第15話 生還

この争いを避けて、僕はみんなと反対側の駆逐艦の後部に泳いできました。


「あそこにいたら殺される」ととっさに判断したのでしょう。


幸い、こちらには誰もいなくてロープのついた浮き輪を一つなげてもらいました。


「早くこれにつかまれ!急げ!」と駆逐艦の兵隊は天を指差したのです。


そこにはまたもやアメリカ軍の飛行機が接近してきているではありませんか。


駆逐艦は攻撃されたら大和のように持ちません。


慌てて駆逐艦は最大速力の時速70キロで逃げ出したのです。


浮き輪につかまっている僕が、ほとんど真横になるようなスピードで駆逐艦は走り出しました。


そのロープをさっきの乗り組み員は1人で体を張ってゆっくりゆっくり引き上げてくれました。


最後に船に上がる瞬間、その兵隊は僕を抱きかかえながら自分の体ごと後ろに倒れてくれました。


水につかった人間はそれほど重いのです。


そして「貴様よかったな!よかったな!」と泣きながら思いっきり僕の顔を何度も何度もぶん殴るのです。


海から救助された人は助かったと思って安心して死ぬことがあります。


ですから海軍にはこのようなときには「思いっきり顔を殴れ」と教わっていたのです。


僕はこの時、生まれて初めて「殴られて嬉しい」と思いました。


この艦は有名な「雪風」と言う駆逐艦で全ての戦いに参加してしかも無傷で残った艦です。


まさに「幸運の艦」に僕は救助されたのです。


真っ裸にされて重油だらけの体を拭い酒を飲まされて胃の中に入ったコルクをすべて吐き出した後、僕は毛布にくるまって文字通り「泥のように」眠ったのです。


次の4月8日の朝、雪風は長崎県にある佐世保軍港に無事着きました。


この日は素晴らしいお天気でした。


岸に咲いた桜の花びらが港に入る僕たちの頭の上に降り注いだのです。


甲板に並べられた死んだ兵隊の顔の上にも桜の花びらが何枚も落ちていたのが印象的でした。


昨日の地獄のような1日がまるで1年だったように長く長く感じられました。


誰かが言いました「ちくしょう!昨日が今日のような天気だったらなぁ」と。


「今日のような良い天気ならば大和の主砲が思う存分撃てたのに」と全員が悔しがったのです。


こうしてまさに「九死に一生」を得た僕は佐世保軍港に着いたのです。


本当にたった1日の間に大好きだった先輩や友達、上官が虫けらのように次々と死んでいったのがまるで嘘のようでした。


3009名がこの戦いに参加して生き残ったのはわずか1割にも満たない276名でした。


そして「大和が沈んだら日本が沈む」と言われていたように4ヶ月後の8月15日、日本はたくさんの犠牲者を出したこの戦争に敗れ降伏したのでした。

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