第39話 クロウの声は届かない

翌朝、クロウはドアをノックする音で目を覚ました。寝ぼけ眼をこすり、大きなあくびをしながら扉を開けると、そこには昨日と全く同じ格好をしたスキアが立っていた。


「おはようございます。朝食の支度が出来ましたので、食堂へお越しください」


「ふぁぁ、おはようございます。分かりました、着替えたらすぐに向かいます」


食堂の方へと向かうスキアの後姿をぼんやり見送った後、自室に戻っていつも着ているシャツとズボンに着替えた。そして、ぼさぼさの赤髪はそのままに食堂へ向かおうとした。しかし、アリスのことを思い出し、Uターンしてアリスの部屋の扉をノックした。しかし、中から返事は帰ってこなかった。


アリスは先に行ったのだと、クロウは一人納得し食堂へと向かった。食堂に着くと、アリスとトゥーリはすでに朝食を食べていた。


「おいアリス、先に起きたならせめて一声くらいかけてくれよ」


小声でそう文句を言うクロウに、アリスは流し目で彼を見て


「あぁ、すまない。忘れていたよ」


そう冷たく言った。そんな様子を見て、昨日の夜からアリスらしくない言動が目立つと考えた。いつものアリスの言動も冷たいものも多々あるのだが、それでもその態度の中にわずかばかりは思いやりのような暖かな感情が含まれている・・・ような気がするとクロウは感じている。しかし、昨日の深夜と今朝のアリスはただただ冷たいという印象を受けた。


クロウは首をひねりながらも、目の前にある食事を黙々と片づけた。その食事はとてもおいしいはずなのだが、なぜだかとても味気なく感じる。クロウが半分ほど食べ進めた時、ちょうどアリスは食べ終わり、席を立った。そしてクロウに一言告げた。


「あぁクロウ、私はこの屋敷にしばらく住むことにした。すまないが、ティアという娘を探すのは君に任せるよ」


その言葉に、そのどうでもよさそうな言い方にクロウは目の奥がツンとなるような感覚を覚えた。アリスがそんな言葉を発したのが信じられなかった。出会ってまだ日が浅いとはいえ、クロウはその少女について多少なりとも知っているつもりだった。


蒼龍退治の時もなんだかんだ協力してくれ、アンネの時は自らの意思で彼女を救うと決めたアリス。冷たい言葉の中にも思いやりがあり、困っているものがいると放ってはおけない、それがアリスという少女だと思っていた。そんな彼女がアンネの件に関して、私事を優先し切り捨てたことをクロウは信じたくなかったのだ。


「おいアリス、お前がアンネさんに約束したんだろ!娘を必ず連れ帰るって・・・。なのに、お前は彼女のことを見捨てるっていうのか!?」


そう叫ぶクロウに対し、アリスは感情のない翠色の瞳で一瞥した。


「だから、すまないと言っているだろう。アンネにもすまないと伝えておいてくれ。じゃあね、クロウ。短い間だが楽しかったよ」


「ちょっと、待てよ!」


食堂から去ろうとするアリスの肩をクロウは思わずつかんだ。昨日と同じで、触れた感覚に違和感があったが、今のクロウにそれを気にする余裕はない。


「クロウ、君に私を止める権利はないだろう。私はこの屋敷でやらなければならないことがあるんだ、些事に時間を費やす暇はもうない」


アリスはそう言うとクロウの手を振り払い、食堂を後にした。確かに、もし本当にアリスがやらなければならないことがあるのなら、それをクロウに止める資格はない。だが、だけど——。


「お前はっ、アンネさんが……母親が死ぬ前に娘に会いたいっていう気持ちが些事だと思えるのかよ!」


こぶしを握り締め、歯を食いしばり叫ぶ。そうしていないと、何かが体から漏れていってしまいそうになる。アリスはクロウの叫びが耳に届いていないはずはなかったが、それでも彼女が振り返ることはなかった。


クロウは呆然としつつ、食堂を後にしようとした。だが、何かに気が付いたのか振り返り自分の席に座ると、残った朝食を急いで食べた。そして、食事の礼を言い、自室へと帰った。


「突然の申し出になってごめんなさい。後、昨日も話したようにうちの屋敷は決して裕福というわけでなく、食材などにも限りがあります。なので、今日は宿泊していただいても構いませんが、明日には出発していただけますか?」


帰り際に、トゥーリにそう言われたが、クロウは頷くことしかできなかった。彼は自室に帰ると、ベットに倒れ込んだ。決してアンネの娘探しをあきらめたわけではない。あきらめたわけではないのだが、感情は自身ではままならないもので、どうしたって気落ちしてしまう。


クロウは首をぶんぶんふると、自分の頬を手でバシィっと叩き、自身に喝を入れた。今は気落ちしている場合ではない、急いでティアを探さなければならない、と自信を奮い立たせようとした。そして、多少の元気を取り戻したクロウは、ふと自室の机を見た。そこには昨日の晩にはなかった一枚の小さな紙切れが置いてあった。朝は寝ぼけていて気が付かなかったのだろう。


クロウはその紙切れを何の気なしにめくった。それは走り書きをしたような、少し崩れた文字列のメモであった。そのメモを読んだクロウの顔はどこかほっとしたような、それでいて何かに怒っている表情になった。


『私はトゥーリの部屋へ向かう。もし何かあったら後は頼んだよ、クロウ』


そのメモにはこう書かれており、そして、差出人には”アリス”と書かれていた。

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