第3話 邂逅

 晴れた昼下がり、最近続いた雨のせいでたまりにたまった衣服を洗うべくクロウは川へと向かった。山ほどある洗濯物の半分ほどを片付け、いったん休憩しようとクロウは持参していた獣肉を燻製にしたものを荷物入れから取り出しほおばっていた。

 

 するとその時、川の上流のほうから遠くからどんぶらこ、どんぶらこと黒っぽい何かが流れてくるのが見えた。はじめはどうすることもなく、のんびりとその漂流物を眺めているだけだったがいよいよ近くまで流れてくるとその正体が判明した。それは人だった。クロウは迷わず、川へ飛び込み、その少女を肩に抱え、川から出た。その少女は小柄な漆黒の髪のきれいな少女だった。幸い息はあるようだと、一安心していると、彼女はパチッとその大きい翠色の瞳を開け、こちらを見た。


「君は誰だ?」


 その少女は唐突にそう言ってきた。クロウは、ふぅと息を吐き、落ち着いて務めて冷静にこう言った。


「それはこっちのセリフだ」


 クロウは洗濯前の半乾きのタオルを彼女に渡すと、彼女は礼を言いながら受け取り、ここに至ったいきさつを語り始めた。


「いやね、ぷっくりと丸々太ったうまそうな魚が泳いでいたものでね。ついふらふらと川に近づいたら、濡れていた石に滑って、頭を打って気絶してしまったのだよ。あとは、君も知っての通り川をゆらりゆらりと流されていたというわけさ。……それよりこのタオルなんか臭くないかい?」


 見た目はどう見ても14歳前後程度なのにやけに尊大な話し方をする。また、頭を打ったにしては、けがをしているようには見えない。


「気のせいだろ。それより下手をしたら死んでたかもしれないんだ、気を付けろよ」


 クロウはそう言い持ってきていた昼飯を彼女に渡すと、持ってきていた洗濯物をつかみ家に向かってすたすたと歩き始めた。下手に俺とかかわっても彼女には何もいいことはないだろう。誰ともかかわらないほうが良い、それが最もさえたやり方で、誰も傷つかない方法なんだ、そう自分に言い聞かせ足早に家に向かった。胸にとげが刺さったような痛みに気が付かないふりをして。


 家の戸を開け、部屋の隅に立てかけてあった物干し竿を取り、再び外へ出ようとしたとき


「驚くほど、何もない部屋だね。部屋も一部屋で、装飾品の類もない、家具も最低限……というかかまどを除けば、ベッドと小さいクローゼット、おんぼろな机と椅子しかないじゃないか」


「別にいいだろ、飯食って、寝る場所があればことたりるだろ……ってなんでお前がここにいるんだよ!?」


「なんでって、君のあとをついてきたに決まってるじゃないか」


 当然だろう、という顔でこちらを見返してくる。だが、クロウも腐っても元勇者だ、いくらなまっているからと言って素人につけられて気が付かないわけがない。しかし、そんなことよりもだ。


「死にたくなかったら、とっととこの家から出ていけ」


「おや、いきなりどうしたんだい、そんな怖い顔をして」


 正直に呪いのせいだと言うわけでもないので


「俺は今はやり病にかかっているんだ、俺みたいな大人ならともかくお前みたいなガキにうつったら死ぬかもしれないんだよ」


 適当な嘘でごまかそうとすると


「嘘だね」


 1秒で見破られた。


「君の歩き方を後ろから見ていたが、体の軸のブレが一切なく顔色もすこぶるいい。君の様な健康そのものの病人がどこにいるっていうんだい。それにもう一つ、あの壁に立てかけられた異国風の剣……いやあれは刀というのかな。私にはあの刀の持ち主に心当たりがあるんだけれどね。あと私はれっきとしたレディーだ、ガキじゃない」


 そう言い、翠色の瞳でまっすぐにこちらを見てきた。直感としか言いようがないのだが、彼女がブラフでそれを言っているのではなく確信をもってそういったのがクロウには分かった。彼が一瞬動揺した様子を見て満足そうに


「ふふん、その様子を見るに私の予想は正しかったようだね。さて、では本当のことを聞かせてもらおうじゃないか」


「……本当に何もないさ、さぁこの話は終わりだ。出ていけ」


 クロウは強引に彼女を家の外に追い出そうとした。


「ごまかそうって言ったってそうは……はッくしょん!」


 彼女は盛大にくしゃみをした。よく見ると、その華奢な姿が震えているのが分かる。クロウは、はぁとため息を吐くと、椅子に掛けられていた服を彼女へ差し出した。


「とりあえず、そんな濡れた服着てちゃあ風邪ひくぞ」


「なんだね、これは?」


 彼女は怪訝な顔で問いかけてきた。


「なにって服だよ、とりあえずお前の服干しといてやるからそれまでこれでも着とけ。幸い今日は気温が高いし、明日の朝までには確実に乾くだろうよ」


 クロウがそう返答をすると、彼女はものすごく不服そうに差し出された服を見る。


「もう少しましな服はないのかい……。シャツもズボンもしわくちゃだし、ところどころ虫が食ってるじゃないか」


「もともと服をほとんど持っていないうえ、さっき洗濯しちまったせいでもうそれしかないんだよ。まぁ、いいからとっとと着替えな、俺は外で待ってるから終わったら声かけてくれ」


 眉を引きつらせていたが、他に選択肢がないことを悟ったのか、あきらめて着替え始めた。10分ほどすると、扉がゆっくりと開いた。


「遅かったな、とりあえず服を外に干して晩飯……ぶふっ」


 着替えた彼女の姿を見て思わず笑ってしまった。考えてみれば身長が彼より30㎝以上低い奴がクロウのサイズの服を着たらどうなるかは自明であった。ゆるゆるのシャツの襟首からは肩がのぞき、ズボンやシャツの丈が長すぎて顔や首、肩以外がまるで見えていない。小さい子供が父親の服を着てみたようにしか見えない。俺は下を向きながら下唇を噛み懸命に笑いをこらえた。


「……おい、今笑ったな?」


「わ……笑ってないさ、当然だろ」


 クロウは震える声でそう返した。


「だいたい、この服は君が渡してきたんだろう。それで——」


 そう言いながら彼女はこちらへ歩こうとしたのだろう。しかし、一歩目で引きずっていたズボンのすそを踏み、勢いよく床に倒れた。静寂な部屋に、ゴンッという音が響いた。もうそれでクロウの我慢は限界だった。堰を切ったように彼は笑い始めた。こんなに笑ったのは何年ぶりだろうか、しまいには笑いすぎて息をするのも苦しくなってきた。彼女はというと額を押さえながらのたうち回った後、顔を真っ赤にしてこちらを親の仇を見るような形相で睨んでくる。


「だ、大丈夫か?」


「……これがだいじょうぶに見えるなら、すぐにでも医者に目を見てもらうんだね」


 目に見えて機嫌が悪くなってゆく。これ以上何を言っても火に油を注ぐ未来しか見えない。とりあえず話題を変えなくては……、何かいい話題はないかとクロウは思考を駆け巡らせる。そのとき彼女のおなかがぐぅ~と鳴った。


「とっ、とりあえず飯にでもするか?」


彼はおずおずとそう提案した。


「……食べる」


彼女はまだほんのりと赤い頬を見られないよう、クロウとは目を合わせずそういった。

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