驚いているうちに、目的の階に着く。

 壁も床も磨き上げられている謎の高級感に度肝を抜かれ、天井の高い廊下を歩いた。社名の入った自動ドアを抜けると広い応接間があり、遥来はそこを通り過ぎて続く扉に手をかける。


「ただいまぁー」


 まさかの挨拶に何度目かの驚きを食らい、俺は恐る恐る部屋に入った。

 冷房の効いた室内は機材が並び、何台ものモニターが壁を覆っている。まるでドラマや映画で見る監視室のようだった。そして奥の方のデスクで脚を組んで座りマウスを弄っている男に、呆気にとられる。


「おかえり~。お友達ぃ? アルバイト募集中ですよー。ご飯なんか作れちゃったりしない? コンビニ飽きちゃうんだよね」


 低い声でまったりと話す、どう見ても堅気じゃない男。

 光沢のあるスーツと黒いシャツを大柄な体に纏い、腕時計とカフスを光らせ、肩につきそうな髪は左側に三本編み込みが入っている。口調に合った優しい顔立ちもかなり整っていて、全体的に見栄えがいい。見るからにホストか、マフィアだ。

 こいつが遥来のパパか。


「ハル……」


 助けを求めるつもりで視線を移すと、遥来は跪いて小さな白猫を手の先に迎えていた。子猫の細い鳴き声が響いた。


「ジュリちゃん、ただいま。会いたかったよ」


 筋金入りの猫なで声に、ジュリと呼ばれた白猫が応える。仲睦まじい様子は見ていて和むが、俺を放り出して世界に入らないで欲しい。


「遥来君、オ友達デスカァ?」


 モニターから目を離さずに問いかける間延びした声に、遥来はジュリと戯れながら答えた。


「うん。スマホがハッキングされたの。見てあげて」

「ちょっと待ってねぇ……」


 男はいくつかブラウザを閉じてからキーボードを叩き、モニターをざっと見渡してから椅子を回した。


「こんにちは。はじめまして」

「は、はじめまして」


 頭が真っ白になる。

 俺は何の面接に来たのか。夜の仕事に興味はない!

 ガチガチに緊張しているのを見て、男が笑った。笑うと優しそうな顔が更に柔らかくなり、安心しそうになって尚の事警戒してしまう。


「プロテインの署名活動を手伝ってくれる事になった日辻宗平君」

「へぇ、よかったじゃん。遥来をよろしくね」


 どの程度、何をヨロシクされているのか思考がうまく回らない。


「ヒツジくん。メイちゃんか。はい、スマホ見せてぇ」

「……」


 大きな手が上向きに差し出される。

 脇からジュリに愛を語る遥来の様々な口説き文句が垂れ流しに聞こえ、俺の頭はますます混乱を極めた。

 変な所へ迷い込んでしまった。

 帰りたい。


「メイちゃんは嫌か。日辻君、スマホ診ますよ」


 気遣いのポイントがおかしいが、突っ込む勇気はない。

 果たしてこの名前も知らない男に、貴重品扱いの個人情報満載端末を渡していいものか、本気で迷った。


「ジュリちゃんお鼻見せて。あっ、あああ! どうしたのっ? どうしてジュリちゃんのお鼻はこんなに可愛いのっ?」

「ナー」


 完全なアウェー。

 孤独に立ち尽くす俺を見かねてか、ついに男が椅子から立った。

 大柄とは思っていたが、一八〇を越えていそうな長身で目の前に来られると、さすがにオオッとなる。


「恐くないですよぉ」


 語尾を伸ばすな。


「参ったなぁ。すっかり警戒しちゃって。遥来なにか変な事言ったんじゃないの~?」

「違うよ。ハッキングされてビビってるんだよ。──あっ、ジュリちゃん」

「遥来は猫が好きでね」


 見ればわかる。

 気づくと後退りして男と距離をとっていた。遥来とジュリの声も右から左へ抜けていく。

 俺は今、問題を抱えている。手一杯だ。

 このチームまで背負うのは無理だ!


「日辻君」


 ふいに改まって名を呼ばれ、男に注意が向いた。

 害のない静かな微笑みを浮かべ、男は懐から革のケースを取り出した。


「申し遅れました。私は当コーポレーションの代表取締役社長代理、岡谷九重おかやくのえと申します。サイバーセキュリティーと警護の監督責任を担っており、日頃から社長に変わり主に私が事務所での対応をさせて頂いております」

「……はぁ」


 名刺を受け取る。

 その見た目で客が驚かないわけないだろ、と思っているが口が裂けても言えない。恐い。


「スマホをハッキングされたとの事ですが、拝見してもよろしいですか?」

「……お願いします」


 仕方ないだろ。そう、仕方ないんだ。そのために来たんだから。

 傍にあった別の椅子をすすめられて座る。岡谷は早速電源を切り、機材の一つとスマホを繋いでデスクに戻った。そこから先に行われている事はまるで理解できず、ただ機械の専門家が中身を綺麗にしてくれているのだという事だけはわかった。

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