LINE29:Digital Life

 この前の松前家での会議では、罹患者の人々は目にカメラ機能を搭載しているかもしれない、という仮説が出た。仮説とは言うがその後の展開を見る限りほぼ間違いないだろう。

 正直信じられないし信じたくないような話で、私も松前も愕然とすることしかできなかった。

 そんな中で遥ちゃんだけがまだ諦めていない。彼女は私の家族にも予防を施してくれた。まだ小さいのにたくさんつらい目にあって、能力があるからといって色々なことを抱えて。

 私は感謝すると同時に自分だったら耐えられないだろうな、とふと考えるのだった。


 先日、芸能人、そしてScoperと呼ばれる動画サイト上で芸人のようなことをやっている人々が次々と倒れる事件が報道された。

 松前はLINKが他社のサイトにまで影響範囲を拡げはじめている可能性がある、と言っていた。主に自撮りやレストランの料理画像などがアップされる写真サイトのPhotogenics、動画サイトのKaleidoscopeなど、そういったサービスにアップされている画像データが収集されているかもしれないという。


 少し前からネット上では「脱携帯、脱PC」というような噂が流れていたが、それらは最近「写真のアップは危険、LINKやavenueは危険」という、より直接的な内容に形を変えてすでに浸透しつつあった。噂の元になっているのが遥ちゃんが資料付きで警察や大学などの機関、ネット上の掲示板や短文SNSに流したものなのかは分からないが。

 それを受けてネット上からは人物写真が次々に消えていったが、個人がPCなどに保存していた写真、主に有名人のものなどがいたずら半分に画像アップローダーなどに載せられるのは防ぎようがなかった。報道はされていないが、政治家などの著名人も倒れ始めていると思う、と遥ちゃんは分析していた。

 逆に宗教……と言っていいのかは分からないが、デジタル化を受け入れてみんなでavenueで暮らそうなどと主張するような団体も現れた。

 入所者の身体を管理する病院の代わりのような施設をその団体は有しており、入所料や月額使用料で稼ぐようなビジネスモデルらしい。病院よりも面会時間に融通が利き、患者の部屋にはPCが完備されておりavenue内で彼らと普通に会話することなどができるため、家族が罹患してしまった人々の間などで意外と支持を集めているらしい。

 その代表者がavenueに行かず現実世界に留まっているのは矛盾でしかないような気もする。


 当のavenueは最近、高度な社会を形成し始めている。まず、以前は荒かった街角のグラフィックは非常に高精細になった。

 松前によるとOrionは少し前からカメラで撮影した画像を3DCG化する技術を研究していて、街角で撮影された画像をテクスチャー?として3Dオブジェクトに貼り付けられるようなことがいずれ出来るだろう、という発表をしていたらしい。

 それはOrion Mapsの地図データとも連動していて、撮影した画像はGPSで取得した位置情報を基にAIが自動でオブジェクト?に適用してくれるらしい。

 専門的な話は私には分からないが、確かに最近のavenue内の街角は本当にリアルだ。現状では建物の内部はまだ簡易グラフィックで代替されているが、そういった情報も目カメラによっていずれ充実していくのだろう。


 他に学校や会社など施設の拡充、通貨の流通などが急速に広まっている。

 avenue内の人々はただ遊んでいるという訳でもなく、人によっては働いたり学んだりしている。報酬として得られる仮想通貨、ナノコインは現実でも流通しているものだ。

 報酬を得る方法は労働の他にゲームっぽく「依頼」というものもある。運営がイベントとして行う報酬付きミッションの他、ユーザーがユーザーに対して依頼を出すこともできるようだ。


 ただ、私には分からないのが仮想空間内で仕事をするといっても飲食店などはどういう位置付けなのだろう?

 アバターを着替えさせる意味でアパレルなどの店舗の存在は分かる。しかし味覚や嗅覚といった人間の感覚に根差した商品やサービスに対して、取り込まれた人々はどういう理屈で楽しんでいるのだろうか。

 そもそも仮想空間内には例えば製造業など、様々なカテゴリの仕事が必要ないように思える。服はデザインさえすればコピーするだけで量産できるし、ビルを建てるのに人手が必要かと言えばそんなことはないだろう。サーバー間を移動するのには車どころか電車も飛行機も必要ない。病気や怪我がないのなら医者も必要がない。

 考えれば考えるほど、デジタル化された暮らしというものは不完全に思える。それとも一瞬でコピーしたり移動したりできる物事に制限をかけて付加価値をつけたりするとでも?それこそデジタルの利点を否定するような話でひどく歪だ。

 うちの近所でお好み焼き屋をやっているおばちゃんはavenue内では何の仕事をしてどう暮らしていくのだろうか。おばちゃんのお店でお好み焼きをガツガツと食べている本間の姿が頭に浮かんだ。


 世間はこんな状況なので休業にしている店が増えており、街角には人影も少なく普段のような活気がない。

 だが飲食店の一部には「ガンバレニッポン!こんな時だからこそ皆様のお食事を応援します!」とブラック企業のお手本のようなスローガンを掲げて普段通りに営業している店もあった。同じように、仕事中と思われるスーツ姿のサラリーマン、部活帰りと思われる高校生なども結構な人数が電車に乗っている。

 この人たちは一体どういう状況なら仕事や部活を休めるのだろう。ワーカーホリックというよりはまるで奴隷だな、と流れる景色を眺めつつ私は思うのだった。


 次は最寄り駅だ。気分が沈むようなことばかりだな、と思いながら降りる準備をしていると電車の進行方向側からどさっと音が聞こえる。何だろうと思いつつ振り返ると乗客が数人倒れていた。車内に緊張が走り、ざわざわと乗客がどよめきだす。

 目カメラだ……!このままだとパニックが起こるかもしれない。私も身の毛がよだつ感覚を覚えたが、裏事情を少しは知っているし予防を受けているので周りの乗客よりは落ち着けている。冷静に考えろ、松前みたいに。


……まずは目カメラを持っていると思われる罹患者の特定をしなくては。

 こちらに背を向けている青いTシャツの男を境に数人が倒れている。みんな怯えている中、その男だけが脱力した様子で棒立ちのまま隣の車両を見つめていた。

 私は上着を脱ぎながら男の背後に走り寄り、頭に被せて視界を奪った。男が暴れだす。聞いてはいたが確かにものすごい力だ、ただでさえ体格差があるのにとても私だけでは抑えられない。

 スーツ姿の人や部活帰りの高校生などが驚きの表情でこちらを見ている。手伝ってください!と私が叫ぶと訳も分からないまま何人かが立ち上がって男を取り押さえるのに協力してくれた。


 男は視界を奪われたままジタバタしながら唸っている。数人がかりでどうにか動きを止めることに成功したが車内は騒然としている。

 もう嫌だ、早く次の駅に着いて……と心の中で繰り返す。男を押さえている高校生が私に質問する。


「あの、これって流行りの病気とやっぱり関係あるんですか?」


 罹患者の目がカメラの役割をしてるんです、と私は一言だけ答える。

 もはや分かりやすく説明する余裕も気力も私にはなかった。この場にいた人たちが適当に解釈して噂を広めてくれて、聞いた人は各自警戒してくれればいい、と他力本願気味に考える。

 車掌や運転手にまでこの騒ぎは伝わっていないのか、次の駅に到着する旨のアナウンスがいつもと同じ調子で車内に流れる。

 ふう、と溜息をつきながらもう一度車内を見回すと、先程倒れていた乗客の何人かがゆっくりと立ち上がる姿がそこにあった。


青Tシャツの男を押さえていた高校生もスーツの人も、やや年寄りのお爺さんも子連れの主婦も、全員が気を失ったように倒れている。この車両内で唯一私だけが意識を保っていた。

 ……こんな短時間で立ち上がれる上に目カメラの機能まで獲得してしまうなんて。完全にLINKの進化速度は手に負えないところまで来ている。


 立ち上がった人々は全員生気のない目で私を見ている。

 彼らの目的はあくまで感染の拡大だからなのか、今のところ私に襲いかかってくるような様子はない。倒れない私を見て不審に思うということもないようだ。と言うより、人間を目カメラで撮る、情報をLINK本体に送るという簡単な命令をこなしているだけなのだろう。

 これではまるで機械だ。機械であるLINKが人間を機械のように変貌させ、機械として扱う。人類は、機械に反乱されているのかもいるのかもしれない。


 恐怖に耐えながら警戒しつつ様子を窺っていると電車は家の最寄り駅に到着し扉が開く。私は転がるように電車から飛び降り、笑う膝にどうにか力を入れながら走って改札方面へと逃げた。

 改札を抜け、自宅へと走り続ける。こんなに走ったのはいつぶりだろう、今にも心臓が破裂しそうだ。その間にも街中に倒れている人を見かける。もう、本当に世界は終わってしまうのかもしれない。


 家に着くと私は廊下に倒れ込む。

 軽い眩暈とともに視界が明るくなったり暗くなったりする。荒く呼吸をしていると肺から血のような味が立ち上ってくる感じがする。そしてかつてない速さで鳴る心音は直接脳に響くような気さえした。それらが私は生きている、機械ではないと実感させてくれる。だが、どうしたらいいのか、誰に頼ればいいのか、もう何も分からない。


 私は助けて、松前……と彼の名前を呟くことしかできなかった。

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