不死狩りの夜

 夜でした。

 フィユさんの家から帰って、急激な眠気に襲われまして、今し方目が覚めた所です。

 慣れない早起きのせいかとも思いましたが、「魔力を消費したからだろう」とおじいさんが言うので、きっとそうなのでしょう。

「そういうわけで、夜はおでかけしますね」

 事情を説明したところ、おじいさんはとても渋い顔で頷きました。

「そうか」

「えっと、大丈夫でしょうか?」

「魔法絵画師として自分で考え、決めた事に口出しはせん」

 なんだか、そう言われると、わたしがしっかりしているような錯覚さえ覚えてしまいます。

「しかし、本音を言うなら、少々説教でもしたい気分だがな」

「すみません」

「謝る必要はないだろう。しかし、まぁ、心配はさせてもらうがな」

「アンさんに言ったら、怒られそうですね」

「怒るだろうな」

 まぁそうでしょう。

 できるだけ、内密に済ませたいところですが、きっと無理なので、今から怒られる覚悟をしておきます。それもこれも、無事に帰ってこられたらの話ではありますが。

「あっ、そう言えば、解放の小太刀があと一本必要でして、まだ在庫ありましたよね?」

「あー、その話だがな」

 なんとも歯切れの悪く、おじいさんは苦笑しました。


「えっ、ないの?」

 約束通りにわたしを迎えに来てくれたフィユさんが驚いたように言います。

 ちなみに、時間は既に深夜。いつもなら寝ている時間ですが、帰ってからのお昼寝もあって、あまり眠くはありません。

「はい、全部売っちゃったそうで」

「父に?」

「そのようです」

 おじいさんの話だと、わたしが出てからしばらく後にレユルさんが来て、在庫の解放の小太刀を全て買い占めたそうでした。

 あっ、おじいさんは既に寝ています。老人の夜は早いのです。

「一本あれば充分だろう」

 とおじいさんは考えたそうで、まぁ実際はそうらしいですが、そんなわけで売っちゃったらしいです。

「売れる時に、売れるやつに売らないとな」

 とも仰っていたので、まぁこちらの方が本音でしょう。

「父は実際に使うでしょうけど」

 そう言えば、レユルさんは不死狩りと呼ばれる程ですから、解放の小太刀も確かに使うのでしょう。

「私が抜け出すのを見越して、妨害したってのも当然あるけでしょうね」

 まぁ、どちらかと言えばそちらの方がメインだとは思います。

 しかし、解放の小太刀がなければヴェツモスを討つことはできないので、実質詰みのような状況でした。

「どうしますか?」

「行くわよ」

「でも……」

「そうね、解放の小太刀がなければヴェツモスを殺すことはできないわ」

「それでも行くんですか?」

「倒すことはできるから」

 ん?

 言葉遊びでしょうか?

「不死の魔物は、その高い再生能力の高さから不死と呼ばれるわけだけど、再生能力は消耗させることができるの」

「えっと、つまり、何回も倒すって事ですか?」

「そう、再生が殆どできなくなるまで倒しまくるの」

「できますか?」

 つまりは持久戦という事ですが、以前おじいさんが提案した案に似たようなものがありました。その時は、無理だと言うことで候補から外れた戦い方です。

「今の私になら、できるはずよ」

 フィユさんは右腕をあげます。その手首には、髪留めが結んでありました。

 まるでリストバンドのようです。

 わたしの描いた絵画魔法がフィユさんの望んだものになっていたとしたら、できるのかもしれません。

「では、行きますか」

 そんなわけで出発でした。

 夜の街を抜けて、夜の森へ。

 いえ、怖くはあったのですが、なんだかワクワクもしていました。

 それにしても、フィユさんはかなりの軽装でした。

 いつもは鎧を着ているのですが、本日は動きやすそうなパンツスタイルの服だけです。

「えっと、鎧はいいんですか?」

「あった方がいいけど、直ぐに準備できるものでもないのよ。剣なら適当に買った安物でもなんとかなるけど、鎧は身体に合わせて作った一点物だし」

 あっ、なるほど、鎧はオーダーメイドなのでしょう。それなら、直ぐに準備するのは無理です。

「それは心許ないですね」

「当たらなければ問題ないわ」

 なんだか、聞いたようなセリフですが、どこで聞いたかは思い出せませんでした。

「怪我はしないでくださいね」

 これから戦いに行くのに変な心配です。

「大丈夫よ、少なくともシエルは守るわ」

「フィユさんもですよ」

 そんな感じでお話ししながら、森に着きます。

 街の中ではなんやかんや街灯があったりして、明るかったのですが、夜の森は驚くほど真っ暗でした。

 おじいさんから借りた、魔法灯を点けます。

 石灯はその大きさと軽さから考えられないほど明るく森を照らしました。

 超強力懐中電灯みたいな感じです。

「それ、特級品ね」

 わたしの石灯を見たフィユさんが言います。

「そうなんですか?」

「そこまで明るいものは滅多にないわよ、流石はルシャンの魔法雑貨店ね」

「そうなんですね」

 確かに、お店に置いているものよりも、かなり明るいです。

 魔法灯、特に石灯の値段はそれに使われる魔光石の質、つまり明るさで変わるのです。

 お店に置いているものでも、少し躊躇われる程の値段だったりするので、これの値段は少し考えたくない感じです。

 万が一にも、壊したりはできません。

「でも、少し明るさを絞った方がいいわね」

「明るすぎますか?」

「ええ、まだいいけど、ヴェツモスの巣に近付いたら消してくれる?」

「はい」

 夜に動く生き物らしいので、やはり光があると逃げてしまうのでしょう。

「と言うか、巣があるんですね」

「あるわよ、この前の場所からまだ動いてなければだけど」

「レユルさんがまだ倒してないといいですね」

「それが一番の気がかりね」


 石灯の灯りを頼りに夜の森を歩いて、どれほど経ったでしょう?

 既に街道からは外れて、木々の中を歩いています。

 昼間でも大変な道を、それでもフィユさんは難なく歩きます。

 おじいさんといい、アンさんといい、冒険者というのは、みなさん健脚のようでした。

 明るすぎる光に照らされる木々の端には相応に深い影が立ち、フィユさんの姿を見失ってしまうと、森から出られなくなってしまうような予感すらあります。

 そんなわけで、フィユさんの後をついていくのに必死でした。

「そろそろ、灯りを絞ってくれる?」

「あっ、はい」

 心持ち、声を落としてフィユさんが言います。

 どうやら、ヴェツモスの巣が近いようでした。

 石灯の魔力調節ネジを絞って、光を足下が照らせる程度に暗く、狭くします。

 暗くなるのに応じて、心臓の音が大きくなるような気がしました。

 フィユさんの歩みは音を殺すような慎重なものへと変わり、必然、速度は遅くなります。 

 それでも、鼓動は落ち着くことはありませんでした。

 と、足をフィユさんは足を止め、後ろ手でわたしに静止を指示します。

 鞘と擦れる音を立てながら細身の剣が抜かれ、闇の中に煌めきました。

 いよいよのようです。

 周囲を伺うように、フィユさんがゆっくりと前に出ます。

 ふと、闇の中にナニカが動いたような気がしました。

 わたしが気付くのとほぼ同時にフィユさんもそれに気付いたようで、そちらに顔を向けます。

 森の暗さから、さらに一段階暗く、例えるなら墨色の中に漆黒があるように、そこだけ一際暗く浮いていました。まるで、ダルマのようなシルエットで。

「クドフル!」

 フィユさんの声が響きます。

 手首が一瞬、紺青に光ったかと思うと、まばゆいばかりの光が世界を埋め尽くしました。

 その色に名前をつけるとしたら、白雷色。

 白よりも白く、殆ど光そのままの色。

 それが、フィユさんの身体を包んでいました。

 どうやら、わたしのはじめての絵画魔法はちゃんと機能したようです。

 などと、安堵したのもつかの間、ヴェツモスが動きました。

 まばゆい白雷に照らされ、闇から浮き彫りになったその姿はやはり奇妙で、おじいさんの描いた絵の通り、ダルマに細い手足の生えたような、真っ黒なものでした。

 ヴェツモスがその細い手を伸ばすと、ダルマのような身体から黒が闇を伝ってフィユさんの方へと飛んでいきます。

 なかなかの速度で、わたしなら避けることもできず、簡単に当たってしまうでしょう。

 しかし、その黒がフィユさんの場所に届く前に、フィユさんはその場から消えていました。

 消えて、いえ、その表現が正しいのかはわかりませんが、少なくとも、わたしの目は既にフィユさんの姿を捉えられてはいませんでした。

 わたしの目に見えていたのは、ただ光の線がまばゆい軌跡を残しながら、闇の中を走る光景だったのです。

 軌跡の消える前にフィユさんが移動するので、ここだけがまるで昼間のように明るくなっています。

 これが、フィユさんとわたしで作り上げた極雷魔法でした。

 雷の魔法はその性質上、発生から終了までが一瞬で終了し、非常に火力の高い、ほぼ必中と言っていい魔法だそうです。

 それは極雷魔法になっても変わらず、その規模と威力、速度が飛躍的に上がるだけ。

 種類こそ多いですが、雷の魔法ができることは非常に限られている。

 それがフィユさんの説明でした。

「でも」

 と、フィユさんは続けます。

「そんな極雷魔法を身に纏う事ができれば、とっても凄い強化魔法になるんじゃない?」

 それが、出発点でした。

 普通の魔法では原理上不可能な極雷魔法を纏うという発想、まぁ原理とか言いましたが、難しいことはよくわからないのですけど。

 連続的に極雷魔法を発生させ、それを常に身体に纏わせることで、速度強化と攻撃力強化を行う。簡単に言うと、クドフルはこういう魔法でした。

 原理の方はかなり詳しくフィユさんが説明してましたが、最終的にニュアンスを取り出すことで、なんか絵画魔法になりました。

 そんな回想を挟んでいる間に、ヴェツモスのシルエットは随分と細くなっていました。

 目の追えない速度で、フィユさんが動く度に、ヴェツモスが細くなります。  

 この戦闘で、実際になにが行われているのかは、ほぼわかりませんが、フィユさんがヴェツモスを圧倒していることは確かでした。

 程なく、ダルマは顔のない棒人間となります。

 それでも光は止まらず、棒人間の周りを縦横に行き交い、今度はその度に棒人間の手が、足が、胴が飛び、いつの間にか生え、また飛び、それが幾度も繰り返されます。

 それが、どれくらい続いたのかはわかりません。

 体感では十分とか二十分とかそこら辺のような気がします。もしくは、それよりも随分長いのかもしれません。少なくとも、目がこの明るさに慣れる程度の時間は経っていました。

 だから、光が消えたとき、森の暗さに改めてたじろいでしまったのです。

「フィユさん?」

 忘れてかけていた石灯を少し暗めに点けて、ヴェツモスがいた辺りを照らすと、そこにフィユさんが立っていました。

「終わったわ」

 晴れやかな顔に汗が光っています。

 その手に握られた剣は、先ほどまでの煌めきはなく、黒く汚れていました。

 光の往復の分だけ切ったのでしたら、当然と言えるような汚れです。

 その剣が、フィユさんの足下へと下ろされました。足下に転がっているのは、暗く淀んだ棒のような身体。

 それがもがくように僅かに動いていますが、その些細な抵抗を許さないようにフィユさんは淡々と剣を振り続けます。

 その様子は、なんだかとても怖いものに見えました。

 いえ、そうしないと、不死の魔物であるヴェツモスは再生してしまう、ということはわかっているのです。

「えっと、これから、どうするんですか?」

「このまま夜明けを待って、街にこれを連れて行くわ」

 今は真夜中、夜明けまではあと四、五時間と言ったところでしょう。

「それまで、切り続けるんですか?」

「ええ」

「大変ですね」

「こんなの、いつもの訓練に比べれば楽よ」

 この会話の間にもフィユさんの手は止まらず、剣はまるでそれ自体が意志を持っているかのように、ヴェツモスを切りつけていました。

「そう、ですか」

 見たはいいですが、結局、ほとんどなにもわからない内に戦いは終わってしまったようです。

 ただ一つ、わかることと言えば、わたしの、そしてフィユさんの絵画魔法はちゃんと機能して、充分な成果を出したと言うことでしょう。

「もう無害だから、近付いて見てみる?」

「えっ……そう、ですね」

 無害と言われても、近付くのは少々躊躇われましたが、これも後学の為です。

 棒人間から手足が取られた、棒、もといヴェツモスは、本当に真っ黒な棒のようでした。

 顔と言われる部分がどこにあるのか、判然としません。

 ただそれだけで置かれていたのなら、ただの棒と信じて疑わないでしょう。

 ぶにぶにと柔らかそうな表面に、かろうじて目や口のような隙間があるのを認めるくらいです。素材で言ったらポリウレタンが近いような気がします。

「これって、本当に生き物なんですか?」

「不死の魔物が生き物かってのは、少し難しい問題ね」

「あっ、学術的とかそういう話ではなくて」

「それなら、まぁ、生き物ってことでいいんじゃないかしら。殺せるから」

 なんとも剣呑な基準です。

「なるほど」

 改めて見ても、やはり、生き物のようには、あまり見えませんでした。

 それが、もぞもぞと動くので、端的に言って気味が悪い、という感想です。

 しかも、腕や足の部分がゆっくりではありますが、伸びて再生しているので、いよいよ生物っぽさが希薄になっていました。その伸びた手足は間髪入れずにフィユさんに切られているわけですが。

「なんだか、あまり気持ちのいいものではありませんね」

「まぁ、そうでしょうね」

 切られた破片は、地面に落ちると、程なく蒸発するように消えていきます。

「これを夜明けまで、ですか」

 体力的な問題よりも、精神的な問題のような気がしました。

 少なくとも、この距離で直視するのは憚られたので、少々距離を取ります。

「私は大丈夫よ、眠くなったらシエルは休んでていいから」

「いえ、わたしも起きてますよ」

 まぁ、休むと言っても、その為の場所も、装備もないので、仕方ないのですが、それ以上に自分で言って付いてきたので、最後まで見届けるのが義務だろうと思ったのです。

 虫の声や鳥の声、葉擦れの音すら聞こえる静かな夜の森に、フィユさんの振るう剣の音と、それで飛ぶヴェツモスの身体の音が響いていました。

 夜明けまで、あとどれくらいあるのでしょう?

 キンッ。

 ふと、鋭く、変な音が響きました。

「えっ!」

 同時に、フィユさんの驚いた声。

 声に顔を向けると、剣が短くなっていました。

 折れたのだと、理解するのにややかかります。

 剣の音が止んだ数秒、棒が大きく震えました。

「フィユさん!」

 その時、わたしはようやく、その棒が本当に生き物であることを理解したのです。

 生きると言うことに、強い執着を持つ、命だと。

 ヴェツモスは、ずっと待っていたのでしょう。この時を。

 棒から、それより細い棒が一瞬で伸び、フィユさんの右手を掴みました。

「やめて!」

 悲鳴に近い声。

 ヴェツモスの手がフィユさんの腕に巻かれた髪留めへと伸びていました。

 布を纏う影、ヴェツモス。

 そう、あの髪留めも確かに布でした。

 フィユさんはヴェツモスを払おうとしますが、その手が離れることはありません。

 わたしができることなど、この場でなにもないような気がしました。

 それでも、ほぼ無意識に石灯の明かりを最大にしていたのです。

 目の眩むような光がヴェツモスとフィユさんを照らしました。

 一瞬だけ、ヴェツモスの動きが止まったように見えました。

 その光の中を一つの影が走ったのを、確かに見たのです。

 ドスッ。

 鈍い音が響きました。

「これは返そう」

 声がしました。

 光の中で、ヴェツモスの動きが止まり、フィユさんの腕から、ずるりとその手が落ちます。ヴェツモスの真ん中辺りに、解放の小太刀が刺さっていました。

 暫時の間があって、解放の小太刀が青く光り、森を僅かな間だけ照らします。

 それでヴェツモスは事切れたのか、動く気配はありません。

「お父様?」

 呆然とした様子のフィユさんが、まぶしそうにわたしの方を見ました。

 いえ、正確にはわたしの後ろを。

 光を絞って、振り返ります。

「不意の出来事に対する対処が遅い」

 闇に溶けるような漆黒のマントを羽織ったレユルさんがそこにいました。

「慢心があるからそうなる」

 レユルさんは感情を感じさせない低い声で、淡々と話します。

「そもそも、安物の剣であんな魔法を使えば、消耗することは予想できたはずだ。それに対処していないのは浅慮が過ぎる」

 それに、フィユさんはなにも言えず、ただ俯いているだけでした。

「一度の過ちで死ぬのが、冒険者という仕事だ、わかっているか?」

「あっ、あの」

「君は黙っていたまえ」

 割り込もうとしたわたしを、たった一言で制するレユルさんです。

「しかし、咄嗟に光を当てたのはいい機転だった」

「あっ、ありがとうございます」

 えっ、なんで、わたしはお礼を言っているんですか?

「なにより、不十分な装備で、解放の小太刀すら無い状態で不死の魔物に挑むのが、既に間違っている」

 それは、レユルさんが没収したからだと、口をついて出そうになりました。

「私に認められようと、意固地になった時点で不死狩りとしては失格だ」

「でもっ!」

 ついに耐えきれなくなったのか、フィユさんが声を上げます。

 その声は震えていました。

「なぜ今回だけだと思った?」

「ヴェツモスが」

「偶然、不死の魔物が現れたから、それを狩れば、私に認められると? 浅はかが過ぎるな」

「あっ、あの」

 言い分は、確かに正しい部分もあるのかもしれませんが、でも、フィユさんの事を思うと、なにも言わないわけにはいかなかったのです。

「君は黙っていろ、と言ったはずだが?」

 わたしらしくない、とは思います。

「フィユさんは、とても必死にヴェツモスを倒そうと、」

「必死にならねば倒せぬ相手に挑むのが間違っている。実力の伴わないならば、実力が見合うまで手を出すべきではない。なにより、この街には手練れが多く、未熟者が無理をする必要がないのだから、尚更だ」

 どこまでも正論でした。

「でも」

「そもそも、なぜ、私がフィユの実力を認めていないと?」

「「えっ?」」

 フィユさんと声が重なりました。

「同年代と比べ、フィユは明らかに突出して強い。だが、まだヴェツモスのような不死を倒す為には、基礎的な知識が足りていない。特に、他の魔物と違い、不死は終盤であっても一瞬の油断で取り返しの付かない事態に陥りやすい。だから、今回は諦めさせようとした」

 もしかして、これは、おじいさんと同じ、説明足りない病ではないでしょうか?

「事実、終盤の慢心は捨て置けない欠点だろう。一歩間違えば、死んでいたぞ」

「はい」

 素直に、フィユさんが頷きます。

「しかし、あの魔法は見事だった。絵画魔法は全く想定していなかったが、未熟さを補うのに充分過ぎる武器になるだろう」

「はい!」

 怒る時と褒める時の声のトーンが全く同じなのですが、それでもフィユさんは嬉しそうに頷きました。

「では、帰るぞ。夜が明ける前に」

 マントを翻し、レユルさんは歩き出します。

「行くわよ、シエル」

 先ほどまでとは一転、元気になったフィユさんはヴェツモスの遺体を軽く持ち上げました。

「はい」

 なんだか、よくわからない内に、丸く収まったようです。

 なにより、実質的にフィユさんはヴェツモスを倒すことができましたし、反省の多い戦いだったとしても、合格点は貰えたのでしょう。

 ん?

 あれ、ちょっと待ってください。

 レユルさんが、フィユさんの極雷魔法を見てたって事は、ずっと、わたしたちを見てたって事じゃないですか?

 我が子がちゃんと依頼を達成できるかを、物陰から、いつでも助けに入る準備をして見守るレユルさん。

 そんな姿を想像して、はじめてのお使いならぬ、はじめての不死狩りなんて、言葉が頭を過ってしまいました。

 なるほど、思っていた以上にレユルさんは親馬鹿だったらしいです。


 街に着く頃、遠くの空が薄らと白み始めていました。

「夜、明けちゃいましたね」

「そうね」

 ちなみに、レユルさんは、追いつけない程の速度で先に帰ってしまったようで、森を抜ける頃には既に、影も形もありませんでした。

 もしくは、またどこかに隠れて見ているのかもしれません。

「改めて、ありがとう。シエル」

 晴れ晴れとした、明るい笑顔でした。

 こういう、顔の方がフィユさんには似合うと思うのです。

「いえ、こちらこそ、いい報酬を受け取れました」

「え、何言ってるの?」

 なにか、変な事を言いましたかね?

「あれ?」

「報酬はシエルの命を守ることでしょ?」

「はい」

「安心して、どんな時でも守るから」

 どんな時でも?

 なにかが、ずれています。

 契約は口頭で交わしてしまったので、契約書とかないんですよね。

 確か、わたしは最初「依頼に同行すること」を契約として提示しました。で、長い言い訳の末、「わたしの命」と言って、フィユさんにツッコまれ、「わたしの命を守ること」と訂正しました。

 あれ?

 もしかして、契約の期限を、フィユさんが依頼を達成するまで、ってしてませんでしたかね?

 いえ、言わずとも、文脈的に伝わりそうなものじゃないですか?

 あっ、説明足りない病。

「あの、もしかして、フィユさん、ずっとわたしを守るつもりですか?」

「当たり前でしょ、シエルの絵画魔法の代金としては妥当ね」

 なんとも、まぁ、言葉は上手く伝わらないですね。

「えっと、フィユさん。守るって言うのは、フィユさんが依頼を達成するまでって意味でして」

「わかってるわよ」

 あれ?

「でも、シエルが最初に期限を設定しなかったでしょ?」

「はい」

「だから、私は勝手に、一生って受け取ったの」

「えっ」

「契約内容を詰めなかったのが仇になったわね」

 この場合、少なくとも仇ではないでしょう。

「いえ、わたしとしては、とてもありがたいと言うか、申し訳ないと言うか」

 一生なんて、軽く言うには、あまりに長い気がします。もしくは、とても短くなる可能性もあるのですが。

「私は名誉だと思ったわよ。最高の魔法絵画師の護衛なんて、滅多になれるものじゃないから」

 最高と言われましても、比較対象がいないので、なんともわかりかねますが、気恥ずかしくはあります。

 しかし、わたしの護衛を生業にされるのは、あまりお勧めしません。と言うより、普段護衛が必要な生活を送るつもりもありませんし。

「フィユさんは冒険者にならないと、だめですよ?」

「もちろんなるわよ、別に両立できないことじゃないでしょ?」

「まぁ、それもそうですね」

「それに……ちゃんとシエルを守れるくらい、強くなりたいから」

 地平線から太陽が顔を出して、街を、道を、フィユさんを照らしました。

 まるで、ある種のクライマックスのような光景だと思いますが、それは、わたしにとってではなく、フィユさんにとってのものでしょう。

「フィユさんなら、きっとなれますよ」

 気休めや、無責任な希望的観測ではなく、ある種の確信を持って言いました。

 自分の事すら、断言できないような人間が、どの口でそんなことを言うのかと、思いますが、わたしよりも遙かにしっかりしているフィユさんなら、自分の描く道をしっかりと歩けると思ったのです。

「シエルにそう言ってもらえると、心強いわ」

「そうですか?」

 わたしの太鼓判なんて、ほぼほぼ無意味と言って差し支えないでしょう。

 まぁ、でも、それがなにかしらの力になるのなら、魔法雑貨屋として、魔法絵画師として、これ以上ない、幸福だと思いました。

 

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