LINE20:Doctor 2
ピンポン、と携帯が鳴る。
最近はアメリカでもLINKが普及してきており着信音だけではどこからのメッセージかが分からない。これはメッセージではなく無料通話の方の着信音だな。
先日LINKはサイバー攻撃によってメンテナンス中となり、それ以降特に気にもしていなかったのだがどうやらメンテナンスアップデートは完了したらしい。
机に手を伸ばし携帯を手に取ると発信者:松前修と表示されている。
私はアイコンを応答の方向にスワイプし携帯を耳に当てるとHello、と言い間違えそうになったが日本語でもしもしと言い直す。
海の向こうの修は珍しく狼狽している。この子が取り乱すとは相当だな、少し嫌な予感がする。そもそもいま日本は深夜帯のはずだが。
まず深呼吸して落ち着きなさい、何があったの、と私は問いかける。母さんが倒れた、という修の言葉を聞いて私の心拍数も急上昇したのを感じた。
私が動揺しては仕方がない、修を不安にさせてしまうだけだ。
落ち着け、と自分に言い聞かせながら、情報を整理するから落ち着いて質問にだけ答えてね、と前置きしてから修に質問をしていく。分かった、と修は応える。
「倒れたのはいつ?」
「二時間くらい前」
「呼吸が止まっていたりした?いびきは?」
「どちらもなかった」
「医者には診せた?」
「今父さんと病院から帰ってきた……」
次の質問をしようとすると修がごめん姉ちゃん、と私を遮る。
「これはたぶんこっちで最新型うつって呼ばれてる病気だ。優斗覚えてるだろ?この前、あいつが倒れた。それを発見して病院と警察に僕が通報した。その時のあいつの症状とそっくりなんだ。それに、日本では今この病気がものすごい勢いで流行っている……」
そう言われて私ははっとした。修の方がよっぽど落ち着いている。修はきっと私の性格に合わせて少しの間私のペースに付き合ってくれたのだろう。私はもう一度深呼吸して考える。
最新型うつというのは母さんの言っていた変な病気、おそらくこちらで一彦が検証している「Addictive Dementia 3rd Type(AD3)」のことだろう。先週から私も研究チームに編入されている。その上でこの病気への対処法は現状、無い。
考えろ、考えろと脳内で反芻しながら日本ではその病気に何か対処法はあるのか、と修に質問をする。
「今から言うことを落ち着いて聞いてほしいんだけど……。こんなことを冗談で言うわけがない、と先に断っとく。この病気は……」
そうして説明された修の話は彼の言う通り常軌を逸していた。母が倒れたという前提と前置きがなければ一蹴していたに違いない。
SNSアプリが人を廃人化する?視覚情報を経て洗脳のような状態を作るでもなく、写真がきっかけになっていると?バカな。
脳に対して何らかの物理的干渉の結果症状が起こっていて、その干渉が細菌やウイルスのように極小の単位なので肉眼で確認できないというのなら分かる。
写真がネットにアップされることで病気になる、という修の説明はあまりにも荒唐無稽に思えた。
私はアメリカで確認されたAD3と思われる患者の症状を参照する。
幸いと言っていいのか分からないが私のところに運ばれてきた被検体……いや患者も修の言った症状と一致はしている。だが病状と直接関係が無さそうと思われる情報は記載されていない。
例えばavenueというサービスのヘビーユーザーであること、自分の写真をLINK上にアップロードしているかどうか、そういったことは分からないが最近のLINKの普及度を考えるとこれはやや信憑性の高い情報のようにも思える。
だが私は今動揺している。感情に任せて結論を導くのは早い。いつものようには回ってくれない頭をフル回転させて私は修に問う。
「もし自撮りが原因なら、母さんと一緒に写ってる写真がよく送られてきてた遥ちゃんは無事なの?」
「遥は特別なんだ……いま説明している余裕はないけど、姉ちゃんも見ただろ、あいつは普通の子じゃないんだよ!」
修が声を荒げる。私はもう一度落ち着いて、と宥める。遥ちゃんは無事なの、ともう一度問う。
「遥は……あぁクソ、何から説明していいか分からない……。遥はここ何日か目を覚ましてない、でもあの子の場合は最新型うつとは違うんだ。
ごめん姉ちゃん、今は考えがまとまらない……。あとでこっちで起きたことについて情報をまとめてメールを出すよ」
分かった、と私は答える。
とにかく、にわかには信じられないけどメッセンジャーやSNSアプリが悪い影響を及ぼすというのなら母さんをPCや携帯に近づけないようにして、と現状ここアメリカからできる精一杯の指示を出す。通話が終了すると私は左手で顔を覆うようにして溜息をつきながらデスクに肘をついた。
修から得た情報と現在分かっている臨床報告を文書ファイルにまとめつつ、一彦にも「帰ったら説明するけど、絶対に自分の写真をネット上にアップしないように」と一応メッセージを送っておく。
一彦からすれば何のことやらという感じだろうが、下手に説明するよりは指示だけを伝えておいた方がいいだろうと判断した。
仮にも同じ医療関係者である彼にこんな話をしたらどう思われるだろう。発症を実際に目の当たりにしたわけではないので私もまだあまり信じられないが。
ここ最近のAD3の研究報告では寝たきり状態の人の他に、夢遊病のように外を出歩く例も報告されている。残念ながらそのすべてが心神喪失状態で、回復による行動とは見なされていない。
CTやMRIなどの検査によれば、筋肉や臓器にはこれといった病変はなく、主に脳の側頭葉や海馬等の記憶を司る部分に腫瘍のような影がある、という共通点があるようだ。
精神疾患であるという説はほぼ否定された形だ。腫瘍のタイプは悪性腫瘍の方に分類されるもので、周囲の組織に浸潤している疑いが強く、外科的除去は困難であると判断され手術が行われた例は現在のところ無い。
何となく予想はしていたが、従来の脳腫瘍治療に用いられる一般的な薬剤や放射線治療なども有意な結果を出したものは無い、とのことだった。
当然ながら医学は万能ではない。
医療関係者ではない一般の人々が思っている以上に「原因の分からない不治の病」は世の中に溢れ返っている。
ただ、遺伝病や自己免疫疾患のような特定の人、言い方は悪いが運の悪い人にだけ発症するような病気とは違い、誰しもが罹患する可能性のある病気というものには必ず原因、すなわちウイルスや細菌といった外的・物理的干渉があるはずなのだ。
ペスト、結核、エボラ出血熱、エイズ。物理的な変質が体内で起こっているにも拘わらず、そのきっかけとなっているものがウイルスや細菌、寄生虫といったものではないという点でこれは医学的には未知の領域だ。
もしかすると17世紀に細菌の存在が発見されたように「人に病変をもたらす新たな何か」が今この世界に現れたとは考えられないだろうか。
悪い意味で、私達は歴史的な瞬間に立ち会っているのかもしれない。そして私は、母さんに何もしてあげられないかもしれない……。
数時間が経ち、ノートPCに修からメールが届く。その内容は先ほどの電話を凌ぐ、考えることを放棄したくなるような異常なものだった。
信じられない、と一笑に付すのは簡単だ。だが少なくともメールには修が実際に体験したことが書かれているはずだ。私もその一部、遥ちゃんという超常の存在を実際に見ている以上、すべてを否定することは不可能のように思えた。
修が示唆するAD3とavenueとの関係性を検証してみようと思い立ち、私は使ったこともないavenueを立ち上げてみる。
うちの大学を模したと思われる仮想空間内には多くの人々が会話をしたり、授業を受けたりしている。
サービスの使い方は良く分からないが、確かにここで授業が受けられるのなら移動時間もない、ある意味では無駄を省けていると言えるのかもしれないな、などと考える。
大学付属の病院棟もしっかり再現されており、仮想空間でも出勤か、と少し苦笑する。
病院棟をうろうろしていると、黒人の学生のようなキャラクターが話しかけてきた。
「Dr.イツキですよね?僕です、ライリーです!先日は診ていただいてありがとうございました!」
画面内では、AD3患者で先週から寝たきり状態のはずのライリーが、元気に活動していた。
ライリーはその後も何か話していたが内容は頭に入ってこなかった。しかし口調や内容からこのキャラクターは確実にライリー本人だということだけは分かった。
私は恐怖を覚え、PCの電源を反射的に落とした。自分の中の常識と実際に目の当たりにしたものとが頭の中で繋がらない。
いずれ、母さんともこの中でしか会うことが出来なくなる?そんなことを考えると寒気がして頭がさらに混乱してくる。このままでは一彦に弱音を吐いてしまいそうだ。
AD3も、母さんが倒れたことも、超能力も何もかも嘘だったらいいのに。誰にも頼れないことがこんなに怖いとは。
私は自分の両腕を掴んで震えながら、一彦、早く帰ってきてと小さく呟いた。
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