LINE31:Doctor 3

 先日、年齢17歳の年端もいかない、修と変わらない程度の少年の遺体が被検体として運ばれて来た。大通りで警察に取り押さえられたところ従わずに暴れたため射殺されたという。AD3に罹患している疑いがあるとのことで私達のところに搬送されてきたようだ。


 正直なところ私はこの病気に関して検証することにもはや疲れ果てていた。

 今まで私が学んできたことがあまりにも通用せず、新事実が発覚する度に自信が粉々に砕けていくような感覚を覚える。また、ありのままに報告してもあまりに論理が飛躍・破綻しすぎているため学会や大学でもまともに相手をしてもらえそうにない。


 無理もない、従来の医学的常識で対処するのは不可能な症状なのだ。それでも日本で研究発表するよりはまだ聞いてもらえる方なのだろうが。

 米国内ではLINKにそれほどのシェアがないことから被害は限定的ではないかと高を括っていたいたが、父さんや修の話によるとこの感染拡大規模はもはやそういうレベルではないらしい。さながらパンデミックかゾンビパニック映画のようだ。

 こんな状況でも医者には医者、行政には行政のやるべきことがある。私に出来るのは罹患者の症状を検証することだけで、今日も手探りで資料作りを続けていくしかなかった。


 以前の検査では、罹患者は脳の側頭葉近辺に浸潤型の腫瘍のような病変が認められた。今回も同様で、それ以外の身体部分にはこれと言った病変は見られない。

 彼らは取り押さえられる等の妨害を受けると凄まじい力で反撃するという。これはおそらくドーパミンやβエンドルフィンなどの脳内物質を強制的に分泌させることで筋肉のリミッターを外したり、痛覚を鈍麻させていると思われる。

 腫瘍がそういった脳内物質を過剰分泌させる、といった機序なら分からなくはないが、感染者を増やすべく自律行動を取らせる、というのはさすがに飛躍しすぎている。

 寄生虫の一種に、中間宿主の脳を操り次の宿主にわざと捕食させるような行動をさせ移動してゆくという種は確かに存在していおり、俗語ではこれらの生態は「ゾンビ化」などと呼ばれている。

 しかし、複雑極まる人間の脳を掌握しスマートフォンという近代のデバイスで特定の操作をさせるなんていうのは完全にフィクションの世界だ。


 命令の手段が不明なのも不可解だ。

 洗脳・催眠の類いなら視覚や聴覚を介した情報等が必要だし、薬物による意識変化を利用するにしてもその薬物の摂取が必要だ。

 催眠だと仮定しても映像や音声を使用している形跡はないし、ピンポイントで何か行動をさせる、といった薬品はこの世には存在しない。せいぜい自白剤のように耐えがたい苦痛を与えた結果自白を促すとか、麻薬類のように食欲や性欲などを亢進させ多幸感を得させるといった簡単な誘導程度だろう。これらは命令と呼ぶには程遠い。

 そんなことを考えていると携帯が鳴る。父さんから国際電話だ。もしもし、と私は応答する。


「唯、元気?こっちはまぁまぁだよ。病気について何か分かったことはあるかな?」


 相変わらず父さんはのんびりしている。

 私には詳細は分からなかったが、遥ちゃんのおかげで母さんの病状は食い止められたらしい。そのせいか塞ぎこんでいるような様子はない……というより父さんが落ち込んでいる姿は見たことがない。

 自分で言うのもなんだが私は手のかからない子だったし、修が何かやらかしたときは父さんや母さんではなくむしろ私が叱っていた。そもそもこうして電話をかけてくる事自体が珍しい。私は重い気分で返答した。


「残念ながら元気じゃないよ。この病気は分からないことが多すぎる。今のところ分かってるのは、罹患者は脳に腫瘍が発生してるって共通点があるってことくらい」


 ふーむ……と唸りながら父さんは続ける。


「医学のことは全然わからないんだけど、その腫瘍っていうのはさ、何かこう共通点とかはないのかな、色とか、大きさとか形とか」


 共通点、共通点か……。

 CTやMRIを撮る程度の検証はうちの研究室でもしているが、今のところ解剖の実例はうちにはなく、全体でも数例しかないため詳細な比較は難しい。

 ただ……確かに言われてみれば腫瘍のサイズはどれも切符程度の大きさのものばかりだったように思う。罹患から時間が経過し、症状が進んだ状態の患者でも腫瘍が大きくなっているということはないようだ。


 私はちょっと待ってね、と伝えてクラウド上の一彦のフォルダを勝手に漁る。数例程度だが解剖済みの脳の写真がいくつか保存されている。

 ……色に関しては特に変わったところはない。癌のように黒ずむことはないようで、脳自体と同じようなくすんだ肌色というか、灰色に血管の赤が乗っているような色と言える。ただ、形に関してはやや異様な印象を受ける。

 これは、小型の脳……?細かいしわの集合体が迷路のように絡んでいるように見えるのだが、生物の器官と呼ぶには非有機的というか、直線的な印象を受ける。私は感じた印象をそのまま父さんに伝える。


「んー……ダメだとは思うんだけど、その画像を送ってもらうことって出来ないかな?もちろん唯が横流ししたとかは分からないようにするからさ」


 父さんにしては珍しく大胆なことを言い出したな、と私は思った。

 普段だったら何バカなこと言ってるのと一蹴するような話なのだが、この症例には明らかにコンピューターやWebといった要素が関係している。もう医療関係者だけで検証するのは限界に来ていると言わざるを得ない。父さんのようなITエンジニアに見てもらうことで何か分かることもあるかもしれない。


「……もしバレて賠償責任になったら父さんがお金出してね。アメリカの裁判は高いよ?」と私は軽く笑いながら冗談交じりに言う。

「それは困るなぁ、遥が大学出るくらいまでは安定した収入を得たいんだけど。でもこれ、人類の危機だからね」と父さんも少し笑った。


 こんな状況で、人類の危機なんて現実離れした発言をしながらも父さんの調子はいつもと変わらなくて私は本当に安心する。

 わかった、と私は答えると父さんの指示通りにPCを操作し、暗号化した画像ファイルを指定の場所にアップし、送信した。


 翌日、目を覚ますと修からメールが届いていた。久々によく眠れた気がする。

 メールの内容は父さんと修で考証した結果についてとのことだった。遥ちゃんは?と私は思ったが、とりあえず読んでみることにした。

 修のメールは何故か論文調で、書き慣れていなさそうな文体に苦笑しつつ採点するような気持ちで私は読み進めていった。


 少しずつこの病気に関して医学で対応できなかった部分の正体が分かってくる。

 当然にわかには信じがたい内容なのだが様々なエビデンスも添えられており、信憑性は高いと思える。

 一笑に付されるかもしれないが、修の論文を元にもう一度学会で報告してみることにした。



-AD3(最新型うつ)の発生機序について-


まず始めに、当疾患は従来の医学的常識が通用しない症例であることを重ねて断っておく。


1)概論

罹患者は初期に身体不調や頭痛などを訴え、数日間のちに昏睡状態に陥る。その後自立歩行をする例も多く報告されているが、全例が心神喪失状態である。


2)臨床的診断

罹患者には例外なく側頭葉付近に浸潤型の脳腫瘍と思しき病変が認められる。腫瘍のサイズは3cm x 3cm程度が最大でそれ以上の肥大化や転移の例は報告されていない。


3)作用機序

人の写っている写真がメッセンジャー・SNSアプリであるLINKのサーバー上にアップロードされることで、LINKはその人の情報を解析し始める。その際、未知の通信規格であるBrain-Mind Transfer Protocol(以下BMTP)を介し、対象の脳に電子基盤に似た形状の病変が形成される。これが臨床診断で脳腫瘍の一種として認識されているものである。

この病変はSIMやRFIDのような役割を果たしていると想像され、LINKサーバーとの無線通信を可能にする。しかし近距離用の規格であるRFIDと違い、電波さえあれば超長距離であろうと通信が可能である点から、無線LANなどの送受信機能が脳に発生しているという言い方の方が正しいかもしれない。便宜上、病変をLong-Distance RFID、以下L-RFIDと呼称する。

BMTPは脳に蓄積された情報を送受信する他、物理的な干渉も行える規格であると考えられる。発症初期にL-RFIDの形成が行われ、その際に罹患者は身体不調や頭痛を訴えるものと想像する。

L-RFIDが完全に形成されると、LINKは無線LANやLTE等を利用して罹患者との間でデータ通信を開始する。BMTPを介することで、主に側頭葉や海馬に蓄積されているとされる性格や記憶といった情報をサーバー上にコピーし、仮想空間アプリであるavenue上に罹患者のコピーと言える存在が形成される。その際本体の記憶が抹消・破壊される点については意図的なものなのか転送の負荷で脳が損傷を受けているのかは不明である。脳出血や挫傷のような物理的損傷は見られない。


4)感染拡大と変質

AD3の発症報告は本年の1月~2月が最初期のものと思われるが、当時と比較して現在はL-RFIDの形成、脳内情報の奪取などの処理速度が格段に上昇している。また、罹患者はLINKサーバーから何らかの命令を受け取り、第三者への感染拡大を目的として行動するようになっている。

ある報告では自立歩行する罹患者が携帯カメラを利用して写真をサーバーにアップするという手段を用いていたそうだが、最新の例では網膜に投影された映像、つまり目で見た映像をファイルとして脳内に保存、L-RFIDとBMTPを用いてサーバーに送信する例が確認されている。またそれらの自立歩行者は脳内物質のコントロールによって高い身体能力を有していると思われる。


5)対策

現在のところ本症状に対する有意な治療法や寛解手段は確立されていない。腫瘍は浸潤型であるため外科的切除は困難と思われ、強行した場合の肉体・精神への影響は甚大であると想像される。予防法としては電波の届かない場所に健常者は避難、罹患者は隔離するか、LINK本体のサーバーをすべて完全に停止する他はないと想像される。


以上



 ……これはとてもじゃないが医学論文とは呼べない。刑事事件の報告書でもないし、IT関連の報告書として見ても意味不明だ。強いて言えば固い口調のオカルトブログといった感じか。

 それに改めてまとめてみると絶望的な状況だ。父さんはいちエンジニアが対処できるような状況をすでに超えたと言っていたが、それは医者も同じだ。というより、いったい誰ならこんな状況に対処できるというのだろう、と私は溜息をついた。


 ……電波のない場所か。山奥にでも罹患者を隔離するか?通常より圧倒的に力の強い罹患者を押さえ込んで隔離などおそらく不可能だろう。それに現在では罹患者の増加スピードも凄まじい、隔離所が溢れてしまうだろう。

 そういえば十数年前に「電磁波は身体に悪い、アルミホイルなどで電波から身を守ろう」という何の根拠もない噂を流す宗教のような団体がいたが、人をアルミホイルで包むわけにもいくまい。……その連中は「電磁波から身を守る服」と称したものを全員が着用していたが。


 逆の発想としては電波インフラそのものを停止するか。……一時的に停波して原因を取り除くというのは有効と思われるが、そんなことを実行出来るのは国の中枢にいる人々だけだろう。


 今の状況は言うなれば発展しすぎたテクノロジーに人類が首を絞められている格好だ。秘境や奥地にある後進国、インフラの制限された独裁国家なんかが意外と生き延びるのかもしれないな。

 しかしそれももし衛星が掌握されたらおしまいだろうと考え、私は諦めたような乾いた笑いをこぼした。

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