LINE35:Akashic Records
……私は常々考えていた。
自分は普通ではない、みんなとは一緒にいられないのではないか。普通に暮らしたいと思うのはそんな不都合、不条理から目を逸らしていただけなのかもしれないと。
野中識の出現によって、この世界ではそれまで認識できる者のいなかったBMTPというプロトコルが顕在化した。結果としてLINKのAIは暴走し人の精神に干渉、奪取を行うプログラムとして脅威化した。おそらく私は、それを止めるためにここに現れたのだ。つまり、彼と私は相反する存在である可能性が高い。
もし私がこの先も松前遥として生きることが許されるならば。……そのためには私は野中識を消去しなくてはならないかもしれない。せっかくこの世界で唯一似た者同士で友達になれたのに。
だがその野中識は、LINKを止めるべくOrion本社に向かうことにしたらしい。願わくば彼が私の、世界の敵ではないことを拝んだこともない神に祈る。
自己分析の結果、私は機械やAIの類などではなく、間違いなく人間の組成を持っていることが確認出来た。
しかし自分がヒトであるかどうかはそれほど重要な問題ではない。修くんは私に、遥は遥だよ、と言ってくれた。正体が何であれ、みんなを救うためならこの能力を、生命を使うことになったって構わないと思っていた。それが例え野中識を消すという結果になったとしても。
だけど本当は違った。1年ほど前、私は気がついたときから計算能力の他に外国語を含む主要言語、社会的な常識などを生活に十分な程度に保有していた。
その知識と世界の間に決定的な齟齬が発生したのが神という概念についてだ。修くんは神という言葉を知らなかった。その概念は創造主などといういくつかの別の言葉に恣意的に置き換えられている。
それ以外には元々の私の知識との間に大きな違いはない。神という不確かで不安定な概念の実装が上手くいかなかったのだろうか?
……私はOrion、ひいては人類によって作られた機械やAIなどではない、ましてや神なんかでもない。言うなれば私は内側で発生した存在ではなく、外側で作られて送り込まれた存在だったのだ。
この世界は、演算装置が計算しているシミュレータだ。
パパもママも、梨香ちゃんも修くんも。そしておそらくは私も、仮想空間上で動作しているデータでしかなかった。
外側の世界のことは分からない。ただこの空間はavenueとは違い、外側にいる本体を模したアバターが私達、というタイプのものとは違うように思える。
何らかの目的をもって「神」はこの世界、シミュレータを創り、観察をしているような印象を受ける。だがそれは考えるだけ無駄というものだろう。人の理解を超えているからこそ、神は神たり得るのだから。
そんなことは重要な問題ではない、と再び私は考える。今私がしなければならないことは、自分の全能力を使ってこの世界に起きたイレギュラーを是正することだけだ。みんなを守るために動きたい。正体がデータだろうが何だろうが、そう思うことの何が悪い。それは、私の気持ちだ、感情なのだ。
修くんの部屋のドアをノックする。扉を開けると、いつも通り落ち着いた様子の修くんがいた。
「検証は終わったの?」
修くんはくるりと椅子を回転させ私の方を向くと優しく言う。
うん、大体と私は頷く。詳しく説明した方がいい?と私は尋ねるが、修くんは首を横に振る。
「全部済んでからでいいよ。あまり時間の余裕もないんだろ?それに、今の遥を見てるときっとすべて解決できる、そんな気がする」
修くんは安心したような表情で私を見ている。その声を聴いて私もまた安心する。
すべてが解決できるかはまだ分からない。でも私はこの世界に対してのAdministrator権限をほぼすべて掌握した。何が出来て、何が出来ないのかはまだ検証しきれていないが、あらゆる情報にアクセス及び何らかの干渉をすることが出来るだろう。まずはOrion社に行ってLINKを止めなくては。それ以降のことはその後考える。
Orion社に行こうと思う、と私が言いかけると玄関のチャイムが鳴る。この状況で来訪者?ありえないだろう。
修くん通販で何か買った?と私が問いかけるといや……と返答される。配達用の無人ドローンではチャイムは押せないし、まさか罹患者が客を装って来訪してきたとか……?
そんなことを考えながらおそるおそる窓から外を覗くと、扉の前には落ち着かない様子の梨香ちゃんがいた。
急いで階下に降りて玄関の扉を開けると、梨香ちゃんは「遥ちゃん、大丈夫なの!?」と言いながら私の肩を掴んだ。えっ、えっ、と私がオロオロしていると修くんも階段を下りてくる。
「いやお前鼻血出して気絶してただろ?その後も検証とか言って部屋に引きこもって出てこないし、僕は他にやれることもないからまとめがてら近況報告してたんだよ」
うーむ、別に私は元気なのだが思ったより大ごとのように伝わってたのかもしれない。それよりこの状況の中で街中を歩いて来た梨香ちゃんの方が私は心配だが。ま、外は危ないしとりあえず上がればと修くんが言い、しばらくぶりに三者会議をすることになった。
私は新規に分かったことをある程度省きながら二人に伝える。
特に、この世界がシミュレータである、という点についてはまだ伝えない方がいい気がした。むしろ、そんなことを言われた方の気持ちを考えるとわざわざ知らせる必要も無いのかもしれない。
結論として私はLINKを止めるべく野中識を追ってOrion本社に向かう、と先程言いかけた話を改めて伝える。
危なくないの、と梨香ちゃんが言う。大丈夫、多分もう私は負けない、と答えつつ修くんに見せたようにまたコップを浮かせてみせる。梨香ちゃんはあからさまに驚いていたが、修くんは何か言いたげだ。
「えーっと……。こないだ言いかけてやめておいたんだけど、コップが持ち上がるくらいの超能力、まぁPK……サイコキネシスか?それでどうやってあのOrion社を止めるのかなぁ、と」
確かに新しい能力のプレゼンとしてはインパクトに欠けているかも……と私は納得した。
とりあえず分かりやすいのは物を浮かせるとかかな、と思って実演はしてみたものの、この能力は「物を動かすための力」ではない。言うなれば物体や空間に対してのアクセス権、それ自体が能力であり、真価だと言えるだろう。
具体的にはコップがそこにあるという状態ひとつに関しても位置の座標、重量、組成、そういったものがすべて情報として存在していて、絶えず変化している。
たとえばもし対象を空中に浮かばせたいなら、それらの情報にアクセスした上で「ncm2にnkgの力をy軸方向に加える」という命令を送り、結果としてコップが浮かび上がる。均等に浮かび上がらせるにはそれだけの計算と加力が必要になり、その分処理能力も必要になる。かといって狭い範囲・ずれた座標に極端な力を加えればコップは傾いて落下してしまうだろう。重力とか浮力とか角度とか他にも色々あるのだが、ざっくり言うとこういう感じだ。
もし全方向から1tの圧力を加える、という命令を実行すればコップは砕け散るだろう。……したいとは思わないが、おそらくこれを人体にも実行することが出来る。
私はこの世界の物理法則を掌握したのだ。
ただし、すべての事象は不可逆的であり、壊れたコップを元通りに戻すのは難しいだろう。
そのためには元の組成を完璧に把握している必要があり、原子レベルでの再構築プロセスが必要になる。うろ覚えで再構築されたコップは、見た目は似ていても異なるものなのだ。
この能力は破壊や改竄の方向にしか動作しない、と野中識は言っていたが、そうではなく修復、再構成という処理に対しての記憶容量、ひいては演算能力が足りなかったのだ。
……そしてその点は私も同じだろう。
以上のような内容を噛み砕いて二人に伝える。修くんはやれやれといった表情で「まるでアカシックレコードみたいな話だな」と溜息をついた。
何それ、と私と梨香ちゃんは同時に発声する。
「オカルトの定番だよ。この世界のすべての情報、一説によると未来の出来事までもが記録されているデータベースがどこかに存在するっていう。しかしこの調子だと本当にあったとしてもおかしくないな。僕らの未来は決まってるのか」
……それだ、と私は呟く。やっぱり修くんは冴えている。
何らかの方法、おそらくはBMTPと同質の手段で私も野中識もこの世界の記憶装置にアクセスしている。その母体こそが修くんの言うアカシックレコードなのだ。
それが何なのか、どこにあるのかは検証不足で分からない。私や野中識は目に見える、手が触れる範囲のものにしか影響を及ぼすことが出来ない。そのアカシックレコードに直接アクセスすることさえ出来ればLINKを、Orionを安全に止めることも出来るかもしれないのだが……。
だが今はそれを調査している時間はない。少なくとも今最優先で行うべきはLINKを止めることなのだ。やっぱり私はOrion社に行くよ、と二人に言う。すると修くんがいつもの調子で答える。
「ん、分かった。じゃあ僕もついていくよ」
はぁ、バカじゃないの、と私は反射的に大声を出すとすかさず修くんが口を開く。
「さっきまで散々私すごいんですってドヤ顔でプレゼンしてたし、すごい遥のそばにいれば安全なんだろ?それに、ひとりで抱え込むなって言ったのはそっちだ」
こいつは本当にデリカシーのない奴だ、そう思いながらも正論なので反論が出来ない。梨香ちゃんの方を見ると小さく笑っているが、その表情にはどこか憂いが含まれている。そんな中修くんは続ける。
「あとはさ、アカシックレコードみたいなものが本当にあるのなら見てみたいしね、それが危険だったとしても自分の好奇心で」
知識への飽くなき探求心、それは私に無いもので少しうらやましい。……知らない方がいいこともあるのに。そんなことを思っていると梨香ちゃんが修くんを抱き締めていた。
うおっ、と私はつい声を出してしまう。修くんは不思議と落ち着いていた。
「……本当はついていきたいけど、私は行けない。お父さんもお母さんも結希も置いていけないから。あんた止めてもいくんでしょ?家族も大事だけど、あんたも遥ちゃんも大切なの。だから、二人とも必ず無事に帰ってきて。お願い」
私は思わず手で顔を覆う。なんだこの二人本当に夫婦だったのか。指の隙間から見える修くんは梨香ちゃんの髪を優しく撫でながらまったくいつも通りの口調で言う。
「僕は遥や識くんと違って凡人だし、約束は出来ない。だけど、梨香にはまた会いたい。その意思は僕の素直な気持ちだ。心配かけてごめん」
いつの間にか下の名前で呼び捨てである。この男、天然ジゴロみたいな感じなのだろうか。
……確かに梨香ちゃんの言う通り、Orionへの潜入は危険を伴うだろう。たがもし罹患者が襲いかかってきたとしても今の私の能力があれば問題なく無力化することができるはずだ。修くんひとり守るくらい造作もないだろう。
Orionに行く、とパパにメールを送ると気を付けて、とすぐに返信が届いた。というかパパは数日帰って来てないが会社で何をやってるんだろう?この非常時に……。ついでに野中識にもメールしたが、こちらは返信が無かった。
よし行こうか、と立ち上がろうとすると私も梨香ちゃんに抱き締められた。大丈夫、修くんは私が守るよ、と彼女の背中に手を回しながら私は答える。
「……とは言え電車も動いてないし自転車とかで汐留まで行くとなるとかなり距離あるぞ?道路も廃車だらけでタクシーも走ってないし」
修くんがそう言うと私はニヤリと笑みを返す。
「じゃあ梨香ちゃん、行ってくるね」
二人とも怪訝な表情をしている。私は修くんの手を取ると、位置座標の移動処理を開始する。数秒後、私と修くんの眼前には汐留のOrion本社があった。
周囲には警察のものと思われる装甲車が何台も並んでいるが、どれもほぼ無人のようだ。修くんは非常に驚いていたがすぐに順応したようでぼそりと呟く。
「……瞬間移動か、ホントに驚いた」
ふふん、と私は得意顔で修くんの方を見る。
「でも、靴は履いてから実行するべきだったな」
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