第9話 衝突

「君はとんだお人よしだなぁ」


 そういう彼女の横顔はどこか複雑そうだった。


「……まぁいいや、お前——アリスは多分俺よりも蒼龍についてたくさんの知識を持っているはずだ。正直、俺は自分の頭の出来には自信がねぇ。だから頼む、俺が……いや、俺たちがこの状況打破できる知恵を出してくれ!」


 その言葉を聞き、アリスはじっと目の前に立ちはだかる蒼龍をその大きな翠色の瞳でじっと観察し始めた。


「1つだけ、おそらく君でもあの蒼龍に攻撃できる場所がある」


 数秒後、先ほど見せた弱気な様子とは打って変わって、勝気な目でそう言った。それはどこだと聞こうとしたが、蒼龍は翼を羽ばたかせ、地上から5メートル程度飛びあがり、低空飛行でこちらへ滑空してきていた。クロウはアリスを小脇に抱えると、思いっきり右側へ飛んだ。直後爆音とともにクロウたちが今立っていた場所に巨大な穴が空いていた。蒼龍の鉤爪が地面に振り下ろされたのだろう、一撃でも食らえば人間の体など簡単に引き裂かれてしまうだろうことは想像に難くなかった。クロウは小脇に抱えたアリスを下ろすと心配そうな顔をした。


「おい、大丈夫か?」


「ああ、問題ない。それよりも、クロウ一つ確認なんだが君の能力は魔力が含まれている物質なら何でも切れるのかい?」


「あぁ、切れる。ただ、さっきの蒼龍の光線——ブレスみたいに大質量の攻撃魔法に対しては、刀に触れている部分は切れるけど、まだ触れていない部分は切れない。ついでに言っておくとブレスと刀の接触時の勢いは殺せないから、俺の筋力が足りないとブレスをすべて斬る前に俺が吹っ飛ぶ」


「なるほど……」


 彼女はそう言いしばし黙り込んだ。その間にも、蒼龍は追撃を仕掛けてきていた。だが、蒼龍の動きは一撃は重いが、動き自体は単調で守りに徹すれば決してしのぎ切れない攻撃ではなかった。


「で、アリス思いついたことをとっとと教えてくれ!」


 蒼龍の攻撃をぎりぎりのところでかわしながら聞くと。


「ドラゴンは私の魔力を視たといっただろう。魔力を視るというのは君たち人間には無理だ。なぜだかわかるかい? 魔族やドラゴンの目には魔力が流れているからだよ。魔力の流れている瞳を通してみているために魔力というふつうは視認できない物質を視ることができるんだ」


「だけど、目玉を斬ったところであのデカブツは撤退してくれるもんかね? あと、いくら蒼龍の目玉に魔力が流れてるからって、それだけでできてるわけじゃあないだろ。いくら一番柔らかい部分だからって斬れるのか?」


「両目を攻撃すればよいのさ。そうすればドラゴンが我々を近くする方法は聴覚と嗅覚に頼るしかなくなる。そこで私のさっき使った魔法を野原一帯に放てばどうだい?」


 全くわからないといった表情でクロウはアリスを見た。


「君の頭の中に入っているのはお菓子か何かなのかい? まずは蒼龍の耳元であの爆音のする魔法を全力で使えばしばらく耳は使い物にならなくなるだろう。また、あの魔法でここらあたりの原っぱを燃やせば焼ける様々な草のにおいで我々のにおいを感知しづらくなる。そのすきに全力で逃げるんだ。あと、君の後者の質問——『本当に目玉を切れるのか?』だったか。こればっかりはやってみなけりゃ分からないさ」


 それを聞きクロウは苦笑いしながら言った。


「大事なところが適当すぎだろ。つーか逃げるって言ったってお前の足じゃ無理だろ」


 するとアリスはにやりと笑っていった。


「その点は抜かりないよ。逃げ方だが君に負ぶってもらえば問題ないだろう。んっ? どうしたんだいいやそうな顔をして。こんな美少女をおぶれるんだぞ、ちょっとは喜びたまえ。」


「無駄口はいいから、さっさと乗れ!」


 クロウは蒼龍の攻撃の隙をつき、アリスの前でかがんだ。彼女は迷いなく負ぶさってきた。彼女はその小柄な見た目以上に軽かった。


「来るぞっ!」


 彼女が叫ぶと同時に、蒼龍の前足がクロウたちを八つ裂きにするべく振り下ろされた。瞬間クロウは後ろに跳ね、着地と同時に足に力を込めた。蒼龍の前足が地面を引き裂くと同時に、あたり一帯に土煙が舞う。


「行くぞぉぉぉぉ!」


 クロウはそう叫ぶと、前へ一線走り出した。地面に振り下ろされた蒼龍の足に飛び乗ると、その勢いのまま蒼龍の頭を目指し駆け上がった。先ほどまでひたすら防戦に徹していたのが急に攻勢に出てきたため、虚を突かれたのか蒼龍の対応がほんの一瞬だけ遅れた。この一瞬がおそらく最初で最後のチャンスだろう。クロウは蒼龍の左肩を踏み台に、一直線に蒼龍の眼前まで跳躍し、その青色に輝く瞳を斬りつけた。魔法を斬るときとは違い、岩石を斬りつけているような感触だった。


「だけど、斬れないわけじゃねぇぇ」


 ピキッという音とともに瞳に亀裂が入った、それとともに赤い鮮血がその輝く瞳からあふれ出した。クロウは蒼龍の鼻をつかみ、勢いをつけて右肩へ飛び移った。着地すると同時に反転し、右目めがけて一直線に再び跳躍した。そして、剣を振りかぶり右の瞳へと狙いを定めて、全力で振り下ろした。しかし、先ほどとは比べ物にならない感触がクロウの骨に鈍く響いた。それと同時に刀が手の中から離れ、後方へと吹き飛んだ。見ると刀が当たった場所は瞳のよりわずか上部の瞼であった。


 あの一瞬で蒼龍は頭を下に屈め目を斬られるのを防いできたのだ。今の一撃で決めるつもりで斬りつけたためクロウ達の体は宙に浮いている。このままじゃ地面に着地する前に確実に殺られることは明白だった。その瞬間にも体は確実に落下を始めている。まだ、瞳には届くが、刃物が……攻撃手段がない。しかもさっきの衝撃で右腕にひびが入ったようで、刃物があったとしても強く手を握りしめることは難しい。ここまでやって結局無理だったのか……世界がスローモーションで進んでいくように感じる。蒼龍がわずかに顔を上げこちらを見た。あれは獲物を狩る獣の目だ。このまま、クロウたちは着地する前にあの鋭い搔き爪で引裂かれて……搔き爪で——。その時唐突にクロウの頭の中に、とても狂った考えが思い浮かんだ。


「おい、アリス俺のひじにさっきの爆発魔法を撃てっ!」


 クロウはそう言い指をピンと張り、指先をドラゴンの瞳に向けた。


「君はいったい何を――」


「いいから、早くしろっ! これで終わらせる!」


 彼女の疑問を塗りつぶし、クロウは叫んだ。アリスは右手をクロウの右ひじにあて、彼に負けないくらいの声で叫んだ。


「”イグヌス”!!」


 彼女の手が光ると同時にクロウは、自身の指先を——厳密にいえば爪をドラゴンの瞳に向かって突き刺した。クロウは自信の能力はこれまでの経験から物体を斬る力があるものなら何でも適応されると考えたのだ。


「なら、爪でだって引き裂けるはずだぁぁぁぁ」


 全力で瞳を刺したがやはり爪程度の硬度では、この瞳は壊せない。だが、硬度が足りないなら押す力を引き上げればいいだけだ。右後ろで、輝きが強くなりその刹那爆音があたり一帯に響いた。それと同時に右腕を焼けるという言葉では生ぬるい熱さと凄絶な衝撃が襲った。それでも、指先の力だけは抜くわけにはいかない、ここで決められなければそれはアリスの死を意味するからだ。


「いっけぇぇぇぇぇぇぇ」


 爪が砕ける感触がある、中指はもう潰れてしまった。だがまだ指は4本残っている、残った気力を振り絞り、必死に爪を立てた。ピキッというかすかな音が左耳に聞こえてきた、見るとあの輝く青色の瞳に亀裂が入っていた。クロウはすでに指先の感覚が全く無く、ただひたすらに焼けるような痛みが彼を襲っていた。


「クロウ、逃げるぞっ!」


 アリスの叫びを聞き、クロウは半ば条件反射で蒼龍の顔を踏むと後ろへ飛んだ。ふいに右側からぶちっという音がし、見ると右腕がちぎれ、下へ落ちていった。クロウは残った左腕で背負ったアリスを支えた。アリスは彼の肩の上から両の手を突き出し、再び『イグヌス』と唱えた。先ほどとは比べ物にならない輝きと爆音とともにあたり一帯は焦土と化し、クロウたちははるか後方へと吹き飛び、崖を少し通り過ぎたあたりで落ち始めた。ふとクロウは蒼龍の居たところを見た。すると蒼色に輝く瞳と目が合った。やはり爪では完全に蒼龍の視界を奪うことは無理だった——。


 蒼龍は先ほどの爆発で一瞬ひるんだようだったが、次の瞬間翼を羽ばたかせこちらへ一直線に飛んできた。クロウとアリスに到着するまでそう時間はかからないだろう。またダメだったのか、また救えなかったのかという後悔の念がクロウを蝕む。絶望が再びクロウを塗りつぶしていく。


 蒼龍は2~3メートル近くまで迫ってきていた。その大きな口を開け今にも彼らを喰おうとしてきている——と次の瞬間全身を冷たい水が包み込んだ。がけ下にはどうやら川が流れていたらしくクロウとアリスの体はその川の急流に流されてゆく。薄れてゆく意識の中、クロウは蒼龍がホバリングし、獲物の居場所を探しているのが見えた。

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