フィユさんと(1)

「おはようございます」

「おお、起きたか」

 このお店では特に定時での開店というものはなく、おじいさんが起きて、日課を済ませ、準備ができたら開くというとても緩いお店です。

 とは言うものの、おじいさんの日課はかなり正確に時間通り進行するので、開店時間はほぼ定時で固定されていると言って差し支えないでしょう。

 起きて、軽く顔を洗った後、ストレッチをして、朝の散歩に、およそ一時間ほど歩いて、ついでに朝ご飯のパンを買って、お店に戻る。

 ここら辺でわたしがいつも目を覚まします。

 一緒に朝ご飯を食べて、お店の在庫を確認して、開店です。

 それがいつも。

 さて、本日はというとおじいさんに関しては実にいつも通りだったようで、既にお店は開いていました。

 寝坊したのはわたしの方です。

 起きたときにはわたしのパンがテーブルの上に寂しそうに置いてありまして、それをもそもそと食べて今に至ります。

「随分寝てたな」

「すみません」

「昨日は遅かったから仕方ないだろう」

 そう言う割に、全く疲れを感じさせないおじいさんです。

 昨日。

 なんか、かなり記憶がぼやけているのですが、みんなでラコールを飲んで、その後、おじいさんたちは昔話に花を咲かせ、わたしはアンさんとおしゃべりをして、あれは結局何時まで続いたのでしょう?

 途中でおじいさんがお肉を焼いたりなんかしてた気がします。全体として記憶は霞がかかったように曖昧でした。

 あまりお酒は強くないのです。

「なんか、あまり覚えてないんですけど」

「だろうな」

「なにか、粗相をしませんでしたか?」

「特にはなかっただろう、あいつらの方が騒がしくて近所迷惑だったくらいだ」

「みなさんは?」

「昨日の内に帰ったぞ、従者たちが迎えに来てな」

 従者。

 そう言えば、さらっと紹介された肩書きはよくわかりませんでしたが、たぶんなかなかのものだったような気がします。

「やっぱり、偉い方たちだったんですか?」

「いい歳して安酒でバカ騒ぎするやつらが偉いとは思わんけどな」

 そういうことを言っているのではないのですが。

「肩書きなんてものは、結局飾りに過ぎんさ。あいつらは歳を喰っても大して変わってないからな」

 確かに、おじいさんと話すときのみなさんは特に気取ったような感じはなく、ただ仲のいい友人といった感じに見えました。

「あんなのが政治の中心にいるんだから、この国の未来が心配だな」

 冗談っぽくおじいさんが笑います。

「おじいさん何者ですか?」

「なんだ知らんのか? 雑貨屋だ」

「そういうことではなく、ザミールさんといいそういう知り合い多くないですか?」

「偉いのと知り合いになったんじゃなく、知り合いがたまたま偉くなっただけの話だ。ワシらの世代は門の戦いがあった関係で人がいなかったからな。誰でもそれなりの地位にはなれたのさ」

「……なるほど?」

 説明されると、納得する他ないような気がします。

 確かに、おじいさんも昔からおじいさんではなかったでしょうし、それは他の方も同様にそうなのでしょう。

「でも、おじいさんは雑貨屋なんですね」

 少々失礼な気もしますが、これまでを踏まえるとおじいさんももしかしたらそういう地位につける場所にいたのではないかと邪推してしまうのです。

 とは言え、わたしにとってはおじいさんが雑貨屋さんでとてもありがたいというのが本音でした。そうでなければ、そもそもわたしは今こうして生きてはいないでしょうし。

「こっちの方が性に合ってるからな。シエルもこの方が楽だろう?」

 どうやら本音の方がちゃんと伝わったようで、おじいさんは笑います。

「それは、もう、もちろん」

 楽という部分でこんなに頷くのが、果たして正しいのかは別の問題です。

「そろそろ昼時だが、どうする?」

「あっ、もうそんな時間なんですか」

「そんな時間だ」

 思っていた以上に寝過ごしていたようでした。

「あんまりお腹は空いてませんね」

「だろうな」

 お昼は軽く取るのがおじいさんの流儀のようで、いつもは前日の夜の残りをアレンジしたり、余っている食材でスープを作ったりしています。

 このスープもまた絶品だったりします。

「ワシは裏で食べてくるから、店番頼めるか」

「ごゆっくりどうぞ」

 そんなわけで一人で店番です。

 なんだか、先日、フィユさんが来た時のことを思い出します。

 フィユさんは無事でしょうか?

 また、このお店に来てくれるでしょうか?

「また来たわよ」

 そんなことを思った矢先、お店の扉が開かれました。

「フィユさん!」

 らしくもなく、思わず大きな声が出てしまいました。

「ええ、私だけど」

 フィユさんは口の端をゆがませます。

「大丈夫だったんですか?」

「生きてはいるわね」

 そう言う、フィユさんの鎧は所々凹んでいました。

 どうやら大変な戦いだったようです。

「それで、代金だけど」

「えっと、三百ロルです」

 いつフィユさんが来ても大丈夫なように、おじいさんに聞いていたので、抜かりはありません。

「まぁ相場で言ったら妥当ね」

 百ロル硬貨三枚、代金ちょうどをいただきます。

 物価に関してはようやく少しわかってきました。

 百プロルで一ロル。

 毎朝買うパンがおよそ一ロルなので、あの小太刀はパン三百個分くらいの価値がありました。どうやら、割と高価なものだったようです。それでも、このお店に置いてあるものの中では安い方なのですが。

「あの小太刀は役に立ちましたか?」

 わたしがフィユさんくらいの歳にはとてもじゃありませんが、パン三百個分の値段のなにかを買うことはできませんでした。そんな高価なものなのですから、役に立って欲しいと願っていたのです。

 しかし、フィユさんの表情は優れません。

「とっても役に立ったって言いたかったけど、その段階に到達できなかったわ」

 悔しそうな感情が言葉の端に滲んでいました。

「そう、でしたか」

 こういう時になんと言っていいのかわかりません。

 少なくとも、これまでの人生で正解と思える言葉を言えた試しはありませんでした。

「でも、フィユさんがまた来てくれて本当によかったですよ」

「そんなことになんの意味もないの!」

 大きな声に驚いてしまいました。

「ごめんなさい。でも、依頼を達成できなければ一人前の冒険者とは言えないわ」

 以前の頼もしさはすっかり鳴りを潜めています。

 どうやらわたしは今回もまた間違ってしまったようでした。

「ワシは、帰ってくることが冒険者にとって一番大切な素養だと思うがな」

 またもやいいタイミングで帰ってくるおじいさんです。

「あなたがルシャン」

「いかにも、悩める若い冒険者。なにか助言が必要かな?」

「……いえ」

 とても悩ましそうな表情でフィユさんは首を横に振りました。

「そうは見えないが?」

「いえ、大丈夫です」

「ヴェツモスか」

 おじいさんがフィユさんの鎧を見て呟きます。

「はい」

「一人の力で狩れると思うか?」

「わかりません」

「ふむ、ワシの考える一人前の冒険者とは、自分の力を見極め、時に助力を得ることをためらわない者たちだ」

「でもっ、私は、一人で狩らないといけないんです!」

 俯きがちだった顔を上げたフィユさんの目にはうっすらと涙が浮かんでいるように見えました。

「事情はなんとなく察せる。だが、それに固執して依頼を達成できないのは本末転倒だと思うが」

 おじいさんの口調はわたしに話すときよりも少しだけ厳しく、しかし穏やかでした。

「それに、助力というのはなにも他者の力だけを指すものでもないからな。上手く扱えば魔法雑貨だって大きな助力になる。名のある冒険者の中には幾つもの魔法雑貨を持ち歩き、適時扱うことで幾多の魔物を狩ってきた者もある」

 おじいさんは考え事をする時のように顎に手を当てます。

「情報も大きな助力だろう。魔物の情報を多く集めることで事前に綿密な計画を練り、実際に戦う前から勝敗を決してしまう者だってある。実力が足りないのならそれを補うための力に頼ることは悪いことではないと思うが?」

 フィユさんはなんだか泣き出してしまいそうな雰囲気でした。

 きっと聡明なフィユさんのことです、おじいさんの言うことは理解出来ているのでしょう。それでも、感情がついてこないことは往々にしてあると思うのです。

「一度立ち会ったのなら尚更、今の自分になにが足らず、なにが必要なのかわかるだろう」

 しかし、おじいさんは言葉を止めません。

「それを考え、対策を立てることも一人前の冒険者には必要なことだ」

「……ありがとうございました」

 フィユさんはなんとか、その言葉を絞りだし、頭を下げて、振り返りました。

「あっ、えっと、また来てください」

 わたしの声はフィユさんに届いたでしょうか?

 振り返らずに店を出ます。

 なんとも空気が重くなったような気がしました。

「さて、どうなるか」

 おじいさんが呟きます。

「少しかわいそうだったんじゃないですか?」

 いつものおじいさんからすると、結構意地悪に思えたのです。

 言葉の足らないわたしの本意を簡単に汲み取れるおじいさんなら、フィユさんの気持ちだってわからないわけではないでしょう。

「若くとも冒険者だからな、甘くして死なれるよりは多少厳しくしても生きてもらえる方がいい」

 死。

 なんとも重い言葉です。

「フィユさんが狩ろうとしている魔物はそんなに強いんですか?」

「ヴェツモスは不死の中では特別に強い部類ではないな。だからといって、弱いわけでもない。比較的大人しい魔物で、必要以上に人間を襲うことはないが、自身の危機が迫ればその限りではない。なにより特殊な魔物だから慣れていないと苦戦するだろう」

「つまり、フィユさんは危ないかもしれないってことですか?」

「どうだろうな、鎧に入った傷を見る限り、致命的な攻撃には対処できているだろうが、優位に戦えてたわけではなさそうだったな」

「鎧を見ただけでそこまでわかるんですか?」

「ただの推察だ」

 おじいさんは「さて」と呟きます。

「少し出かけるが、店を頼めるか?」

「えっと、はい」

 思わず頷きましたが、おじいさんのお昼の間お店を見るのと、外出の間お店を見るのは結構違うと思うんです。

「それじゃ出かけてくる」

「あっ、はい」

 そんなわけで一人で店番でした。

 先ほどよりもだいぶ不安な店番です。

 まぁとは言っても、暇なんですが。

 ……することもないのでお絵かきでもしておきましょう。おじいさんも少し出ると言っていたので、そうこうしている内に戻ってくるでしょう。

 今日は、特に描きたいものもないのでお店の中でも描いてみましょうか。

 色々と面白い形のものがあって、楽しそうでした。

 

 ふと、顔を上げます。

 絵はそれなりに進んでいたので、割と時間が経っていると思うのですがおじいさんはまだ帰ってきていません。

 不意に、お店の扉が開きました。

「あっ、いらっしゃいませ」

 おじいさんが帰ってきていないのにお客さんが来てしまったようです。

「あれ、フィユさん?」

 扉を開けたのは少しバツの悪そうなフィユさんでした。

 どうやらお客さんではなかったようです。いえ、フィユさんもお客さんでした。

「ルシャンさんはいるかしら?」

「おじいさんは出てまして」

「不在が多いわね」

「いえ、偶々ですよ、普段はずっといるんですけど」

「それじゃ、私の間が悪いのね」

 なんだか、先ほどよりも少しは元気になっているようでした。

「たぶん、もう少しで帰ってくると思いますけど、待たれますか?」

「ええ、そうするわ」

 フィユさんはわたしの隣へとやってきます。

「また、絵を描いているのね」

「えっと、はい」

 描いているところを見られるのは、完成した絵を見られるのとはまた違った恥ずかしさがあります。

「それにしても、珍しいわよね」

「絵を描くことがですか?」

「それもあるけど、なんで絵に魔力がかかってるの?」

「え?」

「気付いてなかったの?」

「えっと、はい?」

 気付くも気付かないも、魔力というものがよくわかりません。

「つまりわざと魔力を込めてるわけじゃないのね?」

「はい」

「この前見た時も不思議だと思ったんだけど、どうすれば絵に魔力がかかるのかしら?」

「えっと、普通に描いてるだけなんですけどね」

「使ってる道具も普通の色憶石だし、不思議ね」

「そうですね」

 首を傾げてみたものの、なにがどう不思議なのかはピンときませんでした。

 

 それからしばらく、わたしは絵を描いて、フィユさんはそれを見ています。

 いつもタイミングのいいおじいさんですが、今回は流石に出番が遅いらしいです。

 いえ、フィユさんですからそこまで嫌というわけでもないのですが、やはり見られながら描くというのは慣れません。

「戻ったぞ」

 裏口から待ちに待った声がしました。

「おじいさん、お客さんが来てますよ」

「そうか」

 すたすたとおじいさんの足音がします。

「先ほどはすみませんでした」

 現れたおじいさんに、フィユさんは深く頭を下げました。

「頭を上げなさい」

 おじいさんは穏やかに言います。

「直ぐに自分を省みることのできる冒険者はいい冒険者だ」

「あの、ヴェツモスとの戦い方を聞きたいんです」

「いいだろう、シエルも聞くか?」

「わたしもですか?」

「魔物について知っておけば、助言程度はできるだろう?」

 なるほど、そうかもしれません。これも雑貨屋のお仕事なのでしょう。

「はい、聞きます」

「ヴェツモス、別名を衣を纏う影と言われる魔物だ」

 おじいさんは滔々と話し始めます。

「その名の通り、ヴェツモスの最大の特徴は布を身体に纏っていることだろう。既に見たからその異様さはわかるな?」

「はい」

 魔物が服を着るというのは確かにわたしの中にあるイメージからすると珍しい感じがしますが、異様と言うのはなんだか言葉が強い気がしました。

「シエル、少し筆と色億石を貸してくれるか?」

「いいですよ」

 おじいさんが筆に色を乗せて、黒色を作り適当な紙に筆を走らせます。

「ヴェツモスの見た目はこんな感じだっただろう。背丈は人間の子供ほど、全体として丸っこく、手足は短く見える」

「はい、こんな感じでした」

 さらっと描きますが、おじいさんの絵は線に迷いがなくとても見やすいものでした。

 描かれたのはダルマに短い手足の生えたようなシルエットです。

「だた、実際の身体はこれだ」

 ダルマの横に描かれたのは頭のない棒人間でした。

「ヴェツモスは幾重にも布を身体に纏うことで、この身体を隠しているわけだ。この身体に届かなければ倒すことができない」

 布で身体を守る魔物というのは確かに異様と言えるかもしれません。

「布ということで、一見すると火炎魔法を使えばいいと思うだろうが」

「ダメでした」

「だろうな、ヴェツモスの纏う布は黒く染まっている。これはやつの体液が染みたものだが、不死の魔物の特性として火には高い耐性を持つ。体液の染みた布も同様に火にはかなり強くなるから、並の魔法では燃えないな」

「どうすれば」

「一枚一枚剥いでいくのも一つの手だな。ヴェツモスは自身を守る手段としてだけでなく、攻撃の手段としても布を用いる。時間はかかるだろうが、攻撃をいなしながら堅実に戦えばいつかは布が尽きるからな。しかし、この方法は充分な実力と体力、集中力が必要な方法だ」

「はい」

 つまりフィユさんには難しい方法だということでしょう。

「他には燃やす代わりに冷やすという方法もある」

「冷やす?」

「ヴェツモスが幾重にも布を纏うのは、その本体が寒さに弱いからだ。いくら寒くても死ぬことはないが、極端に動きが鈍くなり、一定を超えると動けなくなる。これを利用して、ヴェツモスの動きを封じてから止めを刺す」

「冷気魔法ですか」

「苦手か?」

「はい」

「それなら魔法雑貨に頼ればいい。フロワの檻という魔法雑貨がある。これは捕らえた相手を極冷魔法で凍結させるというものだ。難点があるとすれば、大型で持ち運びが大変で、実戦向きじゃないことだな」

「難点だらけじゃないですか」

 思わず突っ込んでしまいます。

「だから、エグランティラという魔法雑貨を併用する。これは地面に仕込む形の魔法雑貨で上を通った対象を無数の紐で雁字搦めにする、一種の罠だな。まぁどちらもこの店には置いていないが」

「ダメじゃないですか」

 おじいさんのお店に置いていない魔法雑貨があるのが驚きです。いえ、お店の規模的にその方が多いのでしょうが。

「あまり数が出回っている品じゃないからな。どちらも値は少々張るが、繰り返し使えるものになる。必要なら取り寄せるが?」

「どのくらいかかりますか?」

「最低で十日だな」

「それじゃ間に合わないです」

「ふむ、それなら強引な手段として、無数の布を一撃で突き抜けられるほどの力で攻撃するというのはどうだ? ヴェツモスの動きは特に素早いわけではない、大技でも見切れば当てることができるだろう」

「大技ですか」

「持ち合わせていないか」

「はい」

 八方塞がりでした。

「守りが堅い魔物は多い。そういうものを相手にする事を考えて、一つくらいは持っていた方がいいだろうな」

 はい。とフィユさんは頷きますが、表情は優れません。

「さて、どうしたものかな」

 色々な案が出ましたが、どれも今のフィユさんには使えない方法です。

「今からでも覚えられる大技はないですか?」

「あるのかもしれないが、ワシは雑貨屋だからな」

 おじいさんは首を横に振りました。

「でも、あなたは」

 なにかを言いそうになって、フィユさんは口ごもりました。

「どこでどんな話を聞いたのかは知らないが、ワシはただの雑貨屋だよ」

 さて、どこでどんな話があったのでしょう?

 そう言えば、アンさんもなにか以前思わせぶりなことを言っていたような気もします。

 しかし、おじいさんの過去を知る事がそれほど重要とも思わないのです。

 必要ならおじいさんが自分から話してくれると信じていると言う方が正しいでしょうか?

「大技なら、冒険者学校の図書館にでもいい資料があるかもしれないな」

 どうやら今はその時ではないようです。

「シエルが一緒なら入れるだろう」

「わたしですか?」

「ファグに顔を覚えて貰っているからな」

 確かに、門番のファグさんとはもう何回かお会いしているので、流石に覚えてもらっているのでしょう。

「えっと、行きますか?」

 フィユさんは悩むように頷きました。

 

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