LINE23:Memories 2
ここ数日、精神的な消耗が激しい。
想像もできないようなスケールの話に巻き込まれていたり、超能力を目の当たりにしたり、遥が倒れたり、母さんも倒れたり...。
遥が無事目覚めただけでも少しはマシと思うべきか。
遥が眠っている間、僕は野中識くんにメールでいくつか質問をした。
まず識くんの能力でこの病気を治すことは出来ないのか。回答はノーだった。
彼の能力は破壊や改竄などの方面に特化しているらしく、怪我や病気を治す方向には作用しないらしい。ただ、遥は違うかもしれない、と彼は付け加えた。
次にLINKの進化について、想像できる範囲で構わないのでどんなことが起こると思うか。
目的は分からないがLINKはavenueという自身の拡張機能上にこの世界のコピーを作ろうとしているのではないか、と彼は推察した。
確かに、あの時僕が数か月ぶりにアクセスしたavenueは以前よりも圧倒的にリアリティのある仮想空間としてアップデートされていた。
地名、施設、そして人々。そういったものがかなり現実に近い形になってきているのは間違いない。
この先はもっと効率的に人を取り込めるように進化してゆくのではないか、と彼は背筋が凍るような回答をした。
そして遥は君と同質の存在なのかという質問に対しては、もし遥に識くんのような超能力が発現したとしても当面はプログラミングやハッキングといった超常的でない能力を駆使しての水面下での対処になるだろう、それほどに警察組織やOrionは巨大で、少なくとも彼女が目覚めなくては大きく事態を進展させるのは難しいだろうとも彼は追記していた。
その遥は約二日間の眠りから目覚め、識くんに触れたことでなにやら色々とできるようになったらしい。その能力で母さんを、ひいては優斗や竹村を助けられるといいのだが。
ただでさえ遥の理数系の話にはついていけなかったのに、今日の報告はもはや超常現象に近いような内容にまで踏み込んでおり、呆然と聞くことしかできなかった僕はますます役立たずだな、とカレーを煮込みながら自嘲するのだった。
翌日目を覚ますと、携帯には遥からメッセージが届いている。最新型うつに対する予防接種のような処置の方法が完成したという。
受信時間は朝方の5時頃で現在は9時過ぎ、寝坊助の遥はまだ寝てるかな、と思いつつ部屋のドアをノックしてみると意外にもどうぞー、と返答が聞こえた。
相変わらず散らかり放題の部屋に入る。
昨日の夜食に用意したカレーの食器も床に放置されていて、あぁもう、食べたら片付けなさい、とお小言を言いたくなったが、集中して頑張ってくれたのかなと思ったのでうるさく言うのはやめておいた。
しゅー君、ちょっと実験台になってくれる?と穏やかでないことを遥が言い出す。例の防疫に関してのことだろう。
まぁ、元から僕に選択肢など無いのだ。いいよ、と即答すると遥が意外そうな表情をしている。僕はどうした?と問いかける。
「いや、普段だったらもうちょっと無粋な突っ込みが入るかなと思って……。本当にそれ安全なのか?とか」
遥は僕の口調を大げさに真似しながら言う。
どちらにせよもう僕には分からない領域の話だ、代替案が出せる訳でもない。遥が大丈夫って言うなら信じるよ、とだけ返答した。
我ながら少し自暴自棄気味だなとは思う、だが赤坂を実験台にするわけにもぶっつけ本番で母さんに試してみるわけにもいかない。みんなを助けるためには現状、他に何も思い付かないのだ。
自分で実験台になれと言っておいて遥は少し心配そうな顔をしている。僕は大丈夫だよ、と微笑みを浮かべながら遥に伝える。
分かった、ちょっと手を出してと遥は決意したように言い僕の手を取る。
処理が始まったのか、耳の奥で微かに高音が響いたような気がしたが、それ以外は特にどうということも感じなかった。
実際に腕に打つ予防注射だってそうか、抗原が身体に入ったからといってその瞬間に何かを感じたりすることなんてないもんな、針を刺す痛みがない分こっちの方が優しいくらいだな、などと僕は考える。
時間にして数秒程度、何も変わった気がしないんだけどこんなものなのかな、と遥に問いかける。
「私から見ると今のしゅー君の情報は暗号化されていて、BMTP……えっと、特殊な通信を経て人格情報にアクセスされたとしても簡単にデコードしたりはできないようになってると思う。ただ、これがLINKに対して確実に作用するものか、どのくらい有効なのかっていう部分は、さすがに危ないし検証できないかな……」
試しに自撮りをLINKにアップしてみればいいのか、と僕は呟いて携帯を頭上に持ち上げインカメラを起動して適当に自分の顔を撮影する。
その瞬間、遥がちょっと何してるの、やめてよ、と叫び僕から携帯を奪う。
「しゅー君おかしいよ!理論はほぼ完璧に組んだつもりだけど、未知の技術相手に100%成功する保証なんてどこにもないの!もし論理に脆弱性があってしゅー君まで倒れちゃったら……いなくなっちゃったら私はどうしたらいいの、お願いだから考えなしに危ないことはしないで、いつもみたいに冷静でいてよ……」
遥は涙をこらえているように見える。
彼女はきっと母さんが心配で朝方まで作業してくれてたのに、こんな風に泣かされるために頑張った訳じゃないのに。僕は本当に駄目だな。
……そうだな、遥の言う通りヤケになってもいいことなんてひとつもない。実務的にできることがなくても、遥の支えになってあげることくらいはできるかもしれない。そう伝えてごめんね、と僕は遥に謝った。
遥は俯いている。下を向いたまま「……連れてって」と言う。
何処に?母さんのいる病院なら今から行くよ、と僕は答える。
「ママ助けた帰りに。パフェ」
うん、と僕は少し微笑みながら首を縦に振った。
相変わらずの炎天下の中、隣町の病院まで遥とふたりで歩く。その間僕らはほとんど言葉を交わさなかったが、不思議と気まずい感じはなかった。
なんとなく遥のこと、そして自分のことも少しだけ理解できたような気がして、ふっ切れたというか、気分が晴れたような感じがしていた。遥もそうであればいい、と僕は思った。
ここの病院には確か竹村も入院していたはずだ。 母さんに防疫を施したら竹村の病室にも寄っていこうと僕は考える。
総合案内で見舞いに来たことを伝え、名前や住所を書いているとあれ、松前……と背後から声が聞こえる。振り向くと声の主は赤坂だった。
赤坂はできるだけ小まめに竹村の見舞いに来ているらしい。
一昨日の見舞いの時にも何かあったらしいが、僕も赤坂も参っていて何も話せなかったのであとで説明したいとのことだった。
母さんの見舞いが済んだら竹村の病室にも寄るからそこで待っててくれ、と僕は伝える。
エレベーターを待つ間、遥が梨香ちゃん、と軽く微笑みながら赤坂の手を取る。
どうしたの?と赤坂は不思議そうにしていたが、これも後で説明するよ、と僕は補足しておいた。
病室で母さんはいつものようにノーメイクで静かに眠っていた。こうしていると病気で倒れているという印象はまるで感じられない。
遥の方にちらりと視線を移す見るともう母さんの方へ小走りしていた。
そのまま中腰でベッドからはみ出している右手に触れると、数秒で母さんは目を覚ました。遥の表情が途端にぱあっと明るくなる。
竹村がそうだったように、最新型うつに罹患したからといってもすぐに意識不明になるわけではない。今のところ母さんは起き上がれるし会話もできる程度の症状のようだ。
最初はただの疲労か何かであってほしいと僕は思っていたが、姉ちゃんの携帯にLINK経由で遥との写真を送っていたことからその線は否定された。
あとは、遥のこの能力でこれ以上病状が進行しないことを祈るばかりだ。
母さんは僕の方を見ると、あら修、わざわざありがとうね、といつもの調子で言う。
僕は心から安堵の溜め息をつき、体調はどう?と聞いた。
大丈夫だよ、心配かけてごめんね、と母さんは言う。
遥は母さんの声を聞いて、今朝と同様に涙をこらえているようだ。母さんは左手も遥と繋いでいる右手に運んで、優しく撫でながら言う。
「えっと……ごめんね。何ちゃんだっけ?」
絶望とはこういう形をしているのか、と思わせるような表情だった。
遥は立ち上がると泣き出すわけでもなく、茫然自失のままフラフラと病室を出ていった。僕は声をかけることも追いかけることもできず、遥を目で追うことしかできなかった。
まず母さんの記憶の確認をする。私認知症なの?と怪訝な表情をしていたが名前や生年月日、住所などは問題がないようだった。
親父と姉ちゃんのことも僕のことも覚えている。ということは新しい方の記憶からなくなっているということだろうか?
あの子の名前は遥、うちの家族だ、母さんが名前をつけたんだよ、と僕は伝える。
「そういえば唯はもううちにはいないのに、ここ最近女の子が家にいたような気がする……そうだ修、私の携帯取って」と母さんは言う。
今は携帯は……と少しLINKの影響に対して抵抗を感じたが、遥の暗号化が効いていればきっと大丈夫だろうと自分に言い聞かせる。
何より、ほんの少しでも情報を集めて伝えなければ、遥があまりにも可哀想だと僕は思った。
携帯を渡すと母さんはPinでロックを解除し、国内最大の日記SNSであるTodayを開いた。
画面には日記と、遥と二人で写っている写真などが表示されている。
「本当に忘れちゃってるのね、私……。でも所々覚えてることもある、確かにクリスマスパーティはしたと思うし、お正月は唯も帰ってきてた。あの子に悪いことしちゃったな……」と過去の日記を眺めながら悲しそうな表情で母さんが言う。
「僕はもう遥のところに行かないと。今は説明してる余裕がないけど、なるべく携帯でWebにアクセスしないで。LINK、特にavenueには絶対にアクセスしないでもらえるかな」
母さんは何言ってんの、という表情だ。
「姉ちゃんに聞けばいろいろ説明してくれると思うから、目が覚めたって報告がてら電話してやって。とにかく、今はあの子を、遥を一人にしておけない」
分かったよ、遥ちゃんに謝っておいて。あと、また来てねって伝えておいて、と母さんはもう一度悲しそうな表情を浮かべながら言う。
きっと遥は、謝ってほしいなんて思っていないだろう……僕はやりきれない気持ちのまま病室を出た。
廊下を少し見回すが遥の姿はない、見つけたとしてもなんと言って声をかけていいのか分からない。
そう思っていると携帯が鳴る。赤坂からのメッセージだ。遥が竹村の病室に来ているらしい。僕は急いで階段を降りて3Fに向かった。
病室では遥が暗い表情のままパイプ椅子の上で膝を抱えている。
松前、何かあったの?お母さんは……と赤坂が僕と遥を交互に見ながら心配そうに言う。彼女も僕や遥の様子を見て嫌な予感しかないのだろう、確かに良い状況とは言えないのが現実だ。
どこから話そう……と思索していると急に遥が口を開いた。
「メモリーの数%が破損してた」
どういうこと?と僕は言う。膝を抱えたまま表情も変えずにブツブツと遥は続ける。
avenueにコピーされる際にコピー元である本体の記憶が、情報が破壊されてる。壊れたデータは、リカバリできない……と言ったところで堰を切ったように遥は泣き出した。
じゃあ、恵は……と赤坂の表情も先程の遥のように絶望に染まってゆく。竹村さんのメモリーは……と遥が口を開くと、赤坂がやめて!と叫んだ。
女子二人が泣いている中、僕は何もできずただ立ち尽くすだけだった。三人目の女子、竹村は静かに寝息を立てている。
その時、病室にある全員の携帯がピンポン、と鳴りメッセージが届いた。
二人はとても携帯をいじれるような状態ではない。僕はポケットから携帯を取り出しメッセージを確認する。
送信者は不明。ランダム文字列のようなアカウント名だ。メッセージには何も書かれていない。ただ、悲しげな表情をした赤坂梨香の写真だけが送信されていた。
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