第38話 虎穴に入らずんば

時は遡り、クロウが風呂場へ足を運んだ直後のこと。アリスが部屋のベッドで転がりながら考えを巡らせていると、コンコンと彼女の部屋に来訪者を告げるノック音が響いた。


彼女はけだるげな顔でベッドから起き上がると、子供用にも見える小さな黒い靴を履き扉へと向かった。ドアアイで来訪者を確認することもなしに、無造作に扉を開けた。そこには、無表情な顔でたたずむスキアがいた。


「どうしたんだい、こんな夜更けに?」


「主人がアリス様にお話しがあるそうでございます。主人の部屋まで来ていただけますか?」


そう平坦な口調で言うスキアの瞳には何も映っていないように見えた。アリスはしばし考えこんだ。トゥーリがもしアリス達に嘘をついてアンネの娘——ティアを匿っていたなら、トゥーリは悪意を持ってアリスを呼び出した可能性もある、慎重になるのは当然であった。


だが、これ以上情報が得られそうにない現状況において、虎穴に入る価値は十分にある。そう考えたアリスは、その申し出を受け入れた。


「あぁ、ちょうど暇を持て余していたんだ。もちろん、おいしい紅茶とお菓子はあるんだろうね?」


アリスは自身の緊張を悟られないように、余裕があるように見せた。スキアはそんな様子を見ても表情を変えることなく、ペコリとアリスに一礼すると薄暗い廊下を歩きだした。


「ちょっと待ってくれ、クロウも誘ってみるよ」


とアリスはスキアを呼び止め、返事も聞かずにクロウの部屋の扉を開けて薄暗い室内へと入った。


「主人からはアリス様だけを呼んでくるように仰せつかっておりますので、クロウ様はご遠慮ください」


スキアがクロウの部屋の外からアリスに向けて声をかける。アリスは薄暗い部屋でごそごそと何かを一瞬しているように見えたが、すぐに廊下へ出てきた。


「クロウは風呂にでも行ったようだね。わかったよ、私だけで行くよ」


アリスがそう言うとスキアは再び廊下を歩き始めた。アリスは前方を歩くスキアの後に続きながら、彼女に話しかけた。


「君は今日見る限り、感情の起伏がほとんどないようだけれど、元からなのかい?」


「はい、私の記憶があるのはこの屋敷にきて以降なのですが、その当時から感情を表に出すのは不得手でした」


カツン、カツンとスキアの履いているヒールの音が廊下に響き渡る。


「じゃあ、君は父のことも母親のことも覚えていないのかい?」


「はい、まったく覚えておりません」


「君は不安じゃないのかい?自身の記憶がないことが?」


アリスの問いにスキアはよどみなく答える。まるで、あらかじめ決められたセリフを淡々と読み上げるように。


「いえ、不安はございません。トゥーリ様にはとてもよくしていただいておりますゆえ」


そして、スキアはくるりとアリスの方を向き直り言った。


「こちらが、主人の部屋となっております」


案内されたその部屋の扉は、他の部屋よりもほんの少しだけ装飾が多いようにも思えた。アリスはつばをごくりと飲み込み、こぶしを握り締めてその扉を開けようとした。しかし、その時スキアの足元からいきなり影が飛び出てきて、アリスの足を引っかけた。


運動神経の悪いアリスが当然避けられるはずもなく、びたーんと顔から倒れた。アリスは20秒ほどのたうち回ると、目に涙をためスキアをにらんだ。


「大変申し訳ございません」


スキアは感情のこもらない声ではあったが、深々と頭を下げた。アリスは赤くなったおでこをさすりながら言った。


「まぁ、いいさ。君は魔法の操作があまり得意ではないようだしね。頭を上げてくれ」


そして、アリスは扉をあけ、トゥーリの部屋へと入った。彼女の部屋は他の屋敷の部屋以上にところせましと絵が並んでいた。その中でも、一段とアリスの目を引く絵画があった。そこに描かれているのはアリスの見知った人物によく似ていた。


「なぁ、この絵は——」


アリスが言い終わる前に


「こちらへお座りください」


と有無を言わせない口調でそう言った。アリスはしぶしぶ目の前の椅子に腰かけた。


「それで、一体全体何のようだい?」


「こんな夜更けに及びたてしてすみません。クロウさんのいないところでお話ししたかったもので」


アリスは片方の眉毛をピクリと動かして、聞いた。


「……どうしてクロウがいない方がよいんだい?」


「えぇ、実はアリスさんにだけ提案したいことがございますの」


トゥーリはふふふっと笑っている。彼女のその青い瞳には狂気が満ちているようにアリスには感じた。


「実は、アリスさんにはこの屋敷に、時が来るまで住んでほしいんですの」


「……それは何の冗談だい?私たちは早くティアを見つけて母親のもとへと連れ帰らなければならないんだ」


「えぇ、ですからそれはあきらめていただくということで。衣食住は保証しますし、そこまで悪い話でもないと思うのですが」


そう笑顔で話す彼女からは本気でそう言っていると思わせる何かがあった。


「いいも悪いもあるものか。それになんで私なんだ?それと、何のためにそんなことしなければならないんだ」


「アリスさんだけにこの申し出をする理由は、あなたの魔力量が素晴らしいからですよ。一目見た時にわかりました。あなたからあふれ出る魔力量の多さ、通常の魔族の何十人分もあるのではないですか?あと、何のためにでしたか。それはもちろん決まっています。きたるべき嵐のためですわ!」


トゥーリの勢いに若干気おされながらアリスは聞き返した。


「嵐っていったい何の話だい?」


「もちろん、戦争のことですわ。あの忌々しい人間どもへ積年の恨みをはらす血戦のことです。魔王——イアン・ル・デセル様の仇をついに・・・ついに討つことが出来ます!」


アリスはそんな狂気に満ちた彼女を静かな瞳でじっと見つめ、苦々しい表情で言った。


「……君は強硬派の者だったのかい。あいつらと同じで瞳に狂気が宿っている」


アリスはふぅと自信を落ち着けるように息を吐くと


「君の目的は理解した。だが、私は君の目的に賛同もしないし、協力もしない。これで話は終わりなら失礼させてもらうよ」


そう毅然と言い放った。


「だれもあなたの意見なんか聞いてない」


先ほどまでの丁寧な話し方と陽気さがウソのように、尖った声音でトゥーリは言った。その青い瞳は見開いており、アリスは直感的に身の危険を感じ扉の外へと向かおうとした。だがその時、アリスの周りを強い光が包んだ。


ギィィとトゥーリの部屋の扉が開き、中からきれいな黒髪の少女——アリスが出てきた。そして、何事もなかったかのように自室へと帰っていく。そんな様子を見ながら、トゥーリは満足げに足元に転がる何かを拾い上げた。それは決死の表情で何かから逃げようとする少女——アリスが描かれたであった。

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