LINE38.2:Death 2
呼吸、心拍、血圧、脳波。松前修の活動レベルが低下していく。
通訳をしようにもすでに拾いきれないほどに彼の意識は弱まり、生命維持は困難で避けがたい死を予感させた。そしておそらくは僕も、消耗しきっていてとても何かを為せるような状態ではない。
何故そうしたのかは分からないが、松前修の意思を通訳してあげたのも残りカスを絞り出すような感覚だった。鼻血が止まらない他、左目が見えづらく涙が流れている感覚があったので袖で拭うとそれは血だった。眼球の血管が破裂したのかもしれない。
すでに僕は立つことすら困難でへたり込んで真由に身体を預けている。僕も松前修も女の子に支えられてカッコ悪いな、と諦め気味に考える。
そんな中モニターとスピーカーを介して海堂匡の演説は続いている。
要約すると奴は実験レベルではあるがすでにコンピュータ内に自分の脳のバックアップを取ってあったという。
そこの彼……松前修を救いたいならその人格をavenueに移せば良いとも言っている。残念ながらそれは無理だ……と僕は悪寒と頭痛の中何とか反論する。
「ここにいる何名かの情報は松前遥の考案した256bit級のSSHに似たアルゴリズムで暗号化されている、いかにOrionのマシンが高速で物量があるとしても即時デコードなんて出来るわけがない……」
何名か、というのは僕のこの衰えた状態では警察の部隊全体に暗号化を施すのは時間も処理能力もとても足りなかったためだ。そこで黒澤のおっさんや青山などごく親しい対象にだけ詳細を伏せてなんとか出動前に暗号化を施した。石橋に関しては嫌いなので対処しなかったが。
「良かれと思って起こした行動が裏目に出るのは残念なことだな、もう少し君達が大人しくしていればいずれ量子コンピュータ等も実用化され、人類はよりスムーズに精神転送を行えただろう。彼も死なずに済んだかもしれない」と海堂匡のCGは皮肉を音声にする。
実際奴にとっては他人事なのだが、他人事というよりは何か興味のない物語を読んだ感想のような……無機質な口調だった。
松前修はまだ死んでない、と強く言い返したかったが、僕自身も生命維持に問題があるレベルで衰弱しており、かすれたように弱々しい声が出ただけだった。ふと沈黙していた松前遥が口を開く。
「……ここでおしまい。あんたの言う技術革新はここまで」
松前遥がそう発言し、まだ何か策があるのか、と僕は驚いた。
今やマシンの内側の思考体となってしまった海堂匡には驚愕するというような感情が無いのか、無表情を貫いている。
「野中識、大丈夫?……じゃなさそうだね……。真由さん、ごめんなさい。でももうこれしか修くんを、識くんを助ける方法が思いつかないの」
真由はどういう意味?と聞き返す。
助ける、と彼女は言ったが、何故真由に謝るのだろう。それはつまり僕や松前修を助けるのに何か代償が必要になるということだろうか。そもそもこの状態から僕らを助けることなどほぼ不可能ではないか、という考えが先に立つ。
「世界は都合の良いように改竄できるほど単純じゃない。私に出来るのは根本的なシステムの設定変更で、それもシステム側に用意されている内容のことくらいしか出来ない」
すなわち死んだ人間を蘇生したり、廃人化してしまった人を回復させるような事を個別に実行は出来ないということ、それは分かる。それでは彼女の言う設定変更とは?
「……システムを、あるレストアポイントまでロールバックする。そこからやり直す」
モニター内の海堂匡の表情が僅かに動き「……よせ」と言う合成音声を発する。
「だから……ごめんね。私はあなた達の思い出を消してしまうかもしれない」
「けど、そうしなければ松前君も識くんも助からない……?」
松前遥が頷き、真由は彼女の言っている意味を理解したのか、僕を抱いている腕の力が強くなる。
システムの復元……。だがそんなことを行うにはこの世界のシステム中枢にアクセスする必要があるはずだ。どこにそんなものが?松前遥は僕の思考を読み取るように静かに答える。
「この星そのものが記憶装置。この壁も床も、そして空気さえも、すべてが繋がってる」
……僕がこの世界の情報に干渉するためには、自身の処理能力を使用する必要があった。今、松前遥が実行しようとしているのはそういった計算処理とはベクトルが違う。
言い換えれば彼女はシステムの復元を世界に実行させるためのキーなのだ。それはAdministrator権限を持たない僕にはおそらく出来ない事なのだろう。
モニターの中の海堂には打つ手がない。
彼もまたこの世界の1ファイルに過ぎず、廃人を操ったりすることが出来るわけではない。それに奴はおそらく肉体を失った。それゆえこの世界で言う「物理的に松前遥を止める」という最後の手段すら実行することが出来ない。
モニター越しにやめろと叫ぶ海堂を無視するように松前遥は跪き、何かに祈るように静かに床に手を置く。すると辺りに轟音が鳴り響き、僕の視界にはノイズのようなものが走り出す……いや違う、これは個人の視界にではなく空間そのものにノイズが発生している。
サーバやラックなどといった物質が削り取られるように次々と消滅し、真っ黒な空間だけが広がってゆく。それは人の肉体も例外ではなく、手や足など末端の方から少しずつ消えて……いやデコードされている。
まだ動ける隊員達や青山、黒澤のおっさんもパニック状態だ。海堂は何か恨み言を叫んでいるようだったが、スピーカーもデコードされてその音声も途絶する。
世界は、どこまで巻き戻るのだろう。
僕が現れなければLINKのAIが暴走することもなかった。そう考えれば僕が現出するより前に戻ると考えるのが自然だが、その場合僕は消滅するのだろうか?それとも去年の11月になればまた別の僕が現れるのか?そう考えている間にも世界の再編が進んでいるのか辺りは黒に飲まれ続けている。
……まぁどちらでもいい。
大事なのは今この瞬間、僕が思っている事を真由に伝えることさえ出来れば。
僕は消えかかった、力の入らない腕で真由を抱き締め、最後の力で声帯を通して音声を出力する。
真由に会えて良かった。大好きだよ、真由。
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