第2話 ようこそ大和へ!

「ようこそ大和へ!」


これが僕が初めて戦艦大和に乗った時に聞いた最初の言葉でした。


どうですか、非常にスマートな挨拶だとは思いませんか?


背筋をぴんと伸ばした当直下士官が大和の入り口に立っていました。


そしてキリッとした表情で言ったこの言葉で僕は大和に迎えられたのです。


大きく深呼吸してもう一度ゆっくり周りを見ました。


僕は今にも押しつぶされそうになるほどの大きさの主砲と艦橋を見上げて「よーし!ついに憧れの戦艦大和に乗れた」と感動で涙が出たことを今でも覚えています。


昭和20年1月12日の寒い日、こうして僕は初めて憧れの戦艦大和に乗り込みました。


戦艦大和は長さ263メートル、高さ48メートル、幅39メートル、重さ73,000トンもある当時世界で1番大きかった軍艦です。


ほぼ東京駅と同じ長さでした。


広島県の呉と言う軍港から「巡洋艦矢矧」と言う軍艦に乗って4時間ほどかけて柱島と言う島の南に停泊している大和に向かいました。


巡洋艦矢矧は戦艦大和の10分の1ほどの大きさの艦ですが、その艦でさえ、乗った時は「わー!すごい大きな艦だな」と感動したほどです。


僕たちを乗せた巡洋艦矢矧は瀬戸内海のいくつもの島を通り過ぎて、ついに目指す戦艦大和の停泊している場所に近づきました。


その途端、僕の目になんだかハリネズミのような島が飛び込んできたではありませんか。


「とげだらけの変な島だなぁ」と思っていたらなんとそれが大和の後ろ姿だったのです。


大和は島と見違えるくらい大きく見えました。


矢矧は静かに大和の2キロメートルほど横に止まりました。


お城の天守閣のように見上げるような高さの艦橋にまず驚き、次に世界一の主砲の長さと大きさに驚きました。


最初に案内されたのは居住区です。

わかりやすく言えば自分の寝起きする部屋です。

この部屋は1番主砲の砲身のすぐ下にありました。


そこにあったチェストと言う身の回りの品を収める整理箱には「八杉」と僕の名札が既に貼ってありましたので、「これで今日からいよいよ僕も大和の乗組員だ」と言う意識がますます湧いてきました。


そして次にいよいよ僕の担当する部署に連れて行かれました。


戦艦大和の1番高い構造物を「艦橋」と言いますが、なんとその中でもさらに1番高い位置にある測的所と言う場所が僕の配置でした。


高さは海面から34メートルと言うとても高いところにあったのです。


下の甲板にいる人が「ゴマ粒のように小さく見えるなぁ」と思っていたところへ先輩から「八杉、ここがお前の死に場所だぞ。しっかり頑張れよ」と背中をポンと叩かれながら言われました。


この言葉を聞いたとき、まさにこの場所が17年間の僕の人生を終える場所なんだなと覚悟したのです。


しかしそれは決して辛い覚悟ではなく、むしろ誇りに近い覚悟であったのです。


「男に生まれて大和で死ぬなら本望だ」とお守りをぎゅっと握り締めて、覚悟を決めた僕は短かった自分の17年間を振り返りました。


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