LINE21:Hospitalization

 大病院のフロントは多くの人で混雑している。


 あの日遥ちゃんが倒れてから数日が過ぎた。

 何か調べようにも私は松前のように頭が切れる訳ではないし、遥ちゃんが眠っていては大したことはできないのが実情だ。

 遥ちゃんと識くん、あのふたりは私たちとは明らかに違う存在だ。でもそれは超常の能力を持っているという点だけで、ふたりとも本質的には小さな子供なのだ。

 そんな子たちに頼らないとなにも出来ない自分がもどかしい。きっと松前も同じ気持ちだろう。

 ただ、そうは言っても私たちも16歳の子供でしかない。今の私にできることは恵や本間のお見舞いに行くことくらいだった。


 病院の匂いがあまり好きではない。おばあちゃんが入院していたとき、よくお見舞いに行っていたことを思い出す。これと同じ匂いのする病室で、ある日おばあちゃんは動かなくなった。

 小さかった私は回りの迷惑も省みずひたすら泣いていた。きっと母さんも泣きたかっただろう。けれど母さんは私を静かに抱きしめ、ただあやしてくれた。


 大人は、子供と一緒に泣いてはいけないのだろうか。私も大人になればつらいことや悲しいことも我慢できるようになるのだろうか。


 入院棟のある3Fの廊下に辿り着くと窓際には外の光が優しく射し込んでいる。

 松葉杖をつくおじさん、車椅子の老人、片目に眼帯の少女。様々な人の横を通りすぎながら恵の病室へ向かう。

 病院には人々の生きようとする意思、そして抗いがたい死が蔓延している。

 恵は、どちらなのだろう。意識のない彼女は生きようとしているのだろうか。そもそも彼女の心は今どこにあるのだろう。

 avenueにいる恵と、病室にいる恵。当然後者が本物の恵だと思いたい。

 それでも、仮想空間で会話した彼女はあまりにもいつも通りの恵で、私にはどうしても偽物だとは思えなかった……。


 恵の病室の前に着き、どうもネガティブになってしまう気持ちを振り払いつつ引き戸に手をかける。

 病室に入ると看護師さんが私に親族の方ですか、と問いかけ、友達ですと私は答える。看護師さんは後でまた来ますね、と軽く会釈をして病室を出て行く。

 入院着姿の恵は左腕に点滴を打たれている。そして相変わらず静かに、静かすぎるくらいにすやすやと眠っている。

 私は普段のように、教室でクラスメイトと他愛のない話をするように最近あったことを彼女に語りかけた。


この前ね、遥ちゃん……恵は会ったことないんだっけ、松前の親戚の子で今はあいつの家に住んでるんだけど、その子がすごい子なの、まだ中二とかなのにすっごく頭がいいんだよ、天才少女って感じ、パソコンに強いみたいだし、恵とは話合うんじゃないかな。

 最近松前の雰囲気が変わったような気がしない、柔らかくなったと言うか、きっと遥ちゃんの面倒を見るようになって変わったんじゃないかなと私は思ってるんだけど。私も結希の面倒を見るようになってちょっと変わったような気がするな。

 そういえばこの前本間と松前がお見舞いに来たんでしょ、見舞い品何がいいかなとか本間からメッセージ来てたけど返せなくてさ、あいつ結局何買ってきたの。

 来週のお祭りさ、みんなで行こうって松前と話してるの、本間も呼んでさ、遥ちゃんに同い年くらいの新しい友達もできたんだよ、だから、だから戻ってきてよ、恵……。


 少しずつこの病気の正体に近づくたびに、自分の無力さを痛感する。ここ数日は松前とも連絡が取れず、もう本当にどうしていいか分からない。

 自分は松前には元気出してなんて言っておいて結局現実を目の当たりにすると心が折れてしまいそうだ。

 今日は抱きしめてあやしてくれる人もいない。私は静かに眠る恵の手を握り、泣くことしかできなかった。私は、泣いてばかりだ……。


 その時、恵の手が私の手を握り返したような感触がした。

 はっとするように首を上げ彼女の顔に視線を移すと、恵の瞼が開いていた。恵、聞こえる、と私は大声で呼びかける。

 彼女の眼球がくるりと回転し、私の方に視線が移る。顔を近づけてもう一度名前を呼んでみる。

 また視線が動き、明らかに恵は私を認識していると思えたがすぐに目を閉じてしまった。


 後方でドアの開く音が響く。看護師さんがシーツか何かを換えるために戻ってきたようだ。あら、どうしました?と彼女が言う。

 今この子の目が開いたんですと私が興奮ぎみに返答する。


「最近たまに目を開いたり手を動かしたりすることもあるんですよ、早く良くなるといいですね」


 と看護師さんは微笑んだ。話したりはできないんですか?と私は質問する。


「まだ話したりはできないみたいだけど……この症状で入院している他の患者の方では声を出したり、中には立ち上がったり歩く方もいますよ。……あんまり病状について話しちゃいけないから、内緒ですけどね」


 良かった……少しずつでも回復してくれているならまだ私も頑張れる。

 話の規模が大きすぎて大したことはできないかもしれない、けど諦めずにお見舞いは続けよう。


 私は再び眠った恵にまた来るね、と声をかけ看護師さんに会釈をして病室を出た。

 少し陽が傾いてきたが、夕方と呼ぶにはまだまだ明るく、結希を迎えに行く時間には早い。

 保育園と本間が入院している病院はそれほど離れていないので、ついでに本間のお見舞いにも行ってやるか、と私は病院を後にした。


 Orion Mapsに目的地を入力し、橋を渡り国道沿いを歩いて隣町へ移動する。

 私は方向音痴なのでこのGPS機能がなければ病院に限らず初めて行く目的地には辿り着けないかもしれない……。


 そう言えば地図データと位置情報、つまりGPSを利用したavenueの拡張サービスがあったことを思い出す。

 詳しくは知らないが、実際にその場所に行って何か行動するとavenue上にも反映される……とかそういう感じだったかと思う。クラスの男子グループが1日に10km程も歩いていると聞いてダイエットにはいいかもなと思ったのを覚えている。

 しかしavenueの関連アプリだ、下手をすればこれにも何か危険な機能があるかもと思うと試してみる気にはなれない。

 それ以前に今日はいい天気というよりは炎天下で、TVでは熱中症対策を、としきりに注意喚起している。とてもじゃないが長時間歩こうとは思えない。


 熱中症に最新型うつ、こう倒れる人が多くては病院のベッドが足りなくなってしまうのではないか。

 松前と遥ちゃん、そして識くんはどういう方法でこの病気を止めるつもりなのだろう。遥ちゃんは倒れ、あの日以降の様子は分からないし、松前は返信をしてこない。

 LINKは再起動しサービスを再開したが、恵が動いたように少し動ける人、中には立ち上がる人もいると看護師さんは言っていた。

 実際にLINKを一時的にでも止めたことでこれまでの患者が快方に向かっているのではないだろうか。

 本間も元気になってるといいな、と思うと少しだけ前向きな気持ちになれた。


 国道を左に曲がりやや小さな路地に入り病院方面へと歩く。本間の入院しているらしい総合病院は住宅街にひっそりと佇んでいた。

 恵のいたところに比べると建物はやや古く、大病院というよりは中病院といった印象を受けた。

 近隣には鉄板焼のお店や海鮮料理のお店などがあり食欲を誘う。

 今日の夕飯は何にしようとぼんやり考えながら自動ドアを通り抜ける。

 院内は照明がやや少なく壁も紺などの暗い色なので全体的に薄暗い印象を受けた。入ってすぐの総合案内で本間の病室を尋ねる。

 ご家族の方ですか、とお決まりの質問が飛んできたのでこちらもテンプレ通りに友人ですと答えると受付の中年女性は少し考え込むようなそぶりを見せ、お呼びしますのでおかけになってお待ちください、と奥に引っ込んでいった。


 なんだろう、こちらの病院の方がセキュリティに厳しいのだろうか?

 10分ほど経っても呼ばれる気配がないので何となくフロントをうろうろしてみるとドリンクの自販機を見かける。冷たいコーヒーでも飲もうかと財布を取り出すが小銭の持ち合わせがなく、紙幣も五千円札しかなかった。

 病院自体が古いためか自販機も旧型で、ICカード決済には対応していないようだ。会計窓口で両替してもらえるだろうか。

 やれやれと思いながら窓口に向かうと何やら奥の方の廊下が騒がしい。ふとそちらに目をやると体格のいい入院着の男が裸足でふらふらと歩いている。本間だった。


 私は驚いてその場で固まってしまった。本間の視点は定まっておらず口は半開きで、無精ひげが伸びてげっそりとした顔はまるで別人のようだった。

 本間はそのままよろよろと廊下をこちらに向かって歩いてくる。何故か分からないが、私は反射的に柱の後ろに隠れてしまった。


 廊下の方から看護師さんと思われる人が本間さん、と名前を呼ぶ声や見つけました、などの会話が聞こえてくる。

 本間は勝手に病室を抜けだしたということだろうか?呼吸と鼓動が荒い。隠れてしまったのはきっと、私の理性が見たくないものを拒否したからではないかと思った。

 恵も本間も快方に向かっていると思いたかった。でも今の本間のあの姿は……。


 受付の女性が戻ってくる。本間さん今日は調子が良くないみたいで、後日またいらしてもらえますか、すみませんねと彼女は言う。

 私は声も出せず2、3回頷いてから逃げるように病院を出た。


 病院を出てすぐ近くの公園に入る。

 ほんの少しの間だけだが前向きな気持ちを持てたのに、今は動揺と焦燥しかない。どうしてこんな目に合わなければいけないのか。

 私は携帯を取り出し祈るような気持ちで松前に電話を掛ける。相変わらず出ないのかもしれないが、今これ以上ひとりでいたら精神が持たないと思った。

 数コールのち、もしもしと松前の声が聞こえて私は心から安堵した。松前の声にも元気があまりない気がする。

 何かあった?と彼が言う。

 えっと……最近連絡取れなかったけどどうしてたのかなと思って。何か元気なさそうだけどそっちも何かあった?と私は答える。

 今日あったことを報告したいのではなく、私は松前に甘えたかっただけなのかもな、と話しながら考える。


 連絡できなくてすまない、母さんが最新型うつで倒れたよ、という松前の報告を聞いた私は、公園のベンチにへたり込むように腰を落とした。

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