第10話 生還

 話し声と火がぱちぱちとはじけるような音が聞こえる。うっすらと目を開けると天井の木目が見えた。それと同時にクロウは左の服の裾を誰かがつかんでいることに気が付いた。顔だけ動かして左側を見るとアリスがすぅすぅと寝息を立てており、クロウの服をぎゅっと握りしめていた。


「あらっ、起きたのかい?」


 何者かにそう小声で話しかけられた。クロウはまた顔だけを動かして声のする方を見た。そこにはふくよかな赤毛のおばさんとその子供だろうか、5、6歳くらいに見える赤毛の少年が立っていた。


「あんたたちが川の岸に流れ着いてたのをこの子——アレンが見つけてくれたのよ。それで村のみんなに手伝ってもらってここまで運んだのよ」


 アレンと呼ばれる子を見ると、母親の陰に隠れおずおずとこちらを見ている。とりあえず礼を言おうとクロウは起き上がろうとした。しかし、アリスがクロウの服の裾をつかんで離してくれない。


「そのままで寝てて大丈夫よ」


 見かねておばさんが小声でそう言ってくれた。


「ありがとう助かりました。……ええと」


「あぁ、私の名前はマリーよ、この子が起きたら温かいスープでも持ってくるからそれまではゆっくりしていなさいな」


 クロウはその申し立てを辞するのも失礼だと思い、その好意に甘えることにした。アリスが起きたのは5分後くらい後のことだった。アリスは覚醒するなりばっと起き上がった。そして周りをきょろきょろと見まわして最後にクロウと握りしめた己の手を見て後ろに飛びのいた。しかし、彼らの寝ていたベッドはさほど大きいベッドではなかったためアリスはそのままベッドから落ちていった。ふがっ、という声とともに鈍い音がベッドの下から聞こえてきた。クロウはベッドの上からアリスを見下ろすと、かすかにおでこを赤くしたアリスに尋ねた。


「目が覚めたか?」


「今の私にそれを聞くのかい?」


 ひどく不機嫌そうな声アリスの声が返ってきた。どうやらこの少女は寝起きが最悪なようだとクロウは思った。


「あらあら、仲が良いわねぇ」


 アリスがベッドから落ちた音を聞きつけたのだろうか、マリーが部屋へとはいってきた。


「……あなたたちは誰だ?」


 そう聞くアリスにクロウは先ほどマリーが教えてくれたことをそのまま教えた。


「ふむ、どうやら私たちは辛くも追撃を逃れたようだね」


「あんたたち何かから追われてたのかい?」


 マリーは心配そうに聞いてくる。


「あぁ実は龍——」


「じつは魔物に追われていて、足を踏み外して崖から落ちてしまったんだ」


 クロウが龍に襲われたと言おうとするやいなや、彼女はクロウの声にかぶせてそんなことを言った。


「あぁそりゃあ大変だったねぇ。今スープとパンを持ってきてあげるからちょっと待ってなさい


 そう言ってぱたぱたと小走りに台所の方へ行った。それにつられてかアレスという名の少年もそのあとを追っていった。


「おいアリス、なんで嘘なんかついたんだ?」


「下手に本当のことを言ってもあの親子を怖がらせるだけだろうさ。龍は魔族たちの間では不吉の象徴みたいなものだからね」


 アリスがそう言い終わると同時にマリーがあつあつのスープとパンを二つお盆にのせて持ってきた。


「はい、あんまり具は入ってないけど、冷えた体はあったまるわよ」


 そういって渡されたスープには確かにわずかばかりの野菜しか入っていなかった。しかし、川に長時間は入って冷えた彼らの体を温めるには十分だった。


「そういえばあんたたちの名前はなんて言うんだい?」


 頃合いを見計らったように、スープとパンを食べ終わった後にマリーが問いかけてきた。そこでクロウは自分の素性以外のことについては正直に語った。アリスもクロウにした時の様な簡単な自己紹介をした。


「あぁ、ええと……クロウさんだったわね。これはあんたのものかい?あんたたちが流れ着いた岸にあったのだけれど?」


 そう言って鞘のない抜き身の刀を見せてきた。それは紛れもなくクロウの愛刀だった。


「おぉ! 助かりました。てっきり失くしてしまったと思っていました」


「だけど岸を探しても鞘は見つからなかったのよね、ごめんなさい」


 申し訳なさそうにマリーは言ってきた。


「いや、これだけでも十分にありがたいです。」


 クロウはお礼を言い渡された刀を受け取った。アリスはそんな二人の会話を興味なさげに聞いていたが、ふとマリーのほうを向き問いかけた。


「ところでそこの少年——アレン君だったかな、その子は君の息子さんかい?」


 アリーさんは笑顔でそうよと答えた。


「外は暗いようだがマリー、君の旦那、つまりアレン君の父君はまだ帰ってきていないのかい?」


 アリスはさらに問いかけた。その質問を聞いた途端、マリーの顔は曇った。

 

「この子の父親はもういないのよ……。昔、魔王軍と人間との戦争に備えた徴兵で連れていかれていって、そのまま……ね」


「そうか……、すまない、余計なことを聞いた」


 小さな寝室の中を気まずい空気が包んだ。そんな沈んだ空気をかき消すように、マリーはわざとらしいくらいに明るくふるまった。


「ほらっ、あなたたちも今日はいろいろあって疲れたでしょ、もう休みなさいな。あなたたちの服は外に干したから遅くともお昼までには乾くはずよ」


 そういってクロウたちの部屋の部屋のランプを消して、部屋の外へと出ていった。足音がしなくなって少しした後


「君はどう思う?」


 アリスが話しかけてきた。


「どうって何がだ?」


 アリスに訊くと彼女はあきれたように軽くため息をついた。


「何って彼女たちに決まっているじゃないか。普通岸に流れ着いたやつを自分の家に入れてまで介抱するかい?」


「たまたま、いい魔族の人たちだったってだけじゃないのか?」


 そういうクロウの返答は彼女にはほとんど聞こえていないようで、むむむと唸っている。何か話しかけようとしたが、その意志に反して瞼が自然と閉じてくる。藁ではない布団で寝たのはいつぶりだろう、温かい雲に全身が包まれているようで、徐々に体の感覚がなくなってくる。クロウはその心地よい感覚に身をゆだね、深い深い眠りについた。

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