第7話 海軍の生活 2

またこの頃、学校内でこういう話も聞きました。


「今、アメリカとドイツ、イギリスでとてつもない爆弾を研究している。この爆弾はわずかマッチ箱1つの大きさで戦艦大和を粉々にしてしまうほどの力を持っているのだ。この爆弾を『ウラニウム爆弾』と言って最初に完成した国が今回の戦争に勝ち残るのである」と。


事実この通りになりましたよね。


これは皆さんもよく知っている「原子爆弾」のことを言っていたのです。


そして翌年の夏に広島と長崎にこの爆弾を落としたアメリカが戦争に勝ちましたよね。


このように横須賀の砲術学校では、今まで僕が知らなかったあらゆる専門知識を教え込まれたのでした。


次に僕が行かされたのが、九州の大分県にある佐伯防備隊と言う豊後水道に面した基地でした。


軍艦に乗れると思い、頑張って大砲の勉強をしたのにこんな何もない基地で海の見張りをするだけとは、正直僕の心はがっかりした気持ちでいっぱいでした。


やることがないので、暇つぶしに空に向かって機銃を撃つ訓練が毎日続きました。


今考えると海軍に入って1番暇な時間でした。


しかし良い知らせが突然やってきたのです。


わすれもしない昭和20年の1月9日、上官が僕のそばに来て耳元でささやいたのです。


「おい、八杉。お前が次に行くところが決まったぞ」と。


一瞬、僕は「どきっ」としました。


なぜなら成績が悪かったら敵にやられそうな島やすぐに沈む船に乗せられるからです。


しかし「お前は戦艦大和だ。よかったな、あの船は沈まんぞ。あの船が沈むときは日本が沈む時だ」との言葉が耳に飛び込んできたではありませんか。


今だったら「え、マジ!」というところでしょう。


思わず「本当ですか?」と尋ねました。


この時は「カッ」と体中が熱くなってしばらく体が動かなかったことを覚えています。


僕は早速、大和がいる広島県の呉に向かったのです。


その頃に開通した関門海峡の海底トンネルを通って憧れの大和に向かう僕の心はまさにバラ色でした。


後から聞くと、僕はすでに大和乗り組みが決まっていたのですが、この時大和はまだ遠い南方にいて日本に帰ってくるまで時間がかかったのでその間の時間つぶしに佐伯に行かされたのだそうです。

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