LINE32:Awakenings

 識くんは医務室のベッドで静かに眠っている。

 警察医の島村さんの話によると昨日、自分の能力や脳の解析をすると言ってPCに向かった直後から彼は話しかけても応答しなくなり、数時間後には気絶状態と判断されそのまま医務室に運び込まれて未だに目覚めていないらしい。生命活動には特に問題はないとのことだ。


 もちろん心配なのだが、ちょっと許せない部分もある。

 あれだけ私のことを過保護気味に心配したり「気を付けて」とか「真由は僕が守る」なんてカッコつけて言ってみたりする割に、彼は自身の心配を一切していない。これは生活の保障だけをして自分への関与を一切拒絶している父の姿に少し似ているな、と思うと複雑な気持ちになる。

 確かに私には識くんのように特殊な能力もなければ卓越した知識や頭の良さもない。だが、人同士の関係というものは一方的に守られたり助けられたりするものではない、と私は思う。

 それは友達も、恋人も、家族も同じなのではないか。連絡だけしておけば危ないことをしてもいいというわけではないだろう。

 男の子というのはそもそもそういう生き物なのかもしれないが、私には分からない。起きたら文句のひとつでも言ってやろう、と私は少し膨れた表情を浮かべた。


 ガラッと扉の滑る音が響き、黒澤さんが引き戸を開けて医務室に入ってくる。

 私が顔を向けるとすまないな、と彼は謝る。その真意は分からないが、この人はこの間から謝ってばかりだ。

 あの時私は自分の感情を抑えきれずに怒鳴ってしまったが、チームや部下の責任を負うというのは大変なことなのだろう。

 やや疲れているような黒澤さんの顔を見て、彼や父にも怒鳴り散らしたい時があるのかなと私は想像し、少しだけ同情した。野中識の、と黒澤さんは疲れた表情のまま口を開く。


「こいつの記憶に関することは何も分からないのか?断片的にでも」


 少し警戒しながら私は返答する。


「今のところは何も。そもそも彼は記憶を取り戻すことにあまり積極的じゃありませんでした」

「まぁな、これだけの能力があれば大人に目ぇつけられちまうからな。TVとか週刊誌とか、そういうのに見つからなかっただけまだマシだったんじゃないか」


 ……警察に睨まれたりしますからね、と本当は皮肉を付け足したかったのだが、言いたいことは大体先に言われてしまった。

 それに彼の言っていることは正論だ。警察のような公的組織は公開しても問題のない情報だけを開示する。捜査上開示すると不利になる情報、その他被害者のプライバシー配慮など。

 しかし時にそれは不祥事の隠蔽に繋がったりすることもある。そしてメディアは様々な情報を明らかにするため、つまり権力を監視するために動く。

 どちらにも言い分と立場があるのだが、残念ながら面白半分で情報を曝露したりする事例が目立つのはメディアの方だ。そういう意味で、識くんが警察の預かるところになっているこの現状はそう悪い状況ではないのかもしれない。

 まぁ、そのメディアは現在「映像が使えない」という状況のせいでかなりの部分が無力化されているのだけれど。


 正直、私は識くんの能力があれば勝てないものなんてないのではくらいに思っていたが、国家が振るう暴力はそんな生易しいものではなかった。

 下手をしたら識くんも私も殺されていたかもしれない。所詮私も考えの甘い子供でしかなかったのだ、識くんと同じように。


「こいつは、自分の脳を解析するって言ってたみたいだが。CTやらMRIやらで何も分からなかったものがPCで解析したところで分かるもんなのか?」


 黒澤さんが気まずそうに言い、良く分かりませんが識くんは、と私は返答する。


「プロトコルが違う?とか何とか……例えば二次元の世界の住人から見た場合、Z軸方向へ移動されると認識が出来なくなると識くんは言っていました。そう言った普通の人間には認識できない規格で、LINKは人格や記憶を奪っているそうです。その規格を逆に利用することで自分の脳を探ろうとしているんじゃないでしょうか?」

「なるほどな、脳に作用するTCPってとこか。この分だと物体に作用するプロトコルが存在しててもおかしくねえな」


 黒澤さんってPCとかネットに強いんですか?と私が質問すると、理系の大学にいたからな、と彼は返答した。正直意外だなと思ったが口に出すのはやめておいた。


「Orionの社長、海堂匡は知ってるだろう?俺は奴と大学で同期だった」


 えぇっ、と思わず声が出る。TVやネットで見かけるいかにも理系という感じの海堂匡と黒澤さんではかなりイメージに差がある。黒澤さんはどちらかというと体育会系っぽいのに。


「奴は当時から天才というか、超人といった印象だった。とにかく、間違いなくこの騒ぎに一枚噛んでるだろうな。すでにOrionにはLINK等の停止要請が行っているはずだが一向に騒ぎが沈静化する様子はない。それどころかむしろ悪化しているようにさえ思える。もしかすると、すでに奴らにも止めることが出来なくなってるのかもな。モタモタしてる内に打つ手を失ったわけだ」


 考えれば考えるほど私に出来ることなんて何もないということが明らかになるだけだ。私は暗い表情でそうですか……と言うことしか出来なかった。


 この進化速度は例えるなら、人類が知恵を持ってから産業革命が起こるまでの歴史を半年足らずで達成しているようなものだ、と黒澤さんが言う。

 今までの常識では機械やAIといったものは人間と違って応用が利かず、行間を読んだり相手の気持ちを汲んだりするような思考は苦手とされてきた。だがもしそれらが克服された場合、彼らの演算能力に人類は抗うことさえできないだろう。矛盾のない集合知に人は敗北するしかないのだろうか。

 そんなことを考えていると僕が止めるよ、と左側から識くんの声が部屋に響く。私はすぐにベッドに駆け寄り彼の手を握り大丈夫なの、と問いかけた。心配かけてごめん、と半身を起こしながら識くんは呟く。

 一言文句を言ってやろうと思っていたのに、無事に目を覚ましてくれたことで私は心から安堵してしまう。

 社会は崩壊寸前、母は倒れ、父はそれにすら無関心だ。私にはもう、家族と呼べる存在は識くんしかいないのかもしれない。そう思うと何故か分からないが涙が溢れてくる。

 孤独で寂しいからなのか、識くんが目覚めて嬉しいからなのか。またしても私は感情を抑えることが出来ない。

 識くん、お願いだからもう危ないことはしないで。いなくならないで、と私はかすれた涙声で訴える。顔を上げると、二人とも困ったような顔をしていた。


「状況はあまり良いとは言えないみたいだね」


 そうだな、それはそうと分析で何か分かったのか、と黒澤さんは尋ねる。


「さすがに全情報を解析するのは無理があったけど分かったこともある。僕は人為的に作られた存在なのは間違いない、記憶を失っているんじゃなくて、そもそも無いのかもしれない。ただ、Orionによって作られたという訳ではないみたいだ」


 何となく覚悟はしていたが、改めてはっきりと人為的に作られた、などと聞くとショックは大きい。でもそんなことは関係ない。出自がどうであろうと、彼は彼なのだから。


「それはむしろ逆で、僕はOrionを、LINKを止めるために作られた存在なのかもしれない。黒澤のおっさん、また特殊部隊を動かしてもらえないかな。僕にけしかけたときみたいに」


 おっさんじゃねえんだよクソガキ、と黒澤さんは呟く。

 私はあの黒い装備の部隊がうちに突入してきた時のことを思い出してまた荒事になるのか、と嫌な気分になったが、手段を選んでいられない状況なのも確かだ。


「物理的破壊ではおそらく効果がない。LINKは世界中にRAIDのようなバックアップを当然持っているだろう、だから僕がLINKの本体サーバからソフトウェア的な破壊、つまり書き換えを試みる。きっとそれが僕の役割だ。その際、多分操られた罹患者達などが妨害してくると思う。それに対応しうる警察や特殊部隊の後ろ楯が欲しい」


 識くんは、また戦おうとしている。

 どうして彼がこんな大変な思いをしなくてはならないのか。私は両親からこうすべき、という指示を受けたことがない。ただ何となく、社会の空気に順応するように一般的に正しいとされる道を選んでこれまで生きていた。誰も目的をくれない人生、確かにそれは虚しいものだった。だが彼は「役割」と言った。

 何かを実行するためだけに作られた存在なんて悲しすぎる。人は、責任を持つことで何かを選択することが出来る。もっと自由に生きていいはずだ。


「状況が状況だ、こうしてる間にも廃人はどんどん増えている。SATを動かしたい、と要請すれば比較的簡単に通るかもな」


 黒澤さんがそう言うと、識くんはお願いします、と敬語で答え、少し真由と二人にさせてもらえますか、とも付け足した。


 黒澤さんはふっ、と笑うと部屋を出て行ったが、私たちの間には何となく会話がない。私は何か言ってもお互いが傷ついてしまうだけのような気がしていた。

 識くんは私を、ひいてはきっと世界を救うためにまた戦いに行く。そんな彼を私はただ待つことしか出来ない。

 私はどうしたいのだろう?この世界に能動的に生きていたい理由なんてない。ただ、識くんと静かに過ごしていたいという小さな動機があるだけだ。その目的のためには彼を危険にさらさなければならない。この矛盾に頭が軋むように痛む。

 そんなことを思っているとふと、真由はさ、と識くんが口を開く。


「真由はどうして僕に優しくしてくれたの?あんな街中に裸で倒れてて、よく分からない能力で大人を打ち倒すような怪しい子供を」


理由なんてないよ、と私は返答する。


「小さな子が裸で倒れてたら助けなきゃと思うのは普通でしょ?けどそう思わない人たちもいて、あの人らは私たちに襲いかかってきた。そしてキミは私を助けてくれた。本当に嬉しかったし、カッコいいなとも思ったよ。でも、そうじゃないの。きっと一緒に暮らす中で私は、識くんのことを好きになっていったんだと思う」


 ありがとう、僕も真由のことが大好きだよ、と識くんは屈託なく答える。

 識くんの手を取り私はうん、と頷く。彼の温度が伝わってくる。これは、間違いなく生きている人間の体温だ。もう少し識くんが大人だったら、今の台詞を言うのに恥ずかしがったりするのかな、と思うと口元が緩む。


「僕とこの世界をリンクさせるものは真由の存在だけだ。真由を守るためなら何でもする。だから……」


 遮るようにそうでもないでしょ、と私が言うと識くんは不思議そうな表情を浮かべる。


「最初は怖かったけど警察の人たちも良くしてくれてるし、松前修くんや遥ちゃんだって友達でしょ?みんながいなくなったら……私も、識くんもきっと悲しいと思うよ?」


 そうか……そうだな、と識くんは呟く。


「真由が悲しんだら僕も悲しい。だから、僕はみんなを守るためにOrionを止めに行くよ」


 と彼は言う。いまいちニュアンスが伝わっていない気もするが、みんな、という言葉が彼の口から出たのは素直に嬉しかった。

 この先、識くんは特殊部隊と共にOrion社へ行くつもりなのだろう。それが危険なことなのは分かっている。でも私は彼の行動を、選択を、そして成長を見届けたいと思った。私は識くんの目を真っ直ぐに見据えて言った。


「私も連れていってくれる?」

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