第2話 夜明け

 次の日もその次の日も彼はひたすら眠っていた。何もする気が起きなかった。初めのうちは悪夢に飛び起きていたが、何度も何度も繰り返すうちにその夢もあまり見なくなっていった。そうして、眠っている間だけは自分に起こった悲劇を忘れることができたためより一層彼は眠るようになった。そんな日々を繰り返すうち、次第に今自分が眠っているのか起きているのか、この目が見ているのは夢なのかどうなのか曖昧になっていった。幸い空腹は感じなかった。彼はずっとこのままこの状態でいるのも悪くはないと思い始めていた。このまま、あの悪夢のような出来事を思い出すこともなくただひたすらこの微睡に溶けてしまえたらどんなに良いだろうか。


「いつまで眠っているんだい、寝坊助さん」


 突然そんな風に声をかけられた。その声はとても澄んだ声で、今まで聞いたどんな声よりも美しかった。俺はその声につられるようにして目を開けた。そこには銀髪に深い翠色の瞳をもつ美しい女性が立っていた。歳は俺より幾分かは上だろうがそれほど離れていないように見えた。


「……あなたは?」


「私?そうだねぇ、私は通りすがりのただの旅人ってところかな」


 彼女は朗らかに言った。人と話したのはいつぶりだろうか、彼は自分の声を久しぶりに聞いたきがした。クロウにはこれが現実なのか夢なのか判断が付かなかったが、すぐにどちらでもよいことだと思った。ただ、いまはこの声をずっと聞いていたい気分になった。


「……ここ、一応人の家ですよ」


 そんな短い言葉を紡ぐにも、多くの時間がかかった。言葉を忘れたと錯覚するほどに、口から言葉が出てこなかった。


「でも、君の家というわけでもないだろう?さきほど近くを通りかかったら、外から倒れている君の様子が見えてね。これはさすがに見過ごせないぞと思ってきたわけさ。」


 そう彼女は言い、続けて言った。


「それにしても君、ひどい顔だ。自分は世界で一番不幸だっていうような目をしているね」


「……1番はいかないまでも5本の指に入る自信はありますよ」


「まぁ確かに君にかけられた呪いによって多くの人間が死んだとあってはそうなってしまうのも当たり前かな」


 彼女ははっきりと、きっぱりとクロウが目をそらしたい事実を突きつけてきた。なぜ、そんなことを彼女は知っているのだろうか、クロウには理解できなかった。そうか、これは夢なんだと彼は理解した。誰にも話すこともできず、重すぎる罪悪感をわずかでも軽くするために自分はこんな夢を見ているんだと。それが分かると、俺は今まで積もってきた気持ちを吐き出そうという気持ちになった。現実でないのなら、夢でなら弱音を吐いてもよいだろうと。


「……俺はどうすればいいんだよ。俺の大事な人たちは、俺のせいでみんな死んじまって、しかも死ぬことすらできない。どうしろっていうんだ、俺が何をしたっていうんだよ。俺はただ周りのみんなに笑ってほしかっただけなのに、なんで……なんでこんなことになっちまったんだよ!」


 話しているうちに次第に感情が高ぶってきたのが自分でもわかる。それでも昂ぶったこの感情を抑えることはできなかった。


「このまま一人で、一人ぼっちで、一人でずっとずっと永遠に生きていかなきゃならないのかよ!? なんで俺がこんな目に合わなきゃならないんだよ、もう嫌だ、死にたい、誰かっ、誰か俺を殺してくれよ!!」


 彼女は黙って聞いていてくれた。ただただ優しい瞳で、駄々をこねた子供の様な無様な俺を見ていてくれた。そして、クロウが今まで積もり積もったものをすべて吐き出し終わるのを、ひたすらに待っていてくれた。そうして、長い彼の怨嗟の声を聴き終わると


「ちょっと待っててね、今いいものを持ってきてあげる」


 そう言って家の外に出ていった。彼女が出ていくのを見送り、再び俺は目を閉じた。どれくらいの時間がたったのだろうか、外から伝わってくるにおいで再び俺は目を開けた。その匂いはどこか懐かしくほっとするような匂いだった。彼女は木のお椀にそのスープを盛り、こちらへ持ってきた。


「とりあえず、晩御飯でも食べながら話さないかい? 体の芯が冷え切っていると悪いことしか考えられなくなるしね」


 クロウの腹は一向に減っていなかったが、彼女からスープの入った器を受け取り、湯気の立つスープに口を付けた。それは具も少ししか入っておらず、味付けもとても薄いもので、お世辞にもうまいとは言えなかった。しかし、不思議と体だけではなく心の中までも温まっていくような感じがした。


「落ち着いたかい?」


 クロウがスープを飲み終わるのを見計らって彼女はそう話しかけて来た。彼は先ほどまでの自分の無様な様子を思い出し、赤面しながら


「あぁ……、もう大丈夫だ。さっきは取り乱してすまなかった」


「いいさ、理由は言えないが君の境遇についても大まかには知っているしね」


 さらりととんでもないことを言う。クロウが詳しく聞こうとすると


「そんなことよりも君はこれからどうするつもりだい?」


 クロウの質問を遮るように彼女はそう聞いてきた。

 

「……どうするも何も、どうしようもないだろう。俺はもう二度と都には戻れないんだしな。」


 彼は冷静さを装いながら答えた、この答えが強がりで、偽りだと知っていながら。

 

「そうやって、何もせずひたすら毎日罪悪感に押しつぶされるのかい?」


 クロウは黙っていた。言われなくてもそんなことは分かっている、それでもどうしたらよいかなんて彼には全然わからなかった。


「誰かとかかわってその人を救うことだけがじゃないよ。例えばそうだね、この家の近くの森にいる魔物を退治することだって人助けにつながるんだ。都近くで魔物に襲われる人もいると聞くしね」


「そんなのただの気休めじゃないか」


 クロウはすぐさまそう言い返した。そうだ、確かにそれは誰かのためになるかもしれないが、結局自身の罪悪感が薄れるだけだろう、そんなのは偽善だ。


「俺はこの罪をずっと背負っていかないといけないんだ。誰かのためになるかどうかもわからないようなことで罪悪感を減らすなんてことはしたくない、いやしてはいけないんだ」


「だから死んだようにずっと眠って、自分の罪に向き合って、償っている風を装っているのかい?」


 言い返そうとするが、言葉が出てこない。できるならどうにかしたい、しかし下手に動いてしまうとほかの人間に影響が出てしまうかもしれない。この堂々巡りの思考を何度繰り返したか、この袋小路から抜けられる日がいつか来るのだろうか。暗闇の中をふらふらとさまよい続けている。彼にはもうどこへ進めば前へ進んでいるのかさえ分からない。


「……君のせいじゃないと言いたいところだが、君にはそれを言っても無意味なのだろうね。だが、もし君が死んでいった、犠牲になった者たちへの罪を背負うというならば、君は立ち上がるべきではないのかい? 今の君はただ罪悪感に押しつぶされているだけだ。それはただ自分の状態をしようがない、どうしようもないことだと思っているだけだ。君が本当にその罪悪感と向き合う覚悟があるなら、君はその重い罪悪感を背負いながら立ち上がらなければならない。その重荷を背負いきったときに君は初めて前へ進めるんじゃないのかい?」


 彼自身もわかっていた。今俺のしていることはただ自分の不幸を呪い、駄々をこねているだけだということに。でも怖かった、自分がこの重さに耐えきれるのだろうか、また押しつぶされるんじゃないかと。


「……俺にできるのか、一度この重さから逃げた俺が、もう一度立ち上がれるっていうのか」


「さぁどうだろうね」


「どうだろうねって、ここまで焚きつけといてそれはないだろ。そういう時はできるっていってくれりゃあいいのに」


 彼が苦笑いをしてそう言うと


「さっき会ったばかりの人間にそう言われて君は信用できるのかい?その程度で容易に立ち上がれるようなものじゃあないだろう。ただまぁ、時間はかかるだろうけどたぶん大丈夫だろうさ」


 彼女は屈託なく笑って、そう言った。


「テキトーだなぁ」


「適当じゃないさ。だって君は英雄だろう?」


 英雄? 彼女が言っていることがクロウにはさっぱりわからなかった。


「俺が英雄であるものか、そんな奴がこんなところで折れて、逃げて死に損なっているわけがないだろ」


「君は何か勘違いしているようだね。英雄っていうものは折れない、挫けないもののことを言うわけじゃないさ。折れても挫けてもそれでもなお誰かのために、何かのために立ち上がれる人間のことを人は英雄と呼ぶのさ」


「……だとしても俺を英雄と呼ぶ奴はもうこの世に誰一人いないだろうな」


 クロウはそう自虐的につぶやいた。すると彼女はその手も俺の頬に伸ばしてきた。彼女の温かい手が頬に触れる。


「いるさ、少なくとも私にとって君は英雄だよ」


 彼女が微笑みながらそう言った瞬間、クロウの意識は次第に遠くなっていった。


「ごめんね、今の私にできるのはこれくらいだ。でもいつか、いつか君の呪を打ち砕いて、焼き払ってくれるものがきっと——」


 意識を失う直前そんな声が聞こえた気がした。


 目を覚ますと先ほどまであったスープの入ったカップがなくなっており、いつもの何もない小屋だった。あれは夢だったのかもしれないなと思った。いくら何でも都合がよすぎる、たまたま出会った女性がクロウのことを元気づけ、あまつさえ自分のことを英雄と呼ぶなんて。だが、不思議と先ほどまであった虚無感はなくなっていた。消えていた胸の火がほんの少しだけ付いたようだった、体と心に活力が湧いてきた。


 その日彼はあの日以来初めて食材を採り、自分で調理して食べた。あの女性の作ったスープよりも数段美味いが、不思議と彼女のスープが恋しく感じた。死んでいった者たちへの罪悪感は決して消えることはないだろうが、一杯のスープと数分の会話で立ち直れるなんて我ながらなんて単純なのだろうか。だが彼はこの日から死んだように生きるのではなく、本当の意味で生きるために生きようと心に決めた。それから、彼は少しずつ、だが確実に前へ進み始めた。彼は思いつく限りのことをした。魔物が人里へと降りていきそうになったら止め、豪雨で川が氾濫しそうになったら土手を作った。そんなことしかできない、自分に歯噛みしながら、自分にできることを、自分にしかできないことを考え続けた。そうしているうちに時は流れ10年近く時がたった。

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