LINE30:Mirrorge 2

 夏休みは終了したが、学校は今日も休みになっている。宿題を出せと言われることもなく楽ではあるのだが、正直私にも世の中にもそんなことをしている暇はなかった。


 アイカメラが実装されてからの感染拡大スピードは凄まじかった。

 これまでの感染トリガーはメッセンジャーアプリであるLINK本体のタイムライン上に写真がアップされることが必須だったが、罹患者達がある程度の指向性を持って動くようになったため、携帯のカメラ、アイカメラを問わず撮影された写真は即座にLINK上にアップされ、次々に人々は倒れていった。

 いや、倒れるとは言ってもすぐに立ち上がって次の感染者を増やすべく動き始めるのだが。またLINKはその影響範囲を別サイトにまで拡げ始めたようだ。

 ネット上どころかTVで生放送中のニュースキャスターが倒れる様子が全国に流れ、世間は大混乱に陥った。TVに映った姿だとしても写真を撮られればアウトということかもしれない。

 それを受けて映像付きのメディアは大半が沈黙し、情報源は主にラジオや新聞、画像のないニュースサイト、TVも一応放送は続いているが文字のみの注意喚起が繰り返し流れるだけでその機能は停止しているに等しかった。しかしそんな中でもアニメを放送している局もあって図太いな、と私は思うのだった。

 各メディアは報道規制でもされているのか流行病に空気感染する恐れがあるので外出を控えるように、というような報道をしているが、ネット上ではすでに私が発信したものと思われる真相に近い噂が流れている。


 自然災害のようなものとはタイプが違い、外出そのものが危険であるため治安が悪化して街中に暴徒化した人々が溢れるようなことはなかった。しかし誰もが家に引きこもってしまい外に出てこない様はゴーストタウンを想起させ不気味だった。

 この国の政府はただでさえサイバーテロ等の対処に明るくない印象だったが、この未知の危機に対してはことさら全く有意な対策を取れていない様子だった。


 野中識は現在警察組織にいるらしい。

 私の存在については伏せておいてくれたらしいが、状況によっては協力を要請するかもしれない、とメールには書いてあった。今こそがその時なのではないか、と私は思ったが、メールには続きがあった。

 彼は自己の能力などを正確に分析、把握するために、自分の情報をマシン上に展開してみるつもりらしい。それはおそらく脳に強い負担がかかる他、しばらくは連絡できない可能性が高いと記載されていた。無理もない、私もあいつに脳をいじくられた時は3日間寝込んだからな。


 しかし現実問題として、私は野中識から貰った……という言い方が正しいかは分からないが、自分の得た能力の影響範囲がまだ完全には分からないし検証も十分に出来ていない。きっとそれは野中識も同じなのだろう。

 まだ知らない自分の能力の中に、何かこの状況を打破するためのきっかけがあるとしたら。確かにその分析は有用かもしれない、私も試してみる価値はありそうだ。


 しかし実際にやってみるにしても、うちのPCの処理能力で人の脳の分析なんて芸当が出来るんだろうか。

 警察所有のマシンがどのくらいのスペックかは分からないが、ウチのPCは明らかに家庭用で簡単なネットサーフと文書ファイルを作る程度の用途しか想定されていないスペックだし、そもそも型が古い。うわっメモリ4GBかよ、と思わずひとり言が漏れる。


 例えば最近のavenueは要求スペックが急上昇していて、このPCで偵察するのにはやや無理が来ていた。この子にあんまり高速で計算させたら最悪オーバーヒートするんじゃなかろうか……。それより問題なのはPC側の記憶容量だ。

 脳の容量は1PBはあると言われている。私がお小遣いで買い足した外付けのHDDには2TBくらいしか余剰領域がない、全部の情報を書き出すのなんてとてもじゃないが無理だ。

 だがまぁ贅沢は言ってられない。通販でBTOパソコンを注文している余裕はないし、秋葉原は近いが買いに行ってもそもそもお店自体がやっていないだろうしハイエンドのCPUだの1024TB分のSSDだのなんてものを買ってたら破産してしまう。

 仕方ない、可能な範囲で情報を書き出して、雀の涙程度だが携帯も分散処理に加えてやってみるか……。


 マシンにダイブする……というよりマシンが私にダイブするという言い方の方が正しそうだが、実行の前に一応挨拶などを済ませておく。

「私ぶっ倒れるかもしれないんであとよろしく」と修くんと梨香ちゃん、あとパパにもメッセージを送る。ママにも送ろうかと思ったが、今は余計な心配をかけたくないのでやめておいた。


 エディタを開き、BMTPを用いて私自身の脳に干渉する即席のコードを書いてゆく。これはLINKが人の情報を盗み出すプロセスと基本的には同じはずだ。ただ向こうの場合は情報のコピー時に何故か記憶域を破壊していくという点が理解に苦しむ。人を動かす命令を送るために必要なプロセスなのだろうか?

 とりあえずプログラム……というほどでもないが簡単な実行ファイルは完成した。正直自分の脳のクロックが分からないので負担のかからない丁度いい程度が分からないのだが、この低スペックPCならまあ大丈夫だろうと思ったのとゆっくりしている暇もないので限界速度でスキャニングをしてみることにした。死なないだろ、多分……。


 真っ黒な画面にプログラムが走り出す。無線を介して私の情報がPC上に展開されてゆく。目に映る映像の形が変わってゆく。机が、PCが、マウスやキーボードに触れている私の指が。認識できるすべてが0と1の情報に変換されてゆく。

 不思議と恐怖や不安はない。というよりむしろ安心するような……。意識が薄れてゆく中、携帯が鳴っている。

 修くんが何か私を心配するようなメッセージを送って来ている。私は手を伸ばすが返答を送信するに至らない。

いつもごめんね修くん、私は……



 薄暗いトンネルで目が覚める。

 喫茶店で倒れたとき以来何度かここの夢を見ている。またここか、とは思うのだがいつも起きると忘れている。夢は何故、強く意識するか日記につけるなどしないと忘れてしまうのだろう。

 私はプログラミングをはじめとした理系科目しか出来ないような人間だが、オカルトや超常現象、今もって解明されない謎というような話題は修くんの影響もあって結構好きだ。

「夢とは、別世界への移動である」こんな説を見たことがある。エビデンスもなければ検証過程も何もない、個人の思い付きの発言でしかないのだが、私はこの説を気に入っている。


 そう、いつものようにここを進むと(私)がいる。しかしあいつはコミュ障なのかろくに私の質問に答えてくれない。今日こそ問いただしてやろう、と思いながらさらに歩みを進める。

 だが今日は何かトンネルの様子が違う気がする。いつもよりも明るくて、設備等が新しいような?しかし相変わらず文字は読めない。読める字もあるのだが、「髱槫クク蜿」」とか「豸磯亟險ュ蛯」とか「髱槫クク髮サ隧ア」とか何のことやらさっぱりだ。

 …未知の言語というよりこれは、文字化け?元と表示されている方の文字コード両方が特定できればデコード出来るのかもしれない。なんで私の夢の中で文字化けが起こっているのかは意味不明だし解読するほど大した情報でも無さそうな気がするのでどうでもいいが。


 いつも通り、少し先に座っている(私)の姿が見えてくる。ただ今日は分岐点ではなく、(私)の後ろには真っ暗で何もない空間だけが広がっていた。私は話しかける。

「なにそれ、後ろ崖かなんかになってんの?危ないからこっちに来なよ」と私が話しかけると(私)は無言で頷き、立ち上がってこちらへ歩いてきた。

 相変わらず無表情だが意外に素直だな、と思いながら手を伸ばすと、(私)がこちらに向かって歩いた分だけ重低音とともに背後のトンネルが消滅するかのように何もない空間が拡がった。

 私はうわっ、と声をあげつつ慌てて彼女に駆け寄り手を掴む。他の人に触れた時のように何か情報は得られないかな、と一瞬思ったが、情報が流れ込んでくるようなことはなかった。ただ、その手の温度がとても冷たいことだけは強く感じた。


「ちょっと、メチャクチャ冷えてるじゃん!寒いの?大丈夫?」

「寒い?体温の低下は生命維持にとっては問題となるが、私は生命体ではないので問題はない」


 自分と同じ顔の奴がおよそ自分とはかけ離れた口調で喋るのは何度見ても慣れられない。

 ただ何か……同じ姿だからそう思うのか、何かこいつは可哀想だ。こんなに冷えきった身体で、こんなに暗くて寂しい場所で一人きりで。


「ねえあんた、寂しくないの?ここにはあんた以外誰もいないの?」私は問いかける。

「ここには私以外の自律思考体はいない。私だけだ。あなたも(私)だ」


 言われてみれば確かにそうだ。

 (私)は私であって、ここは私の脳の中?なのだろう。でも言いたかったのはそういうことじゃない、自分に同情するというのもおかしな話だがとにかく私はこいつを可哀想だと思うのだ。

 私は人の温かさを知っている。みんなに会いたい。なのに、(私)はこんな寂しいところに一人きりで居なければならないなんて。さらに私は問いかける。


「ねえ、あんたが私自身だって言うなら私が今まで見てきたこと、聞いたこと、学んだことも全部知ってるでしょ?修くんのこと、梨香ちゃんや優斗くんのこと、唯お姉ちゃんやパパのこと……ママのこと。私はみんなが大事なの。みんなを助けたいの、何でもいい、教えてほしい。あと……」


 私はもう一言付け足す。


「あんたのことも助けたい」


 (私)はふっ、と笑う。笑った?こいつが?


「松前遥、それが貴方の名前。私に名前は無い。そういう意味で、私達はすでに別の存在と言えるのかもしれない」


「違う……さっきからあんたが言ってるように、あんたも私なの。私は遥。あんたも遥だし、私も名無しなの。いま重要なことはそんなことじゃないでしょう!?」


 (私)はすぐに無表情に戻り、ただ私の話を聞いている。


「……あんたが私の一部だっていうなら、私達は元の姿に戻れる。きっとそれでお互いに変化が生まれると思う。良い方向か悪い方向かは分からないけど、こんなところに一人でいるのなんて寂しすぎるよ。さっきあんた笑ったでしょ?外に出れば、きっともっと楽しいことがある。もっと笑えるよ」


 (私)の表情がまた少し表情が緩むのを見て、思わず私は(私)を抱きしめていた。その瞬間、(私)の背後の暗闇の先に光が射す。奈落のように見えた暗闇にも地面があったことが分かる。きっとあれは、トンネルの出口だ。


「……暖かいな」


 (私)がそう言うと左右の風景が引き伸ばされるような感じで通り過ぎて行き、出口の光がこちらへ近づいてくる。


「帰ろう、みんなのところへ」


 意識が遠のいてゆく。私は(私)を離さないように、抱きしめる腕に強く力を込めた。

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