第14話 重油の海
真っ暗な重油の海に漂っているのは、かつて大和に積んでいた机や椅子、畳、木材、コルク片などの軽いものと、今まで生きていた真っ黒になった死体でした。
しばらくしてあたりを見回すと、生きているのは僕だけではありませんでした。
怪我をしたり傷を負ったりはしていますが、何人かの漂流者が見えました。
波の加減で山型になった時は多くの顔が見えたので少し安心しましたが、ここでもまた生死を分けることが起こったのです。
浮き上がった時から空の高いところにキラキラ光るものが無数に見えたのです。
これは大和が沈んで大爆発したときに吹き飛んだ様々な金属の破片です。
この金属が焼けて高熱になっていたので光っていたのでした。
これが一気に僕たちの頭の上に落ちてきたのです。
運悪く鉄の塊が落ちた海面にいたものは頭をすぱっと切り落とされた形で死んで、そのまま海中に沈んでいくのです。
僕も「熱い!」と思ったら足に小さな破片が突き刺さったのですが幸い命に別状はありませんでした。
本当に人間の運命はわからないものです。
せっかく大和から命からがら脱出したのに何メートルかの差で生死が分けられるのです。
その時僕は恐怖心から「助けて!」とうかつにも叫んでしまいました。
言ってから「しまった」と思ったのですがもう間に合いません。
「たるんどるぞ!」とか「貴様、何を弱気なことを言うか!」とこの後に及んでまた殴られると思ったからです。
しかし返ってきた声は意外にも「落ち着いて、さぁ落ち着くんだ。この丸太につかまれ」と言う優しい答えでした。
この声の主は今でも忘れられない僕の命の恩人とも言える川崎少佐と言う方です。
この方は飛行機から大和を守る「高射長」という職についておられた方です。
「そうら、もう大丈夫だ」川崎少佐は僕に丸太をくれて別の方向へ泳いで行かれました。
「ありがとうございます」と言った僕はこれで少し落ち着いたのでした。
あちこちの上官から「生きているものは俺の周りに集まれ!」と言う号令がかかり、それぞれが持っている木材を集めて簡単なイカダを組むことができました。
そのイカダにつかまって僕たちは何時間も漂流していました。
そこへアメリカの飛行機が生き残りを殺すために3機やってきて、何度も機関銃を打ってきました。
この弾に当たって何人もの兵がそのまま死んでいったのです。
ずいぶんと長い時間が経ちました。
今朝からの激しい戦闘で疲れ気味だった上に冷たい水温は体力を消耗していきます。
何人かの兵はいつの間にか「こっくりこっくり」と居眠りを始めました。
それを見ていた横の兵が「寝るな、起きろ!眠ると死ぬぞ!」と顔を殴っては起こし、また眠っては起こしと言うように繰り返していたのですが何度目かに「もういい、寝かせてやれ」と言う命令が出ました。
そのままその少年兵は気持ちよさそうに眠ったまま重油の浮かぶ海に沈んでいきました。
そして全員がそれに向かって静かに敬礼をしました。
夕方になってやっと味方の駆逐艦が救助にやってきました。
大和が沈んだのは2時23分でしたから大体5時間ほど漂流していたことになります。
全員が疲労で、まさに「死の寸前」に助けに来てくれたのです。
艦の姿が見えるや、全員が喜びに満ちた顔になりました。
駆逐艦はスクリューに僕たちを巻き込まないように注意深く静かにゆっくり近づいてきました。
僕は100メートルほど離れて止まった駆逐艦の方へ泳いでいきました。
そこにはすでに泳いできた他の兵がいて、ここはここでまた地獄がありました。
駆逐艦からはロープがたくさん海に投げ込まれていました。
「ロープは1人1本ずつにしろ!」と艦の上から大きな声が飛んできました。
せっかくここまで命を落とさずにきたのに自分が先に上がりたいものですから、先に上がろうとする人の足を引っ張ったり、順番争いで喧嘩が始まったり、人のロープを奪い合ったりとても見ていられない光景で僕は正直「これが帝国海軍の兵隊か」とがっかりしました。
その時少し離れたところに先程の川崎少佐の姿がありました。
川崎少佐は部下全員の無事を確認すると先ほど大和が沈んだ海面の方角へ泳ぎだしてそのまま二度と戻って来ませんでした。
川崎少佐は「自分が飛行機から大和を守れなかったこと」に責任を感じて大和の沈没地点で死のうと思ったのでしょう。
僕に優しい言葉をかけて勇気づけて持っている丸太を渡してくれたあの川崎少佐はそれほど責任感の強い人だったのです。
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