LINE15:Family

 識くんが普通の男の子ではないのは最初から分かっていた。

 こんなに小さな身体なのに、その規格外の能力で私を守ってくれた。

 けれど彼は記憶、身寄り、帰る場所、一般的な常識、それどころか名前すらも持っていなかった。

 孤独はとても寂しくてつらい。彼の孤独と私の思う孤独は違うかもしれない、それでも昔の自分と彼の姿を重ねてあまり深く考えずに少しでも助けになってあげたいと私はあの日思った。


 私はひとりっ子で、生活に関しては何不自由なく育った。


 父は商社の重役らしく私が何か欲しいと言えば何でも買ってくれたし、ピアノを習いたいと言えば教室に通わせてくれた上に練習部屋まで用意してくれた。ただ、一緒に遊んでほしいという願いだけが叶えてもらえなかった。

 生活の豊かさと反比例するように、父には時間がなかったのだろう。


 母は、家庭を省みない人だった。彼女はいつでも綺麗で、派手で、常にお酒を飲んでいた。

 よく芸能人やスポーツ選手、企業の経営者や政治家などが家に来てホームパーティをしていた他、外で飲んでいることも多く、私は部屋で邪魔にならないようにしているか、お手伝いさんに遊び相手をしてもらうことが多かった。

 ホームパーティの日に父が帰ってくると、ゲストの人々は皆父の名を呼び、拍手を送りながらお酒を飲む。そして父も混ざるようにお酒を飲んでいた。


 父も母も、私を厳しく躾るような事はなかった。

 特に勉強しろ等とうるさく言われる事もなかったし、私は生来の性格からかグレるようなこともなかった。

 それでも私は彼らに褒めてほしくて、必死に良い成績を取ったり進学校に合格したりと結果を出してきた。それでも、両親が私の方を見てくれることはなかった。


 やがて高校生くらいになると、私は家を出てひとり暮らしをしたいと思うようになり、お金を貯めるようになった。

 志望した大学の場所自体は実家からでもどうにか通える距離だったが、私はとにかくこの家から離れたかった。

 私にとって実家は父の所有するケージのようにしか感じられず、一刻も早くこの場所から自由になりたかった。そして私は大学に合格し、籠を抜け出して暮らし始めたのだった。


 アパート、実家、どちらに住んでもひとりなのは変わらない。それでも母やお手伝いさんに気を遣わなくていいのはとても楽だった。そんなとき、識くんが現れた。

 ひとり暮らしがふたり暮らしになって、大変なことも増えたけれどそれ以上に家族が増えたことが私は嬉しかった。

 両親に隠し事、それも戸籍のない男の子を匿って暮らしてるだなんて以前の私からでは考えられない不良行為だな、と少し苦笑する。

 もし父にばれたら彼は何と言うだろうか。多分、特に怒りもせず淡々と行政などの然るべき機関に識くんを引き渡す方向で動くだけだろうな、と諦め気味に私は想像した。


 先日そんな父が食事に行こう、と私に電話をかけてきた時は本当に驚いた。

 さすがに娘が家からいなくなりしばらく経って寂しくなったのかな、などと勝手に想像して私は少し嬉しくなってニヤニヤしてしまった。だが父は「母さんが倒れた」と事務的に私に報告しただけだった。

 流行しているという「最新型うつ」だろうか?

 大学内にも何人かそれと思しき症状で欠席している学生がいるが、あの母がうつだなんてにわかには信じがたい。

 私が母の容態を尋ねると今は自宅療養で医師に訪問診療をしてもらっている、詳しい病状は分からない、とだけ父は答えた。


 その後は何を話したかもあまり印象に残っていない。美容師とか、タクシーの運転手とかと話すような当たり障りのない会話しかしなかった気がする。


 母が倒れたことはショックではあったが、それ以上にそんな大事なことを淡々と伝える父の落ち着きようにショックというよりもはや恐怖を感じた。

 本当に父は血の通った人間なのだろうか。自分の親に対してこんな風に考える私もおかしいのかもしれないが、父が大きく喜んだり怒ったりしているのを見たことがない。

 まるで感情のない、出会った頃の識くんのようだ。


 識くんの感情が豊かになってゆく一方、警察と名乗る人たちが私たちを尾けてきたりとおかしなことが起こり始めている。

 確かに彼は普通の男の子ではない、でも彼らは何のために識くんを監視するのだろう?

 若い方の刑事は彼を「人類の敵」とまで表現した。識くんがそんな風に言われていると思うと悲しい気持ちになったが「未知の能力が敵意を持って自分に向けられた」と考えるとそう思うのも無理はないのかもしれない。彼は敵なんかじゃないのに。


 けれど、ただの大学生でしかない私が身元不明、しかも警察に監視されている男の子と暮らし続けるのにはもう限界が来ているのかもしれない。

 もちろん、識くんと離れたくはない。ただこうして監視されたり調査されたりすることの理由やヒントが、彼の失われた記憶の中にあるとしたら。

 一緒に暮らし続けて行くために、ふたりで考えてみなければ、と思いながら私は帰路を急いだ。


 ただいま、と私はスーパーの袋を一度玄関に置き靴を脱ぐ。

 識くんはパソコンに向かってうたた寝をしていたようであ……お帰りなさい、と目を擦りながら言った。

 彼は記憶を取り戻すことに対してはあまり前向きではない。なんとなくそれがプラスに働かないことを肌で感じているのだろう。

 それでも、私はさっきまで考えていたことをできる限り前向きに伝えた。私たちがこの先も一緒に暮らしていけるように、識くんが何者なのか目をそらさずに知る必要があると思う、と伝える。

 少し険しい表情をして僕も、と識くんが話し出す。


「僕もこの間の件から少し考えてた、自分の正体に関して。僕のこの能力は何なのか。まだ憶測の域を出ないけど、ひょっとしたら僕はOrion社に作られた存在なんじゃないのかな、と思ってる」


 Orion?携帯やパソコンの会社が識くんのような超能力者を作った?何のために?


「Orionは今やIT事業に限らず様々な分野で資本力、技術力ともに強大な力を持つ世界最大のコングロマリットだよ。とりあえずOrion関連銘柄を買っとけば負けはないってぐらい。グループ企業にバイオ関連事業もある」


 どうにも話が見えず混乱してくる。それで、どうして?としか私は質問できなかった。


「陳腐な言い方だけど、たとえばもしOrionが実は悪の結社でテロとかクーデターを起こそうとしてるのなら、僕のような異能者を兵士として作り出そうと考えてもおかしくないんじゃない?」


 識くんの説明に私は全く現実みを感じられなかったが、そもそも彼の存在事態が非現実的だと考えるとあながち荒唐無稽とも言い切れないのかもしれない。


「……そして僕の能力は破壊に特化している気がする。まだ仮説ではあるけど、最近はOrionの情報にハッキングして少しずつ検証してる」


 そんな危ないことはやめたほうがいい、と私が言うと、識くんはつらそうな表情で答えた。


「僕が近くにいること自体が真由にとって危険の元になっている……それに、今流行りの最新型うつ、僕はあの症状の原因の一端になっている可能性が高い」


 私は呆然と識くんの話を聞くことしかできなかった。何もかもが私の理解を越えている。


「この前、警察の連中の記憶を消そうとして記憶にアクセスした時、彼らは僕が最新型うつに関わってる可能性を疑って監視しているらしいことが少しだけ分かった。詳しいことは何も知らされてなかったみたいだけど。だから僕は……」


 識くんはさらにつらそうな表情を浮かべる。大丈夫?と私は問いかける。


「僕はたぶん、真由といない方がいいのかもしれない。また警察はやって来るだろうし、ひょっとしたら最新型うつを発症させてしまうかも分からない。真由を守ることだけが僕がここにいる理由だったのに、ここにいたら真由を傷つけてしまう……」


 違うよ識くん、確かに私はいろんな場面でキミに守られてきたけど、守ってくれるから一緒にいたい訳じゃない。

 識くんは孤独だった私に、家庭の暖かさを教えてくれた。家族なんだから、一緒に乗り越えていこう?

 私はそう言うと、少し泣いている識くんを抱きしめていた。私も泣いてしまいそうだった。それに、と私は続ける。

 それに能力は使い方次第だよ。ひょっとしたらその能力で最新型うつの人たちを助けたり、戦う力なんかも正しいことに使っていけるんじゃないかな?本当は識くんには戦ったりなんてしてほしくないんだけど……。でもキミは人類の敵なんかじゃなくて救世主になれるかもしれない。

 識くんは私に抱きしめられたまま黙って頷いていた。かすかにありがとう、と声が聞こえた気がした。


そうだね、と言うと識くんは私から離れ、後ろを向いてティッシュで鼻をかんだ。良かった、少し元気になってくれたようだ。


「とりあえず、少しずつでも今ある情報から自分とOrion、最新型うつとの関係性を探るのは続けようと思う。危ない橋で悪いんだけど、ハッキングは続けると思う。でもこれは真由を守るためでもあるから……ごめんね、真由」


手放しでいいよ、とは言いづらい内容だがこう素直に頼まれると否定もしづらい。私は黙って頷いた。


「まずはOrionのソフトウェアやサービスについて熟知するところからかな……。真由がたまにやってるあれってなんなの?」


 avenueのことかな、と思って画面を開いて見せると識くんはそうそうこれ、と言って私のアバターで何やら内部の検証のようなことをし始めた。

 専門的なことは分からないので私は気分転換も兼ねて夕食を作ることにした。

 時々なるほど、とかふーん、などのひとり言とキーボードをカタカタと操作する音が聞こえてくる。

 数分のち識くんはなにこれ、と笑いをこらえるような声で話し出した。


「誰かウイルスばらまこうとしてる奴がいる、それもかなりの規模のやつ」


 それはまた随分穏やかじゃないな、と思いながらどんなウイルスなの?と尋ねる。


「avenue、ひいてはLINKそのものを高負荷で停止させるのが目的のウイルスみたいだけど……。これを作った奴にはすごく興味があるな、サインアップして実行してみようかな」


ちょっと待った……と言う間もなく、識くんは新規アカウントを作成してウイルスを実行してしまった。


「少なくともこれを設置した人間はOrionに対して敵意があると思う。そして痕跡もほぼ完璧に消されてて発信元の特定がしづらくなってる、やるな……」


 ゲームで強い対戦相手と出会ったかのような表情をしながら識くんが言う。子供らしく楽しそうだが内容にやや問題があるとは思う……。


 その間にもみるみる内にavenueの動作が重くなってゆく。夕食の照り焼きチキンを食べ終わり、そろそろ寝ようかという頃、avenueはLINK共々停止した。

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