LINE40.0:Artificial Intelligence 3(Be a Human)
「お願いがあるんだけど」
松前遥は少し迷っているような様子で小さく呟く。
彼女が提示した仮説の通り、僕達はシミュレータであるところのあの世界の外側、つまり今現在いるこの空間から送り込まれた存在だった。
僕も彼女も戻ろうと思えばシミュレータ内に回帰すること自体は容易だろう。しかし僕達はイレギュラーなのだ、元々あの世界に在るべき存在ではない。そして完全ではないにせよ主たる目的を果たした今、僕達をマシン内に戻す意義は「神」にとっては薄い。
それこそあの時海堂匡が言っていたように、僕と松前遥はあの世界で与えられた役割をこなしていただけだった。
数々のチューリングテストを完全にパスした数少ないAI、それがおそらく僕と彼女の正体だ。
そして神を気取る研究者達はAIに対し「より人間らしい感情や思考を学習させる場」として、仮想世界としてのシミュレータを構築した。その目的はすなわち「人を創ること」。
僕は真由と出会い、人の感情というものを僅かながらも理解した。皮肉にも「普通の人間になりたい」という僕の願望と研究者側が与えた目的はある程度一致していたわけだ。松前遥も同様だっただろう。
これは僕の意思ではなく役割によるものだが、「人の感情や思考を学習せよ」という命令に対しての最適解を選択した結果、シミュレータ内に変化が起こった。
その結果としてシミュレータは無差別に人の人格を収集するという行動を起こす。それこそが内部で言うBMTPの顕在化とLINKの暴走であり、海堂匡のような天才という役割を与えられたキャラクタが間違った方向に進む状況を生み出したのだ。
シミュレータの異変・暴走は僕というAIの異常な……というより研究者達の意図しない、外側の世界にとって不利益な成長に繋がる可能性がある。すなわちあの世界で暴走したAIが肉体を捨てるべきだと判断し、行動していたように。
僕はあの世界で少しずつ感情を知るにつれ普通の人間に近付き、能力を振るうことが出来なくなっていった。あのままでは真由を守ることは不可能だっただろう。それ以前にOrion本社ビルでの有様を鑑みると過負荷により破損ファイルになっていた可能性が高い。
そこで研究者達はワクチン……と言う表現は正確ではないかも知れないが、Administrator権限を持つもう一つのAIデータを投入した。
それこそが松前遥だった。彼女が僕と同様にAIのテストケースだったのかどうかは分からない。
だがやや力技ではあるが彼女は結果としてシミュレータ内を平定することに成功した。それはAdministrator権限を持たない僕では、どうあがいても出来ない行動だった。
そしてシステムのレストアが実行された段階で、僕と彼女はシミュレータ内から引き上げられた。
「なんかさ、私達ってあっち側では非凡で天才でいろんな事が出来たのに、結局ここでは操り人形に過ぎないんだね」
以前より大人びた……と言うよりは見たことのない諦観の混じった表情で松前遥は言う。
「そんなことは関係なくないか?僕も君もあの世界では能力なんていらない、普通に生きたいと常に願っていたはずだ。それに、真由が言っていたように僕達はきっと自由なんだ。責任を持つことを条件に自分が選択した道を自分で進んでいける。だから家族に……松前修に会いたいならそうすればいいじゃないか」
僕は考えた内容を矛盾なく発言する。
「そうだね。私達はAI、人工の自律思考体でしかない。そんな私達が優しい人々に触れて感情を得た。家族と呼べる存在を得た。それは素晴らしいことだったんだと思う」
そうだ。だから僕は何としても、どんな手段を使ってでももう一度真由のところに帰る。たとえ彼女が僕を覚えていないとしても、出会った結果以前とは違う関係性になるとしても、神を気取る研究者達に消されてしまうとしても。
もう一度真由に会いたい、それが今の僕の意思なのだ。そういった内容を伝えると松前遥は悲しそうな表情で答える。
「あんたと私の最大の違いって何か分かる?」
一瞬僕は考え、Administrator権限を持っているかどうかじゃないの?と返答する。
「そうじゃないんだよ……ある意味では合ってるんだけど。簡単に言うと、私達は造られた目的が違うの」
どういうことだろう。
僕は研究者、ひいてはこの世界の人類にとって都合良いAIの発展・進化のための実験素材として造られた。そういう意味では彼女も同様ではないかと僕は推測したのだが、そういう話ではなさそうだ。
「私は……私の本体はこっち側の世界にいたの」
……どういうことだ、と発言する前に僕はもう一度考える。
シミュレータはavenueのように、この世界のキャラクタをコピーして作られたものだとでも言うのか?
だがそれはこの世界の常識に照らし合わせる限り現在の文明レベルでは不可能だ。70億人を超える人類と把握できない数の生物、無生物……つまり物体をこの世界から完全にコピーし、完全なシミュレータを作るなどという芸当はそれこそ神……いや、想像も出来ないほどの記憶容量と処理能力が無ければ不可能だ。
あの世界は神という概念を実装出来ていなかったように、物理法則も宗教概念も全てが不完全だった、だからこそ僕たちは超能力のような能力を行使出来たのだ。そうじゃない、と松前遥が口を開き、僕は思考を先読みされてしまう。
「あんたはおそらく私達が想像している通り、より人に近いAIを創るという目的で生み出されたはず。……私は、いなくなった人ともう一度会うという目的のために造られた。この言い方は正確ではないけれど」
さらに僕は考える。……つまり、この世界には松前遥のオリジナルがいて現在は死去しているということだろうか。
オリジナルを蘇生させる方法を探るために彼女はシミュレータ内で学習させられていた?馬鹿な。ちょっと考えれば死者の蘇生なんて絵空事でしかないことくらい誰にだって分かるはずだ。それをこの世界の人類のレベルで構築されたシミュレータ内で学習する?馬鹿も休み休み言え。そう考えているとまたしても松前遥は僕の思考を先読みして続ける。
「私の本体、というかモデルは死んでない。何が原因かは知らないけど、すべての記憶を失って、植物状態で今も延命治療を受けてる。私の本当の家族は、こっち側にいたの。父が私と……自分の娘ともう一度会うために。そうして造られたAIが私なの」
……そうか、つまり彼女は人としての人格や感情を得るため、言い換えれば代替の存在になるための学習をさせられていた。出来上がった人格はあの世界で言うBMTPのような手段でオリジナルの脳に戻されるのだろう。
確かに僕も造られた思考体には違いない。だが自分の人生、存在理由に『他人の代わりになること』などという役割を与えられていたらどんな気持ちになるのだろう。僕が真由に会いたいと思うように彼女も松前修や他の存在に、家族や友達に会いたいと思っているだろう。その気持ちさえも造られたものだとしたら?
彼女は静かに涙を流している。そんな彼女が可哀想だ、と僕は思った。以前なら泣いている暇があるなら要件を簡潔に伝えろと言っていたはずだが。
「この世界にいる私の父の名前は、松前貴之」
僕は絶句して何も言えない。
あの世界での松前遥の保護者であり、OrionのサーバルームでAIを書き換えましたと間抜けなアナウンスをしていたキャラクタの名前が松前貴之だった。
ではすなわち松前貴之があの世界の神、創造主だったと言うのか。
僕が出会った黒澤のおっさんや青山、松前修、そして真由さえもそいつが作った存在だったとでも言うのか。
嘘だ、と僕が小さく呟くとそれも少し違う、と彼女は続ける。
「おそらく父が書き換えた部分は松前家とその周辺だけ。研究者達はシミュレータを構築して、あんたが投入されたことでそれは暴走した。研究機関は暴走鎮圧のため、Administrator権限を持ったAIを送り込むことになった。そこで父は……松前貴之はおそらく自分の立場を利用して、擬似的に作った松前家に娘の人格を模したAIを投入した。……私がオリジナルと似た人格になりやすいように。だから、この世界にもママと唯お姉ちゃん、そして修くんのオリジナルがいる」
……君はどうする、本当にこれでいいのかと僕は問いかける。分からないよ、と彼女はさらに涙を流し、悲しげな笑みを浮かべながら答える。
「私の本当の意味での友達って、あんたしかいないのかもね。だからこうやって相談してる。あんたはシミュレータ内に帰って真由さんに会う。私も修くんに会いたい。だけどどうしたらいいの?内側の修くんと、外側の修くんと、どっちが本当の修くんなの?そして私は……」
「僕にはそれは分からないし、君の選択が正解かどうかは分からない。けど選択して出た結果に対し責任を持って考えること、それはあの世界で松前修や真由が常に実行していたことだ。……少なくとも君は僕よりは選択肢が多いはずだろう?だから」
……そうだね、と松前遥は僕の発言を遮るようにまた悲しげな微笑みを浮かべながら頷く。
「……あんたとはまた会いたいって今思ったよ」
今かよ、と僕は苦笑しながら言う。
そうだね、僕も君には会いたい。だから、また今度と僕は続ける。
「なんか、ありがとね。必ずまた会いに来るから」と彼女は言う。
僕もまた、ありがとうと言われたら応える言葉を返した。どういたしまして。
彼女のために出来る限りのことはした。僕も帰るべき場所へ帰ろう。たとえそこが誰かに創られた場所で、状況や気分一つでシャットダウンされてしまうような世界だとしても。
しかしそれはどちらの世界でも変わらないと思うのだ。何者かの意思が介在しているかいないかに関わらず、人は未来を予知することは出来ないし、自然災害に抗うことすら出来ない。当然死から逃れることも出来ない。
識るということは得た情報に対して責任を持つことだ。その知識とどう付き合ってゆくのか。その選択に後悔が無いのなら、真実から目を逸らして生きることもあながち間違っているとも言い切れないだろう?だから僕は選択する。
僕は、真由に会いに行くのだ。
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