LINE37:Artificial Intelligence 2
「うわっ、あんたどうしたのその髪、大丈夫?」
本来ならば警察の部隊は闖入者に対しては銃などの武器を向け警戒するべきなのだろうが、対象が僕と遥、つまり突然現れた中高生の少年少女なので誰しもが困惑している。
同様に識くんの隣で真由さんも唖然としている中、遥はズケズケと彼らの方へ歩いていく。遥と離れてしまうのも危険と判断し、仕方がないので僕もついていく。
もちろん海堂匡も怪訝な表情をしている。世界最高の実業家を初めて目の当たりにした僕はTVや動画サイトで見るより小柄だな、という印象を受けた。
「パパ聞こえる?すごいね、ありがと!」と遥は前方に進みながら大きめの声で言う。だが多分親父には聞こえていないだろう。
すかさず君は誰だ、と海堂匡が遥に問いかけると遥はアドミニストレータ、と無表情で返答した。識くんと海堂を除くその場の誰もが何のことか分からないといった様子だ。同様に僕にも何のことか細かくは分からない。
「ご立派な演説で。あんたが煽るような真似さえしなければこんなことにはならなかった……いや、あんたじゃなくても別の誰か、もしくは何かがこの状況を引き起こしたのかもね」
遥は無表情で海堂を睨んでいる。
先程の演説……と言うべきかは分からないがあれはまさに動画サイトで何度となく見たそのカリスマ性から繰り出される「海堂匡のプレゼン」だった。
正直、飽くなき知識欲、探求心という意味では共感できるところも多々ある内容だったとは思う。だが、真由さんが言ったように「制約があるからこそ人は工夫を凝らし、進化していける」という考え、現時点ではそちらの方に僕は賛成だ。
「野中識と同種の存在か。こんな存在がもう一人いるとは。いやもっと、まだまだいるのか?……アドミニストレータ?ふふ……私の仮説は正しいのかもしれないな」
何を一人でブツブツと呟いてやがる、気持ち悪い。それにお嬢ちゃん達、ここにどうやって入ってきた、と責任者と思しき初老の警察関係者が僕らに問いかける。
海堂匡は相変わらず何か呟いている、思考をまとめているのだろうか。そんな中識くんが口を開く。
「内緒にしててごめん。彼女の名前は松前遥、僕と同じ。意味は分かるでしょ?」と識くんは僕らを初老の男性に紹介すると、ついでといった感じで手のひらを彼の方に向け、黒澤のおっさん、と軽く紹介した。
続けて今紹介を受けた黒澤さんはやれやれ、といった様子であいつは俺の大学の同期の海堂だ、と海堂匡を指さしつつ呆れ気味に言った。
遥が冷めた笑みを浮かべながら海堂に向かって小さな声で何か囁く。
……も……ル……いよ。何を言ったのかは聞き取れなかったが、世界企業のトップが少し動揺した様子を見せたのは分かった。
「あんたさっき自分で言ってたでしょ?野中識に対してお前は歯車だって。今度は私が教えてあげる。あんたは……」
黙れ、と海堂が遥の言葉を遮る。……なにがこわいの?と遥は僕の見たことのない酷薄な表情で言う。
「あんた自分のことをこの世界のトップ……少なくとも重要な存在だと思ってるでしょ?時価総額世界最高額の会社のCEO、かつインフラを作り出すような存在。圧倒的に頭が良くて実行力もある。確かにすごいことなんだけど、それすらも誰かの意思で強力なパラメータを与えられただけだったとしたら?」
黙れと発言した海堂匡は逆に沈黙して聞いている。一瞬曇ったように見えたその表情はすぐに平静を取り戻し、情報を処理しているときの遥によく似た無表情に戻った。
「あんたはさっき野中識に対して歯車という表現をした。それと同じだよ、私達はかみに役割を与えられた都合の良いファイルでしかないの」
また遥は「かみ」と発言した。彼女は創造主のことをかみと言っているのだろうか。要するに僕らはかみが作った存在……ファイルでしかなく、役割が決められているということだろうか?
さらりととんでもないことを言っているが、遥や識くんの存在は創造主・かみという概念に信憑性を与えているとも言える。では君達のロールは何だと?と海堂は問いかける。
「私はこの世界に対するAdministrator権限を得た、ほぼ全ての事象にアクセスすることが出来る。あんたを消すのもLINKを止めるのも簡単だけど、それを実行したところで壊れてしまった人々は元に戻らない……。でも多分、人々を助けるというのは私に与えられた役割じゃない。それを調査して検証するのに、あんたとOrionの存在が邪魔なんだよ」
13歳の少女がものすごい発言をしている。自分探しのために世界最大の企業が邪魔とは。逆に遥らしくて思わず少し笑ってしまう。
識くんの方を見ると彼も軽く笑みを浮かべている。海堂匡は遥や識くんとは種類の違う笑みを浮かべながら口を開く。
「調査と検証、か。私も君達のロールには興味がある。君も野中識くんと二人でOrionに入らないか?厚待遇を約束するよ」
そんな話が通るとでも思ってんのか、お前にはまず署に来るという役割をくれてやる、と黒澤さんは皮肉たっぷりに言う。遥は馬鹿馬鹿しい、とばかりに返答する。
「おあいにく様。私は世界を普通の姿に戻すという意思を持って行動してる。革新なんて耳障りの良い言葉に言い替えて破壊を実行してるあんたとはいくら話しても相容れないよ。創造主だとか世界の意思だとか役割だとか……そんなものクソ喰らえだ」
あぁもう、女の子が汚い言葉使っちゃダメでしょ、といつもの調子で突っ込みたくなったが、そんな状況ではないのでやめておいた。僕も空気を読まずに素っ頓狂なことを考えるようになったのは遥の影響だろうか。
ふぅ、と海堂匡は呆れたような表情で溜め息をつきながら交渉決裂か、と呟く。今のを本気で交渉だと思っているのならこの男は度を越えたエゴイストもしくはサイコパスの類だろうと僕は思った。
「残念だよadmin、君とはゆっくりと話をしてみたかった」
私の名前は松前遥、と彼女は今さら自己紹介をしている。
松前?松前貴之の……そうか、君は息子か、と呟きながら海堂は初めて僕に目を合わせた。文字通り眼中になかったということなのだろう。
そう言えば親父はこの男と知り合いだと言っていた。
「やれやれ、何故凡人の近くにばかり天才やイノベイターの類が現れるのか。さて……そろそろ本当に話はおしまいだ。私というデバイスの終着点もここなのだろうな」
何を言っている?終着点?まさか自殺でもするつもりなのだろうか。だが幾度となくTVやネットで見たこの男は実際に目の前にしても自殺から最も遠いタイプのように感じるのだが。
そう考えていると後方からドタバタとした音が響く。音の鳴った方へ振り返ると、警察の部隊の何人かが同士討ちのようなことをしていた。
サーバールームは混沌に包まれた。
黒い装備の隊員とOrion社員の他、一般人と思しき罹患者も複数が部屋内になだれ込んできている。指揮系統は大混乱し、次々に人が倒れてゆく。おそらくヘルメットをしていない隊員は罹患者で、対する健常者と思われる隊員は制圧行動に躊躇があり、分が悪いように見える。
……何故警察の部隊まで操られている?識くんは彼らに防疫を施さなかったのだろうか?そう考えていると黒澤さんは素早くヘルメットのバイザーを下げ怒声を上げる。
「お前が指示したのか!?」
海堂匡は静かに笑みを浮かべてながら答える。
「……だから何度も私の意思ではないと言っているだろう。AIは私や君達が与えた知恵という名の餌を喰らい、有効な対策を自身で思索し実行する。それらの情報を加味し分析し、書き出された結果がこの状況だと何度言えば分かる?……君達は世界に拒まれている。そんなことも分からなくなったのか、黒澤」
黒澤さんは何か言いかけたが襲いかかる罹患者への対処で反論することが出来ない。その間にも次々に罹患者がなだれ込んでくる。警察の部隊は次々と数を減らしてゆく。逼迫した状況の中で遥の叫び声が響く。
「私が全部止める!ただ数が多いし警察を巻き込まないようにするのには処理に少し時間がかかる、野中識、あんたは真由さんとしゅー君を守りながら時間を稼いで!」
遥は庇うように僕の前に立ち、入口の方を睨みながら右手の人差し指をこめかみに当てている、おそらく何らかの処理を実行しているのだろう。
その無茶振りに対してクソッと呟く識くんの声が聞こえる。彼も同様に険しい表情で罹患者の動向、そして僕と真由さんの様子をちらちらと伺っている。だが白く染まった頭髪、鼻血の跡などを見るに先日の遥と同じかそれ以上に彼は消耗しきっている可能性が高い。
いずれにせよ現状僕に出来ることは邪魔にならないようにすることくらいだ。それならば、と僕は海堂匡の方を向き、平時では会うことすら難しい世界企業のトップに対し松前修です、と挨拶してから質問した。
「一般的な……従来の価値観からすればこの状況はAIの暴走と表現せざるを得ないと思います。もしあなたの言葉通りAIの選択と行動が世界の意思であるならば、この世界におけるあなたの役割は何だと思いますか。僕は……僕ひとりだけで為したことではないけれど、LINKのAIを、そしてあなたとOrionを止めるため遥をここに連れてきた。それが僕の役割だったんだと思います。そしてその結果がどうなるのかを見届けたい。それに関しては役割ではなく、僕の意思だと思っています」
あれほど騒がしかった後方が少しずつ落ち着いてきている。残念ながら警察側が圧倒され始めているのだろう。近づいてくる数名の罹患者を識くんが撃退してくれているが、彼は息も荒く今にも倒れそうだ。
海堂匡はふむ、と頷きながら僕の質問に返答する。
「私は金や権力にあまり興味が無くてね。勿論、研究や開発を続けていく上で資金は必要欠くべからざるものだが。技術革新を最先端で続けてゆく、それが私のロールだろう。企業のトップであるとか資産家であるという肩書は後から付いてきたものに過ぎず、それこそ目的のために必要な役割を持った記号でしかない。技術革新のその先を見たい、それが私の意思であり役割だよ」
やはり、絶対的自信から来るエゴイズムが海堂匡の人格を形成しているのかもしれない。
彼から見ると人も物事も記号やファイルのようなものでしかないのだろう。……実際そうだと言うのだから嫌になってしまうが。
ありがとうございました、世界があなたを排除しないと良いですね、と僕が皮肉気味に挨拶するとどういたしまして、お互いにね、と海堂匡は満面の営業スマイルを浮かべた。
遥は計算処理を続けている。
再び入口方面に目を移すと動けそうな隊員は大分減ってしまっていた。比較的部屋の内側にいる黒澤さんはまだ無事のようだ。若手の隊員がぜぇぜぇと息を切らしながら拳銃に手をかけヘルメットを外した隊員に向ける。
「よせ、石橋!」
黒澤さんの怒声が響く。僕も同様にやめろ、と叫ぼうとしたがその瞬間サーバールームにタン、という乾いた発砲音が響く。
放たれた弾丸は隊員の向かって右の目から頭部を貫通し、後部のサーバーマシンのラックに血しぶきが蝶のような模様を描く。白のLEDランプが血のフィルターを通して赤い光を発している中、その眼孔からもまた血が止めどなく流れ出している。
まさかまだ動くのかと警戒していると、彼は倒れてそれ以上動かなくなった。目の前で人が死ぬのを見るのは初めてだった。
人の死という非日常を目の当たりにしながら、やはりLINKが肉体を操るためには脳が健康であることが必要条件なんだな、と僕は他人事のように考えていた。そしてこの後何が起こるのかもすぐに想像がついたが、危機感や焦燥感よりも諦観が僕の思考を塗りつぶしてゆく。
黒澤さんが咄嗟に隊員に対し拳銃の使用を制止しようとしたのは人命尊重や警察の責任問題といった理由からではない。すなわち、銃などの火器を使用すれば人は簡単に殺せる、という知識をAIに与えることを避けようとしたのだ。
……ほらね、と僕が呟くとヘルメットを外している隊員たちが一斉にこちらに拳銃を向けた。
僕は飛び込むように遥のそばに駆け寄り、覆い隠すように彼女の小さな身体を抱き締めた。先程と同じタン、タンという音が鳴るとすぐに背中の何ヵ所かに熱源を差し込まれたような感覚があり、呼吸が出来なくなった。
計算処理を停止した遥は一瞬きょとんとした表情を浮かべ、しゅー君……?と僕の名を呼ぶ。
無事のようで良かった。せっかく頑張ってくれてたのに僕のせいで処理を止めてしまったな。あぁ、僕の血で服が汚れてしまっている。
ごめん、と伝えたかったが背中から肺に穴が開いたのか空気を声帯に通すことが出来ず、発声することが出来ない。さらに痛みと失血による悪寒で思考がまとまらない。僕は破損ファイルになるのか。
サーバールームに遥の悲鳴が響いた。
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