LINE04:Genius 2

「ごちそうさま、美味しかったー」


 1K一人暮らし用の部屋に子供の声が響く。

 夕食を済ませ、その子は屈託の無い笑顔を浮かべて満足そうにしている。

 パスタとスープと野菜炒め、簡単なものだけど作った料理を美味しいと言ってもらえるのは私も嬉しい。


 私がこの子を家に匿ってから半年ほどが経過した。

 突如現れた記憶喪失の少年は、超能力としか言いようがない能力を多数有していた。

 まず彼は触れた対象を内部から破壊したり改竄したりすることが出来るようで、ガラの悪い男たちに絡まれていた私を助けてくれたのはおそらくこの能力によるものだろう。


 次に、視覚や聴覚を通じて認識した情報を高精度で分析することが出来る。

 例えば料理を分析すれば栄養分やカロリーなどを数値として認識出来るらしく、この前は


「真由お姉ちゃん、今日はちょっとカロリー摂取過多じゃない?」


 などと言われてしまったこともあった。

 しかし食べ物の味はそれらとは関係ないようで、塩分過多だ、でも美味しい、やめられない……と呟きながらお菓子をつまむ姿は子供らしくて微笑ましく、可愛いな、と私は思うのだった。

 まあ塩分を気にする子供はあまり見かけないが。


 また彼は複雑な計算でも瞬時にこなす他、一般的な外国語をほぼマスターしている。

 ただし読み書きに関しては全く問題はないが翻訳があまり得意ではないらしく、日本語に訳そうとすると片言のような表現になってしまうこともあるようだ。


 規格外の能力と知識を持つ記憶喪失の少年、そんな彼に私は「識」という名前をあげた。

 最初の頃の識くんは無表情かつ言葉もかしこまった敬語で、あまり感情の起伏がないように思えた。

 しかししばらく一緒に暮らしていく内に彼は段々と表情豊かになっていき、今では普段の生活上は普通の子供と変わらないまでになった。

 識くん自身の分析によると彼の年齢は12歳らしい。

 彼は警察や病院などの施設に行くことを拒んだが、確かにこの能力を知られたら大人は彼を放っておかないだろう。

 下手をすればモルモットのような扱いを受けてしまうかもしれない。

 一介の大学生に過ぎない私が小さな男の子を引き取ることは不可能のように思えた。


 だが何より彼は私と一緒にいたいと言ってくれた。

 私は困り果てていたが、結果として彼は私の親戚という立場に現在は落ち着いている。

 ……おそらく識くんは回りの人々の彼に対する認識を改竄したのだろう。

 一緒に暮らすためには仕方なかったとは言え、人の心を書き換えるようなことはしちゃダメだよ、と私は彼を窘めた。

 識くんには表情や感情の他、良識や道徳のようなものも学習して成長していって欲しいな、とたかだか19歳の私は願うのだった。


 ちなみに、生活費に関しては彼が株や仮想通貨の取引で稼いでくれている。

 これに関しても改竄などのズルはしちゃダメだよ、と釘を刺してはおいたのたが、彼の計算能力や知識量を活かせばいとも簡単に利益が出てしまうのだった。

 ちょうどアルバイトをやめた時期だった私はどうやってこの子を食べさせていったものかと途方に暮れていたが、僕が稼ぐから真由は働かなくてもいいよ、大学の勉強とかあるんでしょ、と子供に面倒をみられてしまう始末なのだった。


 識くんはテーブルの上にノートPCを開いてニュースを見ながら株価をチェックしている。

 ネットを見たりレポートを作るくらいにしかPCを使わない私には十分なのだが、識くんから見ると私のPCはややスペック不足らしい。

「ハイスペックPC買ってデュアルモニターにしてトレードルーム作ろうかな」という一人言が聞こえる。

 私はどんな12歳なんだか、と心の中で突っ込みつつ食器を片付けながらTVのニュースをBGM代わりに聞いている。


 意識レベルが低下し、寝たきりのようになる症例が若年層の間で各地で拡がっています、厚生労働省によると、今までとは違うタイプの最新型うつ病としての対策を議論をしていくとの見解を記者会見でコメントしました。

 次のニュースです、Orion社の海堂匡CEOは、米最大手自動車企業であるNexon社の買収についてコメントを発表しました。

「今回の買収が大きなステップとなり、NexonとOrionの技術力がもたらす自動車用OS及びアプリケーションの連携強化はさらなる革新を生むだろう」との認識を示しました。

 次のニュースです、気象庁は今日、関東甲信地方が梅雨入りしたと発表しました、平年より2日、去年より1日早いということです、お出掛けの際には傘を忘れないようご注意下さい……。


 食器の片付けはもうすぐ終わる。

 明日から雨か、大学帰りに傘を持って買い物するのもな……今日の内に買い物を済ませちゃおうかな、と私は考えた。

 明日は何食べたい?と私が問いかけると識くんはうーん、今日は少し塩分が多めだったから明日はさっぱりしたものがいいかな、と答えた。

 分かった、明日雨みたいだから先に買い物行ってくるね、と言うと真由だけじゃ心配だから僕も行くよ、と識くんは立ち上がる。

 12歳の子に心配される私は……と複雑ではあるが悪い気分ではない。識くんなりに私を守ろうとしてくれているのだろう。

 二人とも部屋着だけどまぁいいか、私は識くんに頼りっぱなしだな、と考えつつ私たちは買い物に出かけるのだった。


 夜のスーパーはやや閑散としていて、見切り品、半額セールの惣菜が目立っている。

 明日はさっぱりめか、パスタは今日作ったからお蕎麦とサラダとかかな。

 私が野菜のコーナーを見ていると識くんは小走りでスナック菓子やチョコレートのコーナーへ向かっていく。

 トマト、レタス、ベビーリーフ……ブロッコリーも買っておこうか。油分の少ないドレッシングにしておかないとまた油分過多と言われてしまうな。

 野菜を選び終えお菓子コーナーへ近づくとチョコレート菓子を手にした識くんが「今日はもう少し糖分取っても大丈夫だから」とあたふたしながら言う。

 その姿を見て私は思わず少し笑う。


 私は一人っ子だったので弟って可愛いな、とつい甘やかしてしまう。

 まぁ管理できてるならいいよ、でも今日全部食べちゃダメだからね、と言いつつチョコレート菓子をカゴに入れる。

「頭使うのにも糖分がいるんだよ」と識くんは嬉しそうに微笑んでいる。

 こうしてれば本当に普通の男の子なんだけどな、と私は思った。


 会計を済ませ薄暗い住宅街の細い路地を歩いて家へ向かう。

 この辺りは識くんが倒れていた繁華街からはすぐ近くなのだが、大通りを越えて少し離れるとあっという間に人通りが少なくなる。

 もう暖かい季節になってきて、街灯には虫が柱のように螺旋を描きながらたかっていた。


 ふと識くんが私の右手から繋いでいた手を離し、袖を引っ張った。

 立ち止まらないで、と小さな声で呟く。右下に視線を移すと、識くんはあの頃のような冷たい表情をしていた。

 ここ最近見ることのなかったその表情に言いようのない不安を私は覚える。識くんが小さな声で続ける。


「さっきからもしかしたらと思ってたけど、尾行してる奴がいる。ちょっと撒く感じで走るよ」


 そう言うと私より先に識くんは走り出した。

 お姉ちゃん早く、と子供らしい演技も忘れていないが、速い。とても12歳とは思えないスピードだ。

 振り返って追跡者を確認したい気持ちもあったが「尾行に気づいている」と思われるのはより危険と判断し、やめておいた。


 この辺りの路地は入り組んでいるため人から隠れるのには都合がいい。

 家族向けの一軒家、線路沿いのとても細い道、袋小路にある学生向けアパート、ただでさえ狭い道を塞ぐ原付や中型バイク。一軒家の車庫に車が入っていたりして、どうやって駐車してるんだろうといつも不思議に思う。

 Orionの地図アプリですらこの辺りの写真は掲載されてないほど、とにかく狭い道に物や住宅がひしめき合っている。

 人がようやく一人通れるような路地を足早に通り抜けると識くんは大丈夫、相手は帰ったみたいと言った。


 部屋に戻ると識くんは分析を始める。

 盗聴機やカメラ等は仕掛けられていない、そしておそらく追跡者は変質者やストーカーといった個人のレベルではない、相手は集団もしくは組織的に動いていて、その狙いはおそらく僕で監視対象にしているのかもしれない。

 そう分析する識くんに私はえっ、どうしてと聞き返したが、逆に真由は尾行されるような心当たりあるの、どう考えても僕の方が普通じゃないでしょ、と言い返されてしまった。

 識くんは普通だよ、と本当は言ってあげたかったが方便や気休めを言っても仕方がない、と私は思った。


 本当はさっき待ち伏せするか追いかけて破壊しようかと思ってたんだけど、40mくらい離れたら認識できなくなっちゃったんだよね。でももしまた僕らの周りを嗅ぎ回るようなことをしていたら、と識くんは呟いたが暴力はダメだよ、と私は窘めた。

 識くんはしゅんとして分かった、ごめんなさいと頷いた後、でももし真由に何かしたら僕はそいつらを破壊する、と無表情で言った。


 夜も更けて、識くんは静かに眠っている。

 私には、いつか識くんがいなくなってしまうのではないかという漠然とした予感がある。

 彼はとても強く博識だけれど、中身は何も知らない12歳の男の子なのだ。

 その能力も知識も、大人によって間違ったことに利用されたりするようにはなってほしくない。


 私は識くんに守られてばかりで、もし彼自身に危険が及んだ時、私には彼を守るような力も術もない。

 それどころか私が足枷になってしまうかもしれない。私が感じている不安はきっとこういうことなのだろう。


 私は無力だね、でも私なりにキミのために何かしてあげたい。だから識くん、いなくならないでね。

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