第8話 大和に乗った日

昭和20年1月12日、僕は初めて憧れの大和に乗り込みました。


大和の中はまるで迷路のようになっていて、1週間たっても自分が今どこにいるのか、前を向いているのか後を向いているのかもわからないほどの広さでした。


僕は横須賀の大砲の学校を出たのですから仕事は大和の主砲が相手の艦に当たるように「照準」といって距離と角度を計算して狙いをつける事でした。


夢にまで見た戦艦大和に乗れて、さらに1番高い場所で世界一大きな大砲の仕事ができることを知った僕は本当に大喜びしました。


「男に生まれてこんなに素晴らしい仕事ができて最高だ」と思ったのです。


そして僕の働き場所のすぐ下は艦長や司令長官といった偉い人たちが指示を出す「防空指揮所」と言う場所なので、「足の下に偉い人たちがいるんだ」と思うだけで緊張と興奮が止まりませんでした。


しかし僕の部屋から1番上の仕事場まで行くのがこれまた大変で、迷路のような艦内を走って甲板まで出るのがまず一苦労、そして高さ34メートルもある艦橋のてっぺんまでは途中まで階段で上がり、そこから先は足がすくみそうになる「モンキー・ラッタル」と言うハシゴで上がるのですが、1回でも下を見ると「きゃー」と叫びそうになるほどの高さでした。


それはそうですよね。

海面から34メートルと言えばマンションの十階位の高さですからね。


大和に乗って1週間は腕に「新乗艦者」と言う腕章を巻いていました。


これは現代のクルマ社会で言う「初心者マーク」ですね。


このマークのついてる間は、先輩たちに方向や部屋を聞いても良いのですが、1週間が終わった時に全員集合がかかりました。


「本日をもって全員の腕章をとるぞ!」そう言ってニヤニヤした顔で腕章と引き換えにハガキの大きさの紙を渡されました。


「総員、その紙に書いてある部署に行き責任者のハンコをもらってこい」と言うのです。


大和の艦内が覚えられたかどうかのテストなんですね。


さぁ、それからが大変です。

全員がおのおのの紙を手に、艦内をうろうろさまよい始めました。


僕は後部の機関室のある部署でしたが、そこへ行ってハンコをもらって帰るまでに2時間ほどかかりました。


ついに夕方になっても帰ってこない者が出てきました。


「乗艦者何名が行方不明となっている。総員で探し出すように」と言って最後は全員で探し回らなければならないほどの迷路のような内部だったのです。

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