LINE25:Explanation

 会社帰りに伊織の見舞いに病院に寄る。


 先日目を覚ましてからの経過は良好なようで、一安心といったところか。だが彼女は記憶の一部を失っているらしく、遥のことを忘れてしまっていた。

 僕も遥についてあの子がうちに来た日のこと、とてもIQが高いこと、温泉旅行に行ったことなどいくつか話してみたが、そのほとんどはTodayの日記に伊織自身が記録していたらしく、それを見ても思い出せないとのことだった。

 見舞いに来る度に伊織はごめんね、と謝るが、彼女が悪いわけではない。

 慰めにもならないが大丈夫、思い出はまた作ればいいんだよ、とだけ僕は伝えた。修と遥が何か話があるらしいから今日は帰るよ、と伝えて僕は病室を後にした。


 先日のウイルス騒ぎが沈静化してから、僕は自分の部署に戻っていつも通りの作業をこなしている。特に激務ということもなく、早上がりして伊織の見舞いに通える程度だ。

 LINKの部署については今何をしているのか知らないが、海堂自身が指揮を執って何やら対策しているらしく連日デスマーチらしい。

 僕と歳も変わらないのに社長サマはよくやるよ、と溜め息をつきながら僕は家路をとぼとぼと歩くのだった。


 ただいま、とドアを開けてリビングに向かうと、ふたりはあまり元気とは言えない雰囲気でおかえりなさい、と言う。

 無理もない、特にここ最近の遥の落ち込みようは見ていてつらくなる程だ。とりあえず夕食用意しておいたから手洗って着替えておいでよ、と修が言う。この子は高校生なのにますます保護者じみてきてるなと思いながら分かったよ、と僕は洗面所に向かった。


 再びリビングに戻り、いただきますと挨拶をして夕食を取る。食卓に会話が少ないがTVをつけたりする気にもなれない。

 修も唯も出来の良い子達だったので、今まであまり経験のなかった「家族会議 」というやつはこんなに息詰まるものなのかと僕は気が滅入った。

 煮物を箸で摘まんでいるとどこから話すべきかな、と修が話し始めた。


 信じられないかもしれないけど、という前置きから始まった修の説明だったが、僕は特に疑問もなく受け入れられてしまった。この前遥が突然僕の手を握って来たのはそういうことだったのか。

 ただ、avenueを停止させたあのウイルスを作ったのが遥だという点に関しては少し驚いたが、修も関与していたと聞けば納得できた。

 この子達はお互いに足りない部分を補うことで最高のパフォーマンスを発揮するのだろう。


 普通なら信じられないような話だろうが、僕は天才や超人の存在をこの目で見て知っている。

 遥と、海堂匡。あの男は常人とは違う理の中で生きていると断言できる。


 未知のプロトコルなんてものを使ってこの現実離れした騒ぎを起こせる者がいるのだとしたら、それは間違いなく海堂だろう。

 それに奴は現在LINKチームの陣頭指揮を取っている。あるいはこの問題の対策をしているのかもしれないが、逆にこの先何か良からぬ事が起きても不思議はない。


 LINKってそもそも何なんだ、父さんは知ってるの?と修が僕に問いかける。

 そもそも何なのか、か。少なくとも人を廃人にするためのシステムじゃなかったはずなんだが。僕は説明を始める。


「LINKは知っての通り簡易メッセンジャーアプリとしてリリースされた。β版の機能は15年以上前からあったPC用チャットツール、Orion Messengerと大差ないかそれ以下のものだったが、それ以降のサービス拡大は知っての通り、仮想空間のavenueが代表的だね。他のサービスもやっているが、その辺は他社に差をつけられている。日記はTodayが独占しているし、写真サイトではPhotogenicsのユーザー数には届かない。ただ従来と決定的に違う部分が二点。ひとつはそのチャットツールを外に持ち出せるようになった結果、携帯電話の専売特許的な機能だった通話とSMS、それらの代替として使えるようになったことだろうね。Wi-Fi経由で利用すれば通話料金もかからない。けどこれはまぁ、LINKが凄いとかではなくそれまでメーカー各社が携帯電話に独自OSを載せていた時代から大半の携帯電話がうちのオープンソースOS、Atmosphere MEで動くように変わったことによる変化と言えるかな」


 修がそれは分かってるよ、ふたつめは?とでも言いたげな顔をしている。一方の遥は歴史にはあまり興味がなさそうだ。どうにも僕は説明が冗長でいけないなぁ。

 気を取り直して続ける。


「ふたつめは、LINKはAIによるOrion社のアプリケーション制御や開発のテストケース第一号ってところだな」


 退屈そうに聞いていたふたりは急に目を見開いてこちらを見る。

 ちょっと僕には詳細は分からないんだけど遥、これって……と修が言うと遥が口を開く。


「AIは……どのくらいのレベルで運用されてるの?運営を任せられるレベル?」


「いや、僕がこの前ウイルスの処理に当たったときはまだまだ計算が速いだけのお子ちゃまレベルだったよ。基本的には人が手作業で少しずつ教えていかないと。ただ近年のAIの進歩は驚異的だとは思うよ。おそらく遥のウイルス問題を乗り越えたことでさらに学習したんじゃないかな」


 少し合点がいった、と遥が呟く。

 相当なマンパワーがあったとしてもあの進化スピードを人の手で実装するのには無理がある、それこそAIのような自律思考型のシステムでなければ説明がつかない、と独り言のように続けている。

 間髪入れず修からの質問が続く。

 父さんはこの先、LINKはどういう進化を遂げてくと思う?


 進化、ね……。確かに退化ではないのだろうが、変質化とか暴走という言葉の方が合っているような気もする。私見だけど、と前置きしてから僕は話し始める。


「今のLINKの目的は情報を収集する、という点に集約されていると思うけど、もし僕が学習中のAIだったら次はもっと効率的な情報収集が出来る方法を考えるだろうね」


 具体的には?と遥が言う。


「例えばお前達がやったように甘言で人を釣って自撮りを上げさせてavenueに取り込むとかね。それに、今はLINKのタイムライン上に写真がアップされる、というのが必須トリガーらしいけど、極端な話携帯を手に持った段階でこっそりインカメラが起動、勝手にアップロードされるなんて芸当も不可能じゃないかもしれない」


 まさか、と修が声をあげる。

 クラスメイトの女子で、撮影した覚えのない自撮り写真をアップされた子がいるらしい。その子は暗号化済みで今のところ問題はないとのことだが。僕は続ける。


「遥が開発した暗号化処理もいずれ突破されるだろうね。遥、そのために必要なものは何だと思う?」


 スパコン級の処理能力……?それでも256bitならまず破られることはないと思うけど……と自信なさげに遥は答える。


「そう、半分は正解だ。けど僕ならおそらく、世の中に溢れてるデバイスを使って分散・並列処理をするだろうね、もちろんその中にはスパコンも含まれる」


 遥の顔色が青くなる。修の方は「ん?」という表情なので補足する。


「要するに家庭とか会社のPCや携帯を乗っ取って計算に使うってことだよ。256bitならまず破られないくらいの天文学的数字の暗号化パターンがあるわけだけど、それを世の中に無数にあるPC、スマートフォン等のデバイスで計算させたらどのくらいの期間でデコード出来るだろうね?世界にどのくらいのデバイスがあるのかは分からないけど、『30億のデバイスで走るプログラム言語』なんてキャッチコピーもあるくらいだからね」


 自分で言いながら少し飛躍し過ぎかなとは思う。子供達を怖がらせても仕方がないのだが、この異様な進化速度から考えると言い過ぎでもないかもしれない。

 しかしこれはすでに僕や遥のような個人エンジニアで対処できるレベルを完全に超えている。どうしたものか。じゃあもうLINKを、Orionを止める方法はないのかと修が問う。


「そんな事になる前に、本体サーバーを物理的に破壊するしかないだろうね……。その場合、保存されている人格のデータは……」


 食卓にまた沈黙が流れる。

 人が人である故のコンピュータに対してのアドバンテージは、物理的対処、つまり停止や破壊が出来ることに他ならない。しかしこんな馬鹿げた話を携えてどこに行けばいい?少し考えてから無駄かもしれないけど、と前置きして僕は言う。


「遥、匿名で構わない、出来るだけの証拠と根拠を資料にまとめて公的機関、その他大学とかでもいい、メールしてみてくれないか?修はその文章を作るのを手伝ってやってくれ。彼らが信じるかどうかは分からないが何もしないよりはマシだろう。怪文書の形で掲示板にアップするのもいいかもしれない。僕は社内で出来ることを模索してみるよ。社長の海堂とは同期だから」


 修がマジで!?と声をあげる。

 あんまり言いたくなかったんだよなぁ、これ。世界企業の社長サマとしがないエンジニアの僕、自分の子供に立場を比較されるのはあまり気分のいいものではない。

 つくづく僕は小さな人間だな、と自嘲する。それでも、自分の家族くらいはこの小さな手で守るために努力しなくちゃね、と僕は思った。

 遥はうん、分かった、と少しだけ力の戻った眼差しで僕を見て頷く。僕も頷くとふぅ、と息をついてすっかり冷めた肉じゃがを口に放り込んだ。

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