LINE22:Mirrorge 1

 気がつくと私は知らない場所に座り込んでいた。


 薄暗いトンネルのような空間にはオレンジ色の照明と、道の真ん中に破線がどこまでも規則正しく並んで続いている。

 今気がついた私には当然どこから来たのかも分からなかったが、後ろを振り向いた先には一切の照明がなかった。

 というよりもあるのは完全な黒で、道も全く見えずもしそちらに進んだら奈落の底に落ちてしまいそうな気さえした。仕方がないので前方向へと進む。


 左右の壁には非常口への経路を示していると思われるものや非常電話の案内板のようなものが点在し、頼りなく光っている。

 その他壁には消防器具と思われるものや銀色の扉などがあるが、どれも開く様子はない。時たま天井部には巨大な扇風機のようなものが吊り下げられ回転していて、無音の空間に唯一ゴォーッという低音を耳障りな大音量で響かせている。


 不思議と孤独感や恐怖はない。

 少し歩くとトンネルの上部に掲示された緑色の看板が目に入る。道案内用の看板のようだが、見たことのない言語で表記されていてその先に何があるのかは分からない。ただ、矢印の形状からこの先に分岐点があることだけは分かった。

 分岐点に辿り着くと黄色い信号が設置されていて、上下に二つある明かりを交互に点滅させていた。信号の横に少女が立っている。それは私だった。


 特に驚くこともなく、多分これは夢なのだろうと私は簡単に受け入れた。

 向こうから話しかけてくる様子はない。私は(私)に近づいてねえ、と声をかける。


「あなたは、私のことを知ってる?」


 (私)は何を言っているんだ、といった表情を浮かべている。


「私の名前は松前遥、だけど記憶がない。自分が普通じゃないことは分かってる、だから記憶なんて取り戻さない方がいいんじゃないかと思ってた。けどみんなの……梨香ちゃんの、修くんの助けになりたいの。だから何でもいい、もし知ってることがあるなら教えて」


(私)はこちらにゆっくりと視線を合わせ、話し始めた。


「あなたの記憶については分からない。ただ、今のあなたは本来の姿ではないとは言える。いわば、私は今のあなたに欠けている部分とも言える」


 本来の姿?よく分からない。記憶を取り戻すことが本来の姿に戻ることに繋がるのだろうか。

 夢に意味を求めるのも馬鹿げているが、何故私はここにいる?現実では何があったんだっけ……。

 そう考えていると(私)が私の手を取り言う。


「少なくとも今ここで私と会ったことで、あなたは自分の一部を取り戻すだろう」


 自分と同じ顔をしているのに何を言ってるのかさっぱり分からない。説明は要点をまとめて簡潔にしろよ、修くんみたいに、と私は思った。


「そろそろ時間だ、あなたは目覚めるだろう」


 と(私)が言うと周囲が明るくなり始めた。オレンジの照明が明るくなっているのではない、例えるなら光源がないのに明るくなってきているというか。私の視界がホワイトアウトしているのだろうか?


「ちょっと待った、全然分からない!あんたまた会える?」


 夢が覚めようとしているのが分かる。私は急いで問いかけると「或いは」と(私)が答えた。


「あともう一個質問!私の正体って何なの!」


 夢の中なのに意識が薄れるというのも変な話だが、もうこれ以上ここに意識を保っていられない。視界がぐらつき、もうほとんど(私)の姿が見えないくらい周囲が真っ白に明るい。


「あ……た……A…………



 知っている天井が視界に映る、いつものベッドで私は目を覚ました。照明は消えているが部屋は明るく、窓に目をやると時間帯は昼間のようだ。

 次第に意識がはっきりしてくるにつれ、先程の夢の内容が薄れてゆく。あれ、私誰と話してたんだっけ……。


 今何時かな、と枕元で充電されている携帯を手に取る。

 ……これ、もしかして2日くらい経ってないか?そもそも寝る前に私は何をしていた?確か修くんと梨香ちゃんと喫茶店で……。思い出した、@shiki-nowhereだ。

 野中識と話をして、あの変な超能力を私も使えないかと聞いてみた辺りで記憶が途切れている。

 実際問題としてあんな常識外れなことができるようになったのだろうか?試してみようにもやり方は分からないし実験台もいない。修くんはどこだ。


 特に足腰が立たないといったこともなかったのでベッドから起き上がり机に移動してとりあえずPCの電源を入れる。

 シャットダウンはしていなかったようで、スリープからの復帰だった。いつものようにPCの画面に向かうと、それまでとはまったく違う世界が広がっていた。


 これまでも実行ファイルを見ればそのまま流れ込んで来るようにコードが見えるような感覚はあったが、今の状態はそういうレベルではない。

 例えるならPCやネットワーク上で起きている電気信号の流れがすべて分かるとでも言うか。今ならLINKがどういうプロセスを経て人々から人格を奪っているのか、すべて理解できるような気さえする。


 avenueを開いてvoidの罹患者と思われる人のデータを参照する。

 まだ知識や常識がついてこないが、いわゆるデータとは別に何らかの信号がLINKを通じて送信されていることが感覚としては理解できた。

 おそらくこれが人格のデータなのだろう。四次元的とでも言うべきか、従来のデータ通信とはそもそものプロトコルが違うものがサーバとやり取りされている。

 そのデータの正体を確かめるべくさらに検証を重ねる。私はこの正体不明のデータ通信に便宜上、Brain-Mind-Transfer Protocol……BMTPという名称をつけた。


 検証を続けていると外はすっかり暗くなっていた。

 今までもプログラムに夢中になっていつの間にか時間が経っていたことはあったが、今日の集中ぶりはその比ではない。

 エアコンは回っていたが服が汗でびっしょりになっていたことにすら気がつかなかった。一区切りついたのでとりあえずお風呂にでも入って休憩するか、それにお腹が空いた。


 私は階段を降りてお風呂場に向かい、2日は替えてないであろうTシャツを脱いでさっさと浴室に入る。

 湯船にはお湯が張ってあったのでラッキー、と思いつつ湯船に浸かり、ふぅ、と一息つきながらこれまでの情報を整理する。

 新しく得た情報やこの先考えられる可能性や対策を脳内でシミュレーションしていると「遥!?」という声と共に修くんが浴室のドアを開けたので私は悲鳴を上げ、反射的に投げた洗面器が修くんの顔に直撃した。


 まぁ確かに急に倒れた上に2日も寝ていて修くんには迷惑をかけたとは思うが不可抗力的な部分もある。

 向こうからしても「遥ー、お風呂入ってるのー?」というテンションでもなかっただろう。

 とりあえず風呂から上がったら居間に来いとのことで、話すことは山ほどあるはずなので私は着替えて居間に向かう。


 苦笑しつつあはは……なんかごめんね……と呟きながら居間の敷居を跨ぐと修くんはいつになく険しい表情をしていた。

 まず目が覚めたみたいで良かったよ、元気そうだしな、と皮肉気味に修くんは言うが相変わらず表情は固く、何かあったのかなと私も不安になる。


 その表情のまま母さんが倒れた、と修くんが続けると私の表情も凍りついた。


 ショックは大きいがとにかく今必要なのは情報の整理だ。

 私は目覚めてから分かったことをできるだけ簡潔に修くんに伝えようとする。しかし混乱と動揺が勝ってしまい、上手くまとめることができない。

 そもそもBMTPについては私自身も検証中で、例えるならこれは霊的現象に根拠を与えるような話で従来の言葉で説明するのが非常に難しい。

 そのとき私の頭にアイデアが閃く。


 そうだ、野中識の超能力。あれの検証がまだだった。

 私は修くんの手を取り、2秒間痺れろ、と念じてみたが特に何も起こらない。

 声に出して痺れろー、痺れろーと言ってみるが結果は同じだ。何してんの、と修くんが言う。


「いや……こないだ野中識がやってたみたいに痺れさせたりできないかなと思って……」


 と私が説明するとあぁ、僕を実験台にしたわけね、と修くんがジト目でこちらを見ている。

 気まずいのを我慢して、何かできないかと手を握ったまま意識を集中する。その時、松前修という人間の情報の一部が私の頭に流れ込んできた。


 脈拍、身長、体重、肉体年齢……。

 修くんの思考が、心までもが流れ込んで来てしまいそうで私は反射的に手を離した。

 これだ、これがLINKの盗んでいる情報、ヒトのデータなのだ。

 言葉には出来ないながらも私は様々なことを感覚として理解し始めていた。そしてその対策も。勝手に色々理解して納得している私を見て修くんは困惑しているようだったが私はひとつの仮説を立て、修くんに説明する。


 写真がアップされることでLINKがその人の人格データへのアクセス権を得てそれを盗み出し、avenue上に再構成するというのなら、データ自体、つまりその人の存在に暗号化などの防疫を施して自衛するというのはどうだろう?

 サーバの処理能力にもよるが、私のオリジナルアルゴリズムで256bit程度の暗号化を施せばまず破られることはないだろう。

 もう少し検証の時間があれば、LINKから人格へのアクセスをそもそも遮断することもできるかもしれない。すぐに検証してママを助けないと。

 修くんには完全には伝わっていないようだったが、とにかくもう少し部屋で研究させてほしいと伝える。

 病み上がりで大丈夫なのか、と修くんは心配してくれたが、いっぱい寝たから平気。あ、お腹空いたから夜食は部屋に持ってきてね、カレーがいい、と答えると私は小走りで部屋に戻った。


 右下にあるPC上の時計に視線を移すと、時刻は午前5時を回っていた。

 その甲斐もあって、ヒトの情報に暗号化処理を施すことでLINKからの干渉を妨害する論理はほぼ完成させることができた。集中しすぎていつ食べたのかすら覚えてないが、カレーがちょっと机にこぼれていた。


 修くんはさすがに寝てるかな、と思ったのでこぼれたカレーをティッシュで拭いつつ携帯にメッセージを送っておく。悪いがまた実験台になってもらおう。

 野中識にも一応メールを送信しておく。あいつの場合は概論を添付しておけば多分勝手に理解するだろう、私と同じで普通の存在ではないのだから。

 それでもまだ分からないことはある、超能力のことなど近いうちに一度会って話さなくては。


 自分で言うのも何だが目が覚めてからの私はちょっとすごい。なんとなく、本当にこの病気を止めることができそうな全能感がある。

 調子に乗っているだけと言えばそれまでだが、明日はママが入院している病院に行って一刻も早く助けてあげたい、私が今動いている理由はそれだけだ。


 今日はさすがに疲れたのでもう眠ることにしよう。

 昨日までは変な夢を見ていた気がするが、今日は静かに眠れるといいな、と思いながら布団に入ると数秒で私は眠りの淵に吸い込まれていった。

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