第3話 小学校時代

僕の名前は八杉康夫といいます。


僕は昭和2年、広島県の東部にある福山市で生まれました。


福山は瀬戸内海に面した古くからの静かな城下町でとても魚の美味しいところです。


街の真ん中には江戸時代からの福山城がそびえ街のどこからでもその勇姿が見えたものです。


この街で僕のお父さんとお母さんは昔からお豆腐屋さんをしていました。


毎日、朝早く起きて僕もお豆腐作りのお手伝いをしたものです。


皆さんと同じように元気に毎日小学校へ通っていた僕は戦争とは正反対の平和な芸術である音楽が大好きな少年でした。


小学5年生の時に音楽の先生に「八杉くんは大きくなったら東京の音楽学校へ行きなさい」と言われたほど僕は音楽が大好きな少年でした。


もし今のように平和な日本であったらそのまま大好きな音楽の学校に入って勉強をしていたと思います。


当時は福山にはピアノが3台しかなくて、そのうちの1台が僕の通っていた小学校にありました。


そのピアノに初めて触った時はものすごく感動しました。


「大きくなったらピアノを弾く仕事ができたらなぁ」と真剣に思いましたが、そのことをお父さんに相談すると「男がピアノなんてとんでもない」と逆にひどく叱られたのです。


その頃の日本は今と違って「軍隊」が日本を動かしていました。


僕が小学校3年生の冬には「2・26事件」と言う事件がありました。


兵隊さんたちが自分たちの思い通りのようにしようと思って自分たちに反対する政治家たちをたくさん殺してしまったのでした。


とてもひどい時代でした。


その頃から世の中はだんだん軍隊中心の日本になっていきました。


そして小学4年生の7月7日ちょうど七夕の日の夜に、日本は今では仲良くしている中国と戦争を始めました。


日本が中国を思い通りにしようとしてそれまで様々な迷惑をかけていたために戦争になったのです。


ある日、学校で授業を受けていると教室のスピーカーから「皆さん、急いで校庭に集まりなさい」と言う声がしました。


小さな日の丸の旗を持って全員が校庭に集合しますと学校の校門の前を戦争に出発する兵隊さんの行列が勇ましいラッパの音とともに通り過ぎました。


この行列に向かって小学生全員が小さな日の丸の旗を振って「兵隊さん、頑張って!」と大きな声を出して送り出しました。


その頃の男の子たちは全員「大きくなったら立派な兵隊さんになる」というのが夢でした。


僕もいつの間にかピアノの道を諦めて「大きくなったら日本のために戦おう」と思い戦争に行く兵隊さんたちの行列を見送ったものです。


何ヶ月か過ぎたら今度はまた「全員、急いで校庭に集まりなさい」と声がしました。


今度は勇ましいラッパではなく、ゆっくりとした音楽に乗って行列が帰ってきました。


たくさんの兵隊さんの胸に白い四角の箱が僕たちの目に留まりました。


先日、見送った兵隊さんたちが殺されて骨になって帰ってきたのです。


この行列を見て僕たちは「にっくき敵兵め!今に見ていろ」と心の中で敵討ちを誓ったのでした。


このように僕の小学校時代はいつも戦争と隣り合わせの生活だったのです。

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