第16話 覚悟

「……それでクロウ、今の話を聞いて君はどうするつもりだい? 今日泊まる家すらなくなってしまったわけだが」


 アリスはいつも通りの口調でそう言った。それに対しクロウは、渋い顔をしながら


「どうするっつったってわかんねぇよ……」


 そう呟いた。クロウにはもう何が正しいことなのかさえ分からなくなってしまっていた。そして、マリーを救うべきじゃないのではないかとまで思い始めていた。実際、今の彼女はアレンにさえ触れなければ表面上とても穏やかな生活を送っている。クロウにはそんな平穏な日常を壊してまで彼女を救うのが正解だとはとても思えなかった。


 そんな様子を見ていたアリスはふぅとため息を吐いた。


「……まぁそんなすぐに答えが出たら苦労はしないだろうね。とりあえず、少し冷えてきたし、どこか滞在できる家を探そうじゃないか。——あぁあとこれ、忘れ物だよ」


 そう言って彼女は鞘のない刀とクロウの着替えを彼に差し出した。


「……マリーさんの家から持ってきてくれたのか、ありがとう」


 クロウは元気のない声で礼を言った。おそらくもう、マリーの家に入る機会はないだろうクロウにとって、アリスの機転はとてもありがたいものであった。


 そんな時、暗がりから足音が聞こえてきた。虫や風の音しかない暗がりの中では、その足音が1人であること、そしてこちらへ近づいてくることはクロウ達にとって容易に判別できた。


「誰だい?」


 アリスが少し警戒した声音で暗がりの人物に声をかけた。


「……警戒しなくてもいい、君たちに危害を加えるつもりはないよ」


 暗がりから姿を見せたのはこの村の村長——ローレンスであった。


「こんな夜更けに出歩いている理由を聞かせてもらっても?」


 アリスは警戒を緩めることなくそう彼に尋ねた。


「昼間パニックを起こしておったし、マリーが心配で様子を見に来たんじゃよ。そうしたら、マリーの家の前に大きな血だまりを見つけてな。マリーに聞いてみると、青ざめた顔をしておるが、何もなかったと頑なに言うもんで、こりゃあ何かあったと思って、周辺を見て回っていたら君らを見つけたというわけじゃよ」


 警戒しているクロウ達に対し、柔らかく微笑みながら言った。


「ここは冷えるじゃろう。うちへ来なさい、豪華なもてなしはできないが温かいお茶くらいならふるまうよ」


 ローレンスはそう提案すると彼の家へと歩き出した。クロウとアリスは顔を見合わせると、どちらともなく立ち上がり、ローレンスの後へ続いた。


 ローレンスの家はマリーの家より少し大きく、また古い建物だった。ローレンスに椅子に掛けて待っていなさいと言われたクロウとアリスは、彼がお茶を入れる間、無言で椅子に座っていた。10分もしないうちにローレンスはお茶を煎れて居間に来た。クロウは差し出されたお茶を受け取り、ずずっと音を立ててお茶を飲んだ。自分でも気が付かないうちに体がとても冷えていたのだろう、温かいお茶が体にしみわたっていくのをクロウは感じた。ローレンスもお茶を一口すすると、クロウ達の方を向き話し始めた。


「さて、まず君たちに一つ確認したいことがある。君たちはマリーの敵で、彼女に危害をもたらそうとしておるのかな? もし君が何かマリーに対して何か害をもたらそうというのなら、君とお嬢ちゃんを儂は、いや儂らは絶対に許さないよ。確かにわしらの魔力はお嬢ちゃんよりも圧倒的に少ない、さらに君も相当の力を持っているのじゃろう。それでも、たとえ力がなくともわしらは君たちをどこまでも追いかけ続けるよ」


 確かにその老人からは何の脅威も感じなかった。おそらく片腕だけでもこの老人を組み伏せるのは容易だろう。それでもなぜかクロウはこの老人から出るその意志に威圧されていた。この老人は脅しで言っているのではなく本気で言っているのがクロウには直感で理解できてしまった。


「……少なくとも俺たちは彼女に危害を加えるつもりはありません」


 そうクロウは正直に答えた。


「ではなぜ君はマリーに殺されかけたのかな?あの出血量でなぜ君が生きているのかは君が言いたくなければ言わなくても構わないよ、ただその理由だけは教えてくれないかい」


 そう問いかけるローレンスの口調は、表情はとても真剣なものであった。クロウはそんな彼を見て、覚悟を決めた。


「信じてもらえるかは分からない……。俺はこの国の前魔王を討伐した人間の国の勇者なんです。そして、その道中でマリーさんの旦那を殺してしまった……。だから俺は彼女に恨まれている、それこそ殺したいくらいにね」


 ローレンスはそうかとだけ呟き、何かを考えている様子だった。1分ほど静寂がその場を包んだが、唐突にローレンスは話し始めた。


「明日の朝になったらこの村から出て行きなさい。数日分の食料程度なら提供しよう。これ以上君たちが村にいてもマリーのためにならないだろう、もちろん君にとっても」


 クロウは罵詈雑言を浴びる覚悟をしていたが、ローレンスの表情からは怒りは感じられなかった。アリスも同様の疑問を持ったのだろう、ローレンスに質問した。


「君たち——村人たちはマリーをとても大切にしているように見える。それなのに彼女の夫を殺した奴が目の前にいるのに君はとても冷静な表情をしているときた。どうしてそんな表情でいられるんだい?」


「冷静とは少し違うのぅ。わしらが第一に考えておるのはマリーの安全と平穏なんじゃよ、それが彼女の夫——ハンスの望みでもある。だからいたずらにもめ事を起こしたくないんじゃよ」


「しかしだね、いくら村の仲間とは言え、そこまでして彼女の夫の意志を守ろうとするものなのか?」


 それを聞いたローレンスは一瞬話すのを躊躇したようであったが


「……そうじゃな、君達には話してもいいかもしれないな。我々がハンスの遺志を継ぎマリーを献身的に守っている理由だったかな?それはだね、懺悔じゃよ」


 悲しげな表情でローレンスは続けて話し始めた。


「魔王城への出兵の際、この村からも一人戦士を派遣しろという命令が下ってのう。わしらは誰に行かせるか大いにもめたよ。出兵は生きて帰ってこれる可能性は低いとうわさされていたからのう。そんな醜い争いを続けるわしらを見かねてか、ハンスは自分が行くと言い出した。生まれたばかりの自分の子供もいるというのにな。そのハンスの姿を見て、儂らは自分たちの行いがひどく恥ずかしいものだと気づいたよ。わしは、ハンスが行くのを止めたんじゃよ、結婚して子供もできてこれからが幸せだというところで出兵だなんてあんまりじゃからのう。ただ、ハンスは頑として自分が行くといったよ。自分が行く、その代わりに村の人たちには仲良く笑っていてほしいと、そしてマリーとアレンのことを見守ってほしいと頼まれたよ」


 そう話してくれた。さらにローレンス氏はふうと一呼吸置き続けて語り始めた。


「ハンスがどうなったかは君も知っているとおりじゃろう。マリーはハンスの帰りを来る日も来る日も待ち続けた。しかし、彼が返ってくることは当然なかったよ。わしらはマリーに元気を出してもらおうとしたが無理だったよ。そうしているうちにアレンが……。だからせめてもわしらはマリーの平穏を守らなければならないんだよ」


 沈痛な面持ちでローレンス氏は言葉を切った。それ以上は思い出すのもつらいのだろう。そして最後にクロウに向き直り


「だから頼む、この村、彼女の平穏のために出て行ってはくれないか……」


 そう言って頭を下げた。その姿にクロウは昔の自己を見た。仲間が全員死に、罪悪感に押しつぶされていたあの頃の自分を。己の無力さ、誰も救えなかった、守れなかったことによる自分への失望、どうすれば救いたい人を守れるのかわからない。どこに進めばいいのかわからない、どちらが前かもわからない、彼らもきっと暗闇で今ももがき苦しんでいる。


「……まだ出て行くわけにはいきません。俺は自分がしたことへの責任を取らなくちゃいけない」


 そう言い放ったクロウをローレンスはじっと見つめて言った。


「クロウ君、君はマリーの夫であるハンスを殺してしまった自責の念にさらされているのかもしれないが、君はその責任や悔恨から逃れたい、救われたいだけではないとなぜ言えるんだい」


 その言葉を論理的に否定することは今のクロウには不可能だった。そんな時、クロウを救った彼女の言葉が浮かんだ、必要なのは罪を背負い進み続ける覚悟だということを。クロウはこぶしを握り締め、言った。


「確かに、俺自身が救われたいと思っているのかもしれない。でもそれ以上に、マリーさんに刺された時のあの表情が——あの悲しそうな表情が頭から離れてくれないんだ。」


 そう話しているうちにやっとクロウは自分が何を願っているのかを理解した。


「そう、ただ俺は笑っていてほしいんだ。表面だけ取り繕った笑顔じゃない、本当の笑顔でいてほしいと思っているんです。それはマリーさんだけじゃない、この村の人たちにもです。でもきっとあなた達に俺がいくら言葉を尽くしても、あなた達を救うことはできないんでしょう。それに、俺の足りない頭じゃあ、どうすればあなた達を救えるのかはわからない。救う資格があるのかさえも」


 そこでいったんクロウは言葉を区切った。そして、覚悟を決めた。暗闇の中でも、一歩踏み出す覚悟を。大事なのはきっと、前に進んだかどうかじゃなく前に進もうというゆるぎない決意であると信じて言い放った。


「それでも俺はあなた達を救って見せる」

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