第13話 憎悪
それから数日はクロウにとってはとても久しぶりの楽しい時間だった。朝日で目を覚まし、質素ながらも温かい朝食を食べ、日中は働きながらも、作業をする人たちと談笑する。そして、夕方に家へ帰って風呂に入り、朝よりはちょっぴり豪華な夕食を食べ、温かい布団で眠る。そんな心休まる日々をクロウは過ごしていた。
だが、そんな平穏に翳りが見え始めた。いつも通り、橋の復旧をしているとアリスやマリー達が昼食を持ってきた。マリーは持ってきた荷物の中から水筒を取り出し、カップにお茶を注いでクロウへと渡した。
「だいぶ橋の復旧も進んだわねぇ、あとどれくらいで終わりそうなの?」
差し出されたお茶を受け取りながら、クロウはその質問に答えた。
「あと、数日もあればとりあえず、渡れるようになると思いますよ」
「そうなの、助かるわぁ、いい加減食料が減ってきてて、困っていたのよ。やっぱり隣町からの業者が来ないと食べ物が不足するのよねぇ」
そんな風に穏やかに談笑しながら昼食をとった。そろそろ作業を再開するかと男たちが腰を上げ始めると、マリー達は食事の片づけをし、家に帰ろうとした。その矢先、マリーの後ろをいつも通りおぼつかない足取りで歩いていた彼女の息子のアレンが足元の段差に躓いて転んだ。それを見て、アリスがすぐに助け起こそうとした。
「大丈夫かい? ほら」
そう言って手を差し出し、アレンの手に触れた。その瞬間
「アレンに触らないでっ!!」
マリーはそう甲高い声で叫びアリスを突き飛ばした。小柄なアリスは宙に浮きそのまま地べたにしりもちをついた。マリーは自分のしたことにハッと気づき、
「ご、ごめんなさいね、アリスちゃん。私ったらつい動揺しちゃって」
そう申し訳なさそうに言った。
「いや、大丈夫。このくらい問題ないさ」
そう言ってアリスは立ち上がり、服についた汚れをはたいた。マリーはそのあともう一度アリスに謝り、そうして家へ戻っていった。そんな様子の一部始終を見ていた村人たちだったが、彼らは何事もなかったように作業へ戻っていった。
クロウは息子に触れた程度であんな反応をするのは明らかに異常であり、そんな様子をまるで当たり前だというように対応している村人たちに不自然さ、不気味さを感じた。
そんなしこりのような違和感をぬぐえないまま、その日の作業はいつもより1時間ほど早く終わった。帰り際、クロウは村人たちに昼のことに関して聞いてみたが、皆そろってお茶を濁すばかりだった。
どこか、釈然としないまま彼はマリーの家へと帰路についた。すると彼女の家の前に誰かが立っているのが見えた。またアリスかな?とクロウは考え、近寄ってみるとその人影の正体は家主——マリーであった。
彼女は後ろ手を組み、クロウにほほ笑みかけた。
「クロウ君、お帰りなさい。今日は早かったわね」
「今日は、作業が一区切りついたんで早めに解散になったんですよ。あと、3,4日中には橋が完成しそうですよ。それよりもどうしたんですか?軒先に立って」
「あなたのことを待っていたのよ」
続けて彼女は
「あなたに2つ謝らないといけないことがあってね」
そう言い、一歩一歩クロウの方へ歩いてきた。
「俺に?何も謝られることはないと思いますけど」
そう聞く彼に、マリーは寂しげに笑っていった。
「1つ目は昼間のことよ。ごめんなさいね、ヒステリックに叫んじゃって、びっくりしたでしょう」
「いえ……別にそんな謝ることじゃないですよ。確かにびっくりはしましたけど、何か理由があるんでしょう?もしよければその理由を話してもらえませんか?何かの助けになれるかもしれませんし」
「ふふっ、優しいのね。叫んじゃった理由はね、そうねぇ。アレンは私にとって最後の、そして最大のよりどころなのよ。たぶんあなたが想像する以上にね」
そういう彼女の雰囲気から、クロウはこれ以上詳しくは話してもらえないだろうことを直感的に悟った。
「……それで2つ目の謝りたいことって何です?正直心当たりが全くないんですけど」
「それを言う前に、1つ君に質問してもよいかしら?」
クロウは、近づいてくるマリーのただならぬ雰囲気にようやく気が付いた。そして、若干緊張しながらも、大丈夫ですよと答えた。マリーはありがとうと微笑むと
「ハンスっていう名前に心当たりがあるかしら?」
クロウには全く聞き覚えがなかった。村人の中にもそんな名前の人はいなかったし、昔のクロウの友人にもいなかった。
「いえ、聞いたことがない名前です。誰なんですか?」
マリーはクロウの目の前に立ち、悲し気に、覚えてないのねと言った。そして、突然クロウの方へと寄りかかり、言った。
「ハンスはね、私の夫なの。あなたが殺したね——」
「それはどういう……がはっ」
疑問を投げかけようとしたクロウの腹部に刺すような痛みが走った。見ると、彼の腹部には包丁か刺さっており、着ているシャツにじわじわと血が広がり始めていた。
マリーはクロウに刺さった包丁を抜くと、クロウを思いきり前へ突き飛ばした。そして、あおむけに倒れたクロウに馬乗りし、さらに包丁を突き立てた。クロウは腹部への激痛で思わず叫んだ。
「ぐあぁぁぁぁぁ、ど・・・どうして」
息も絶え絶えに、そう聞くクロウの腹部からは大量の血液が吹き出していた。その噴出した彼の血はマリー服や顔を彼女の赤い髪の毛よりも赤い、真紅に染め上げた。マリーはクロウの言葉が聞こえていないのか、涙を流しながらクロウを刺し続け、そしてぶつぶつと何かをしゃべっていた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい——」
彼女は必死に、鬼気迫る形相で誰かに、もしくは何かに謝っていた。クロウは話そうとしたが、ごぼっという血の塊が口から吹き出すだけで話すことが出来なかった。なすすべのないクロウは、彼女へ向かってほとんど感覚のなくなった手を伸ばした。詳しい理由は分からないが苦しそうに泣いている彼女を見捨てたくなかった。
マリーはその手を見て、ひっ、と恐怖の声を上げた。救いたいと願うクロウの思いとは裏腹に、反撃されると思ったのだろう。彼女は肩口に刺した包丁を抜き、クロウの心臓を一突きにした。そして、立ち上がると彼女はおびえた表情をしながら彼女の家に走り、そして中へと入っていった。クロウは全身の激痛が徐々に薄れ、視界がかすんでていくのを感じていた。そして、彼は絶命した。死の間際、彼の脳裏に浮かんだのは悲しそうになくマリーの表情であった。
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