おるすばん

「そろそろ出るが、開けてもいいんだぞ?」

 おじいさんは外に出かける時によく着ているスーツの上等版といったような、いわゆる正装に身を包んでいました。

「いえ、自信がありませんし」

 対して、わたしは普段通りのワンピースみたいな民族衣装の格好です。

「まぁ無理にとは言わん」

 本日、おじいさんは用事で外出することになっています。

 先に約束した入学式に出席するためでした。

 おじいさんを見送ると、お家にはわたし以外誰もいなくなります。

 そんなわけで、本日は一人でおるすばんでした。

 おじいさんは店を開けてもいいと言いますが、会計くらいしかできない店員だけでお店を開けるなど正気の沙汰とは思えません。

 そんなわけでお店も開けられないので、気ままにお絵かきをする予定です。

 描くものは決まっていて、先日アンさんと行った森でした。

 行きではなく、帰りの景色を描こうと思ったのです。アンさんの背中越しの景色を。

 早速描き始めましょう。お家の方で描いてもいいのですが、明るい時間にお店を閉めてお家にいると凄い背徳感を感じたので、お店の方で描くことにしました。

 こちらの方が、なんとなく落ち着くというのもあります。

 今回は流石に、下絵からはじめましょう。

 しかし、うーん、これは。

 背中越しの景色というのを表現するには少々工夫が必要です。

 アンさんの背はわたしより少し高いので、視界がいつもより少し高くなっていたのですが、それを描いたとしてもそれだけでは背負われていることはわからないでしょう。

 俯瞰視点で描けば背負われていることはわかりやすいですが、わたしが描きたいのはわたしが背負われている光景ではなく、背負われたわたしが見た光景なので、それでは充分とは言えません。

 試行錯誤とはこう、なんとも楽しい時間です。

 なんとか下絵を終えて、さっそく色を乗せていきましょう。

 木々の葉の緑の多様さ、表と裏ですら色は違います。風に揺られ翻り、偶然開いた隙間に陽が注ぎ、明度が変わります。筆が何本あっても足りないくらいです。

 今回はいつもより少し大きな紙だったので、より細かい描き込みができまして、どうにも手が止まりません。

 ドンドンドン。

 っ!

 突然、扉が勢いよく叩かれます。

 息が止まるかと思いました。あ、いえ、正確には細かい部分を塗るために息を止めていたので、それ以上息を止めることができず、行方を失ったびっくりが、喉の奥でつっかえていました。

「誰かいない?」

 お店の扉の向こうから高い声が聞こえます。

「えっと、いますよ」

 無視するわけにもいかないので、扉を開けます。「こんな日にわざわざ来る客もいないだろう」とはおじいさんの談でしたが、その当てはどうやら外れたようです。

「悪いわね、急ぎで必要なものがあるの」

 そこにいたのは十代前半ほどの若いお嬢さんでした。

 まだあどけなさの残る顔など、このお店では見たことのないものだったのでとても新鮮です。

 着ている鎧も比較的新しいものらしく、まぶしく光りを反射しています。

 もしかすると、本日の冒険者学校の入学式の学生さんかもしれません。

「えっと、どうされましたか?」

「解放の小太刀を探しているのだけど」

 かいほうのこだち?

 聞いたことのない商品名でした。いえ、わたしがそれほど多くの商品をまだ覚えていないということもありますが。

「えっと、すみません、あるかわからないです?」

「ここなら置いてあるって聞いたから来たんだけど?」

「えっと、店主が不在でして、わたしはお手伝いとかそういうあれなので」

「そう、いつ戻るの?」

「あっ、今日は終日お休みの予定です」

「つまり明日以降しか無理ってことね」

 お嬢さんはとても困ったように顎に手をやり考え込みます。

 お店を開けることができないのはわたしが不甲斐ないからなので、とても申し訳ない気持ちになりました。

「えっと、必要なものはその、かいほうのこだちだけなんですか?」

「ええ、それだけ買えればいいわ」

「説明とかは」

「自分が欲しい魔法雑貨の使い方くらい知ってるわよ」

 と言うことは、わたしはお会計だけできればいいということになります。

 幸い、数字は難なく読めるようになってきたので、それだけならわたしにもできるかもしれません。

「あ、あの、でしたら、大丈夫ですよ、お会計くらいならできます」

「いいの?」

「あっ、でも、その商品がどんなものなのかわからないので、探したりはできませんけど」

「私がわかるから大丈夫よ」

 なんとも頼もしいお嬢さんです。

 そういうわけで、一組限定の予想外の開店となりました。

 お嬢さんはお店の商品を一つ一つ、探しながら歩きます。

 それにしても、若いお客さんです。

 確実にこれまで来られたお客さんの中で一番若い方でした。平均年齢で考えると規格外とすら言えます。

「えっと、もしかして、魔法学校の生徒さんですか?」

「違うけど?」

 お嬢さんは首を傾げ、なにかに気付いたように戻します。

「そういえば今日が入学式だったわね」

「あっ、はい、なので、そうなのかなぁって思いまして」

「あんな一般人たちと同じに見られるのは少し癪ね」

「あっ、えっと、すみません」

「いいわよ、年齢的には確かに間違えられても仕方ないから」

 それにしても、とお嬢さんは続けました。

「ないんだけど」

 話しながら、お店を一巡していたようです。

 かいほうのこだち。少なくとも今までに一度も売ったことはありません。

「えっと、それなら裏かもしれません」

「裏?」

「はい、倉庫の方に」

 これまでにも何回かそういうことがありました。

 あまり動かない魔法雑貨は倉庫に仕舞ってありまして、買われるお客さんが来た時にだけ、おじいさんが裏から持ってきます。

「えっと、倉庫の方見てみますか?」

「いいの?」

「わたしじゃわかりませんから、こっちですよ」

 こういう時、自分の知識不足がなんとも歯がゆく感じます。わたしはこの世界のこともお店のこともまだほとんど知らないのです。

 それなら地球のことは知っていたのかと問われれば、それほど知っていた気もしませんが。

 少し戸惑うようなお嬢さんをお店の奥へと案内し、裏庭へと抜けます。

「こちらですよ」

 倉庫の扉を開くと見慣れた、見慣れない光景が広がります。

「えっ?」

 驚いた様子のお嬢さんに思わずにやけてしまいます。

「驚きました?」

 なんか、こう聞くのはアンさんの癖が移ってしまったような気もします。

「ええ」

 お嬢さんは深く頷きます。

「空間操作魔法なんて高度なものがなんでこんな店の倉庫に使われてるの?」

 どうやらこの倉庫はわたしの思っている以上に大変なものだったようです。固定資産税どころの話ではないようでした。

「えっと、なんででしょうね?」

 自慢したはいいですが、それがどんなものなのかすら知らなかったので、なんとも申し訳ない気持ちです。

「そういえばお手伝いだったわね」

「知識不足ですみません」

「そんなに気になったわけじゃないから、それにしても綺麗な倉庫ね」

 おじいさんが整理整頓を欠かさないのでそれは綺麗な倉庫に違いないのです。

「ご自由にどうぞ」

 少し戸惑いながらもお嬢さんは倉庫の中へと歩みを進めます。

「嘘でしょ」

 お嬢さんの驚いたような声が聞こえてきました。

「どうされました?」

「なんで、炎避石とか置いてあるの?」

 お嬢さんが驚いている目の前の棚には深縹色の石が二個だけ置いてあります。

「えっと、変でした?」

「こんな希少なものがなんで普通に置いてあるの?」

「希少なんですか」

「首都の専門店でも注文しなきゃ手に入らないようなものよ、他にもいくつか明らかに店の規模に似合わない魔法雑貨があるんだけど?」

「そうなんですね」

 そう言われても、あまりピンと来ません。

 おじいさんのことですから、なんか色々と置いていても不思議ではないなぁと思ってしまいます。

「たぶん、店主の趣味とかだと思いますよ」

 果たして趣味という言葉が正しいのかはわかりませんが、他に言いようもないのです。

 わたしにはおじいさんが本当はどれ程の人物なのかはわかりませんが、冒険者の方がわざわざおじいさんを訪ねてくるくらいには有名なのは事実です。あと、わたしを拾ったりしちゃうくらい変わっていることも事実なので、これらを鑑みてたぶん趣味なのだろうなぁと思った次第です。

「店主、ね」

 お嬢さんはなにか含みを持たせて頷きました。

「少なくとも、これなら解放の小太刀も置いてあるでしょうね」

 その言葉でお嬢さんは探索を再開します。

 程なく、倉庫の奥の方から声がしました。

「あったわ」

 戻ってきたお嬢さんが持っていたのは木製の小太刀と言うよりは杭に近い、十センチほどのものでした。

「それですか?」

「ええ、特殊魔法雑貨の中でも有名な方だから店員をするなら知っておくべきね」

「えっと、善処します」

 こんなにも年下のお嬢さんに諭されてしまうのですから、わたしの不甲斐なさも行き着いてしまったような気がします。

「それで、いくらかしら?」

 懐から取り出されたのは、かわいらしい桜色のお財布でした。

「あっ、えっと」

 言われて気付きましたが、お店なので見つけて終わりでは無く、売らないといけないわけです。

「って、知らないわよね」

 お嬢さんも気付いたのか、少々ばつの悪そうにお財布をしまいます。

「先に気付くべきだったわ」

「そうですね」

「はぁ」

 深いため息がお嬢さんの口から漏れました。

「急ぎ、でしたよね?」

「それなりにね」

「でしたら、お代は今度でいいですよ」

「はぁ?」

 今度はため息ではなく、疑問でした。

「えっと、値段がわからないのはわたしのせいですし」

 おじいさんなら説明すればきっと納得してくれるでしょう。もしくはわたしが怒られるだけで済みます。

「それはできないわ」

 しかし、お嬢さんはきっぱりと言いました。

「第一、私がまたこの店に来る保証はないでしょ、そうなったらあなたが一方的に損するじゃない」

「大丈夫ですよ、その時はわたしが立て替えますから」

 持ち合わせはありませんが、何食かご飯を抜きにすることで採算を調整することになるでしょう。

「ひどくお人好しなのか、抜けてるのかどっちなのかしら?」

 おそらく後者でしょう。

「どちらにしても、あなたの迷惑になるのなら尚のこと受け入れられないわ」

 とてもしっかりしたお嬢さんです。少なくともわたしよりはしっかりしているでしょう。

「大丈夫ですよ、会えるような気がしますし」

「なにそれ?」

「えっと、なんとなくの勘です」

 わたしの勘はそれほどいい方ではありませんが、時には当たることもあると思うんですよ。

「そんな適当な理由」

「それじゃ、もう来ないつもりですか?」

「そ、れは、来るつもりだけど」

「でしたらなんの問題もありませんね、お嬢さんが常連さんになってくれるならお店も得しますし」

「お嬢さんって」

 わたしの呼び方が気にくわなかったのか、お嬢さんは少し微妙な表情をして右手を差し出します。

「フィユよ」

 名前の由来はわかりませんが、素敵な響きの名前だと思いました。

「シエルです」

 そう言えば、こちらの世界での握手のやり方は結局聞かずじまいでした。

 仕方が無いので、差し出された右手をわたしの右手で握ります。

「えっ?」

 戸惑ったようなフィユさんの右手は想像していたよりもしっかりとした手でした。

「わたしの世界だとこういう風にするんです」

「待って、もしかして、転移者なの?」

 理解の早いフィユさんです。先ほどまでの言動から、見た目の年齢以上に聡明な方なのでしょう。

「はい」

「それは悪いことを言ったわね、転移者なら解放の小太刀なんて知らなくて当然だわ」

「いえ、わたしが知らなかったのは事実ですし」

 それなのに謝らせてしまうなど、本当に不甲斐ない限りです。


 裏口からそのままお見送りしてもよかったのですが、流石それは失礼だと、お店の方まで戻ってきました。 

「代金は必ず払いに来るわ」

 念を押すフィユさんです。

「はい、お待ちしていますね」

 お店を出ようとしたフィユさんが足を止めます。

「ねぇ、この絵」

 あっ、突然の来客だったのでお絵かきの一式が片付けられずにそのまま置いてありました。

「えっと、はい」

 店を開けずにお絵かきをしていた店員などなんとも気まずいです。

「シエルが描いたの?」

「あっ、えっと、はい」

 後ろめたさから視線が泳いでいるのが自分でもわかりました。

「これって、街の外の森よね?」

「えっと、はい」

「でも、これ……ここ、手前側に見切れてるのって人の頭よね」

「あっ、はいそうです」

「そう、背負われてるのね、やっと理解したわ」

 驚くべき洞察力でした。

 わかるように描いてみたつもりでしたが、ちゃんと伝わることはそれほど期待していなかったので、少々嬉しくもあります。

「いい絵だと思うわ」

「えっと、ありがとうございます」

「それじゃ、また来るわ」

そう残して、フィユさんは今度こそお店を出て行かれました。


「それにしても解放の小太刀か」

 帰ってきたおじいさんに事情を説明すると、なんてことないように了承してくださいました。流石の心の広さです。

「なにに使うものなんですか?」

「不死の魔物を殺すためのものだな」

「そうなんですね」

 一応頷きますが、それがどんな魔物なのか想像もできません。

 フィユさんも冒険者ですから魔物と戦ったりするのだろうと今さらながらに気付き、不安になりました。

「まぁ大丈夫だろう」

「そう、ですかね?」

「ワシの店にあると聞いて来たのなら、紹介した人間がいるということだ、その眼鏡にかなわなければこの店までは来られないからな」

 そう言えば、このお店は高級店でした。

「もしかして、一見さんお断りだったりしましたか?」

「そういう話じゃなく、単に知名度の問題だ、まぁ似たようなものか」

 この場合は似て非なるものだと思うのですが。

「それに、ワシらは魔法雑貨屋だからな、売ったものと買った人を信じることしかできん」

 おじいさんは達観したように言います。

 それは確かにそうではあります。

「付け加えるなら、その子がワシの考えている子なら大丈夫だろう」

「お知り合いでしたか」

「いや、直接の面識はないが、心当たりがある」

 顔の広いおじいさんですから、そういう知り合いもあるのでしょう。

「また来てくれるといいです」

先ほどのフィユさんを見送った時に入れ忘れた祈りも込めて言います。

「そうだな」

もしかすると、わたしは始めてこの世界で魔法雑貨屋というお仕事をすることのの本質に軽く触れたのかもしれません。

 このお店を利用する大半の方が冒険者で、ここで何かを買うということはそれが冒険に必要ということで、それは時として危険と隣り合わせということです。

 もしかしたら、もう二度と戻ってはこない方もあるのかもしれません。

 そして、わたしにできることと言えばおじいさんの言ったとおりに信じることだけなのでしょう。

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