第11話 平穏
小さなバタンという音でクロウは少し覚醒した。ベッドの隣を見ると隣に寝ているはずのアリスの姿がなかった。窓を見ると、朝日が差し込んでおり、外からは鳥の鳴く声が聞こえる。穏やかな朝だなぁとクロウが思っていると、部屋の外からアリスとマリーの声が聞こえてきた。何を話しているのか少し興味がわいたが、湧き上がる二度寝の欲求に抗うほどではなかった。大方、トイレの場所でも聞いているのだろうと思い、そのまどろみに再び身を任せた。
部屋の扉が開く音でクロウは再び目を覚ました。目を開くと扉の外にはアリスが立っており、クロウに語り掛けてきた。
「あぁ、起きたのか。ちょうどよかった、もうすぐ朝食の準備ができるそうだよ」
了解とクロウはベッドから起き上がり、アリスと並んで台所へと向かった。その道すがらクロウは早朝のことをアリスに尋ねてみた。
「そういや、朝早くマリーさんと何か話してたみたいだけど、何を話してたんだ?」
その何気ない問いにアリスはぴくっと反応し、若干顔をこわばらせた。
「ん? なんか聞いちゃいけないことだったのか?」
「いや、特に何でもない世間話さ、最近のソルビスの様子なんかを教えていたのさ」
クロウにとってソルビスという場所はもっとも忌むべき場所であった。なぜなら、その場所は彼が魔王を討伐した場所であり、原初の呪いをかけられた場所でもあるのだから。だが、クロウの心は以外にも平穏であった。
「ソルビスっていうと人間の国でいう王都みたいなところか、なんか変わったことでもあったのか?」
「最近だと目下、新たな魔王選定が行われるくらいかな。君が魔王を殺して以降ずっと続いていた魔族間でのごたごたも最近やっと落ち着いてきたからね」
「やけに詳しいな、もしかしてソルビスに住んで——」
クロウの問いは台所のマリーの声にさえぎられた。
「二人ともよく眠れたかい?昨日の残り物のスープだけど、好きなだけ食べて頂戴な」
そう言って、器をクロウとアリスに手渡してきた。
「助けてもらっただけじゃなく、朝ご飯までごちそうになってすみません」
クロウがそう礼を言うと、マリーは微笑んだ。
「何言ってるの、困ったときはお互い様でしょ?」
その言葉を聞いて、クロウは今まで魔族は悪だと思っていた自身の考えを恥じ、魔族だろうが人間だろうが善人はいるのだと考えを改めた。だからこそ、クロウは気が付かなかった、彼の隣でアリスは顔を伏せ、神妙な顔をしていたことに。
食事が終わり、後片付けをしていると、マリーがふと思いついたというように尋ねてきた。
「それよりあなたたちこれからどうするんだい?行く当てはあるの」
その問いにはアリスが答えた。
「いいや、困ったことに私たちは家無し、宿なしなんだよ。」
アリスが首をすくめてそういうと、マリーはぱっと思いついたように言った。
「それじゃあ、しばらく私の家、というよりこの村にいないかい?実はこの前の長雨のせいで村に被害が結構出ちゃってね、復興を手伝ってほしいのよ。そのかわり、朝昼晩の食事と寝床は保証するわよ」
アリスはクロウのほうを向き、どうする?というような眼を向けてきた。その瞳は不思議と真剣なまなざしに見えた。
「あぁそうだな……、じゃあしばらくの間世話になることにするよ。力仕事なら任せてくれ」
クロウはマリーのほうを向いてそう言った。今のクロウには帰る家もないし、それに彼は魔族について知りたいと考え始めていた。今まで彼にとって魔族とは単なる敵であった。しかし、アリスやマリーを見て、魔人も人でも悪い奴はいるし、良い奴もちゃんといることに気が付いたためだ。それなら、とクロウは思う、人と魔人が手を取り合える未来もあるんじゃないかと——。アリスのほうを見るとクロウのほうをじっと見ていた。その瞳は先ほどとは違い何の感情もこもっていなかった。
「それで、復興って何をすればいいんだ?」
アリスの視線の意図は彼には理解できず、とりあえずマリーへと質問した。横目でアリスの方をちらりとうかがうと、なんともない様子でマリーを見ていた。
「そうね、クロウ君、君には隣りの町へ行くための橋の修繕を手伝ってもらおうかしらね。木材を運ぶ人手が足りなくて困っていたのよ。それでアリスちゃんには、そうねぇ作業している人たちのためのごはんづくりでも手伝ってもらおうかしらね」
「あぁ、大船に乗ったつもりでいてくれ。料理は得意分野ななんだ」
アリスは先ほどまでの表情はどこへやら、すっかり元の調子に戻っている。
「それじゃあ、クロウ君に仕事を教えるから食べ終わったら外に出ましょうか」
そういって、マリーは食事の片づけを始めた。
クロウは食事の片づけを手伝った後、言われたとおり外へ出た。扉を開けるとまず目に入ってきたのは花壇に植えられた美しい青色の花だった。一陣の風がさっと吹きすさぶと、ほんのりと甘い香りがした。
「おぉ、きれいな花だね」
クロウの後に家から出たアリスが感嘆の声を上げる。マリーはそれを聞いてうれしそうに微笑みながら言った。
「これはねエクリースっていう花でね、幸福を呼ぶといわれているのよ」
クロウには不思議とマリーの嬉しそうな顔とは裏腹にその声音には悲しさが混ざっているように感じた。それも気になったが、クロウにはもう一つ不可解な点があった。確かに花壇に咲いている花——エクリースはきれいだが、エクリース以外の花が全くなかった。クロウがその疑問を口にしようとしたとき、服の裾を誰かが引く感触がした。見るとアリスが彼のほうを向き、小さく首を振っていた。そんな様子には気づいていないのか、マリーは続けて話した。
「じゃあ、クロウ君はあそこにいる長身の男の人についていってね。アリスちゃんは私と一緒に来てちょうだい」
クロウは言われた通り長身の初老の男のもとに歩いていった。
「おぉ、君がマリーの言ってた若者か、なるほど、いい体付きをしているな。こりゃあ助かったわい。じゃあとりあえずここにある木材を橋まで運んでくれるかの」
「分かりました、……ええと」
「ん? あぁわしの名前か? まだ名乗ってなかったの。わしの名前はローレンスじゃ、この村の村長をしておる。君の名前は確かクロウ君じゃったかな。」
クロウは肯定の返事をしつつ、そばに置かれた木材をすべて担いで、カイヤックに道案内され荷運びをした。
昼過ぎごろまでひたすら木材を運んでいると、アリスやマリー、他に何人かの女性たちが昼ご飯を持ってやってきた。男たちは顔をほころばせ、腹減ったーと言いながら女性たちの持ってきたおにぎりを口にした。どのおにぎりもきれいに握られていてとてもおいしそうであった。男たちはすごいペースでおにぎりを口にしている、急がなければ自身の食べる分がなくなりそうだと、クロウは急いで手を伸ばし、すでに少なくなったおにぎりに手を伸ばした。その時、唯一減っていないおにぎりの山があることに気が付いた。それはほかのおにぎりとは違い、歪な形をしていた。まぁ、形はどうでもよいかと彼はそのおにぎりを手に取り、がぶりとかぶりついた。すると米のほのかな甘みがまず口の中に広がり、そしてそれよりもはるかに甘い味が米のほのかな甘みを消し去っていった。予想外の味にクロウはむせてしまった。そんな彼を見かねてか、マリーがカップに入ったお茶を差し出してくれた。
「大丈夫かい?ほらっ、お茶をお飲み」
それを一息で飲み切り、クロウはマリーに
「はぁ、死ぬかと思った。ここの村ではおにぎりに砂糖を入れる文化でもあるんですか?」
と聞いた、聞かずにはいられないほどの甘みだった。その質問を受けたマリーはクロウから目をそらし空笑いしながら答えにならない答えを返してくる。
「あぁー、まぁあんまり料理したことがないなら砂糖と塩を間違えてもしょうがないわよねー……」
どういうことかわからずアリスに助けを求める視線を送った。しかしアリスの目を見ると、アリスは目をそらした。回り込んでまたアリスの目を見るとまた目をそらされた。クロウはまた回り込んでみるという動作を3たび繰り返したところアリスは根負けしたように
「だーっ、しつこいな君は。君が食べたおにぎりを作ったのは私だよ。ま、まぁ多少は間違えたかもしれないが食べれないことはないだろう……」
そういっておもむろにおにぎりに手を伸ばし、一息にかぶりついた。そして見る見るうちに顔色が徐々に青くなっていった。クロウはアリスに無言で容器に入ったお茶を差し出した。アリスはひったくるようにしてそれを受け取るとのどを鳴らしておにぎりごと飲みこんだ。クロウはその様子を苦笑いしながら見つつ、歪に握られたおにぎりの山から新たに一つとると、がぶりとかぶりついた。
「なっ——、クロウ別に無理して食べなくても……、それにそのおにぎりは失敗作で……」
アリスはか細い声でそう言った。
「ん、まぁ別に最初は驚いちまったけど、頑張ればくえねぇことないしな。それに腹減ってるし、ありがたくもらうさ」
彼はそう言って目の前にあったおにぎりをすべて平らげた。
「ごっそさん。さてと飯も食ったことだし、また働くとするかな。んじゃアリスまた後でな」
クロウはそう言って立ち上がり、今日は暑くなりそうだなぁなどと考えながら壊れかけの橋に向かって歩き始めた。彼は気が付いていなかった、彼の姿を陰のある瞳で見つめるマリーの視線に。
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