はじめてのお使い(1)

お昼過ぎ、本日は既に二名のお客さんが来られた後で、前日までに比べると繁盛しています。

 この誤差の範囲の賑わいを繁盛と言っていいのかは疑問です。

 とは言え、一人一人おじいさんが対応する関係上平均滞在時間は長いので、二人でも割とお客さんが来たなぁと思えます。当然、することのないわたしは暇だったのですが。

 流石に来客中にお絵かきをするわけにもいかないので、お店の隅で会話を聞くだけの時間だったりします。

 そういう意味では貴重な情報収集の時間でもあるので、ただの暇とも言えません。

「これってよく売れるんですか?」

 例えば、本日いらした二人のお客さんが共通して買われた商品とか、気になります。

「浄化椀か、必需品で消耗品だからな」

 浄化椀と言われたそれは、砂色のコップです。

 表面が少しざらざらしている以外はよくある陶磁器のコップに見えます。

「ほれ」

 棚の上に置いてあるそれをおじいさんが取って手渡してくれます。

 手に取ると、思いのほか軽いものでした。

「これはなにに使うんですか?」

「見たままの用途だ、水を飲む」

「でも普通のコップを置いてたりしませんよね?」

「まぁな、それに水を入れると真水になる」

「ん?」

 水と真水ってなにか違いましたっけ?

「言い方が悪かったな、浄化椀の中にどんな水を入れても真水になる、雨水でも、泥水でも、他のものが溶けた水でも、なんなら毒が入れられていたとしても真水になる」

「なるほど、それは凄いですね」

 安全な水の確保は大変という話は聞いたことがありますし、必需品と言うのも頷けます。

「使用限度はあるがな。使う度にそれの色が黒ずんで、浄化機能が弱くなる」

 仕組みはわかりませんが、濾過とかそういうのの凄いやつってことでしょうか?

「それでみなさん買って行かれるのですね」

「そういうことだ、川の水を浄化するなら千回くらいで使えなくなるから季毎に買い換えるものになるな」

「なるほど、売れ線ってやつですね」

「変な言葉を知っているな」

 おじいさんがにやりと笑います。

 そんなに珍しい言葉でもないような気もしますが、あまり使う言葉でもないような気もします。

「さて、使い方だが」

 

 そんなこんなな昼下がり、説明を終えたおじいさんはなにか思い出したようにお店の奥へと消えました。

 割とよくあることなので、ぼうっと店番をしています。

「シエル、仕事だぞ」

 戻ってきたおじいさんはそれなりに膨らんだリュックを持っていました。

「わたしですか?」

「冒険者学校の場所は覚えているか?」

「覚えてます」

 覚えるもなにも、裏通りから大通りに抜けて真っ直ぐ行くだけです。

「それなら使いを頼みたい。これを届けてくれ、追加注文の商品だ」

 なるほど、届けるだけならわたしにもできるお仕事です。

「はい」

 おじいさんからリュックを受け取ります。

 あれ?

「驚いたか? それも魔法雑貨でな」

「驚きました」

 リュックの膨らみから想定していた重さよりも、かなり軽いのです。

「説明はまた今度しよう」

「お願いします」

「ついでに浄化椀も持って行くといい」

「なんでですか?」

「使う機会があるかもしれんからな」

 そう、ちょうどよく汚れた水がなかったので浄化椀をまだ実際に使っていなかったのです。しかし、学校に行くだけでそんな機会があるとは思えません。

「アンが暇そうなら、近くの森を案内してもらうといい、川も流れているからちょうどいいだろう」

「アンさんだってお仕事あると思いますよ?」

「まぁ暇ならという話だ」

 最近わかってきましたが、おじいさんは割とアンさんを使うことに躊躇がないです。いえ、アンさんだけでなく知人はかなり積極的に利用します。

 わたしは人に頼るのが億劫になってしまう人間なので、とても真似できません。

 頼らねば生きていけないような人間なのに、本当に仕方ないです。

「納品書も中に入れてある、わからないことがあったらファグにでも聞くといい」

「はい」

 そんなわけで出発です。

 思えば、こちらの世界に来てから初めての一人行動でした。

 さながら、はじめてのお使いと言ったところでしょう。

 なんだか、あのテーマソングが聞こえてきそうな感じがします。

 いえ、流石に寂しくて泣いたりはしませんよ?

 少し心細いだけです。

 裏通りはまだいいのですが、大通りに出ると、寄る辺なさが一層身に染みます。

 こんなにも人がいるのに、こんなにも声が行き交うのに、わたしは誰とも知り合いではなく、誰とも語ることもないのです。

 地球では当たり前だったそれがなんとも深刻なことに思えました。

 心なしか早足になります。

 人混みを歩くのはやはり慣れません。人と人との距離を測りかねます。

 おじいさんと歩いたときはいつの間にか着いた学校がとても遠く感じました。

 ようやく、あの大きな門が見えた時には、思いがけずため息が漏れたほどです。

 泣いてはいませんよ。

「こんにちは」

 この前のように門の前に立っているファグさんに安心します。

「ああ、ルシャンさんの、こんにちは」

 一度会っただけなのに、しっかりと覚えていてくれたファグさんは丁寧にお辞儀をしました。

「えっと、シエルと言います」

「シエルさんですか」

 ファグさんはわたしの名前を噛み締めるように呟き、わたしの顔をじっと見ます。

「しっかりと覚えました」

 そして、とても優しく笑います。

「それで、本日はどのような要件で?」

「あっ、追加注文の商品をお届けに来ました」

「そうでしたか、倉庫の位置はわかりますか?」

「えっと、たぶん」

 前回おじいさんと来た時に、荷車を置いた場所がおそらくそうでしょう。

「この時間でしたら倉庫番がいると思いますので、商品と納品書をお渡しくださればわかるかと思います」

「あっ、ありがとうございます」

「いえ、わからないことがあれば私までお尋ねください」

 とても親切なファグさんです。次にお会いするときにはもう少し緊張しないといいと思いました。

 門をくぐって学校の中へと進みます。

 一人なのですが、以前よりも疎外感は感じません。

 ファグさんやザミールさんを知ったからかもしれません。

 以前は威圧感すら感じた生成り色の校舎は、その細かな造形が実に芸術的であることに気付きます。

 配色にも非常に拘っているようで、主となる生成り色を邪魔しない程度に要所でちりばめられた鳶色が見事な統一感を保っています。

 規模だけでなく、その存在自体が街を代表する建物なのでしょう。

「あれ、シエル?」

 建物に見とれながらふらふら歩いていると、突然声をかけられました。

「わっ!」

 思わず声が出てしまいます。

「そんなに驚かなくてもいいだろ?」

 声の方に顔を向けるとアンさんが苦笑いをしていました。

「アンさん、いたんですね」

「そりゃ私の職場だからいるさ」

 そういえば、アンさんはここの教師でした。

 先ほどおじいさんと話したばかりだというのに、あんまり先生っぽくないので忘れそうになります。

「それ、納品?」

「はい」

「倉庫までか、ちょうど暇だから案内してやるよ」

「あっ、場所は知ってますよ」

「折角だから歩きながらお話ししようぜって言ってんの」

 建前というやつだったようです。

「あー、すみません腹芸とか苦手で」

「そんな大層なもんじゃないだろ」

 笑いながらアンさんは「まぁでも」と続けます。

「そういうのが苦手なやつの方が信頼はできるな」

 信頼とはまた随分と重い言葉のような気もしました。

 おそらくアンさんはそこまでの意味を込めてはいないのでしょうが。

「えっと、それじゃお話します?」

「おう、話そうぜ、聞きたいことがいっぱいあるんだ」

 どちらから言うでもなく、歩き始めます。

 聞きたいことという言葉に少し身構えてしまうわたしがいました。

 何を聞かれても大丈夫というわけではないのが心苦しいです。

 例えば、過去の話など、答えることはできるかもしれませんが、答えたいとは思わないようなものがわたしにはありすぎます。

「じいさんの店はどんな感じだ?」

 そんな心配を余所に、アンさんがしたのは割と無難な質問でした。

「とても快適ですよ、ほどよく暇ですし、おじいさんのお料理は美味しいですし」

「じいさんの飯は確かに美味いな」

 深く頷くアンさんです。きっとこれまでわたし以上におじいさんの手料理を堪能してきたのでしょう。

「でも暇なのはなぁ、今の時期は特に客が来なくて暇だろ?」

「まぁそうですね」

「私、暇なのが無理なんだよ。子供の頃は特に我慢できなくて、雑貨をいじくっていつもじいさんに怒られてたな」

「おじいさんが怒るんですか?」

「怒る、怒る、めっちゃ怒る。怒らせるとすっごく怖いぞ」

「意外です、とても温厚だと思うんですが」

 普段の様子からは想像もできません。わたしの粗相すら軽く流してくれるおじさんです。

「まぁ基本はそうなんだけどさ、危ないことするとめっちゃ怒るんだよ」

「なにしたんです?」

「炎生石ってわかるか?」

「いえ」

「発火系の魔法雑貨によく使われる石で、衝撃を与えるとそれに応じて火を出すってやつなんだよ」

「はい」

「どのくらいの火が出るのか気になってさ」

 苦笑いのアンさんになんとなくなにをしたのか察しました。

「ばらして、取り出して、んで、剛槌って振った力を何倍にもする小さな槌があるんだが、それで思いっきり叩いた」

「まさか、室内で?」

「いや、流石に店の裏庭で」

 裏庭だからいいという話でもないような気がします。

「どうなったんですか?」

「消し炭になりかけた。あんなに炎が出るとは思わなくってさ、一歩間違えば死んでたな」

 アハハとアンさんは笑いますが、笑い話なんでしょうか?

「それは、流石に怒ると思いますよ」

「私もそう思う。まぁそんなことばっかりやってたからめっちゃくちゃ怒られたよな」

 どうも見た目よりも数倍は活発な子供時代だったようです。

「今じゃ流石にそんなことはしないぞ?」

 わたしの表情でなにかを察したのか、アンさんが口を尖らせました。

「今でもしてたらわたしでも怒ると思いますよ」

「そりゃいいな、シエルが怒ったところは少し見てみたい」

「あんまり面白くはないですよ」

 そう言いつつ、わたし自身、怒った記憶があまりないような気がしました。

 他人に感情をぶつけるのが苦手なのです。

「なんか根に持ちそうだよな」

「そんなことありませんよ、忘れないだけです」

「一番面倒なヤツじゃねーか」

「冗談ですよ」

 ちなみに、既に倉庫の前には着いていまして。

 中に入らずに、二人でお話をしているような状態でした。

「どうだかな。そういや商品持ってきたんだっけ?」

 思い出したように、アンさんがわたしの背負ったリュックを指差します。

「はい、これどうすればいいですか?」

 倉庫。

 軽く倉庫と呼んでいますが、学校の規模に比例してとても大きなもので、通りからロータリーになっている道を介して少し奥まった所にあります。

 観音開きの大きな扉はしっかりと閉められていて、それを開けて中に入るには少々勇気がいるような気がしました。

「遠慮せずに入ればいいって」

 アンさんが大きな扉をすーっと開けて中に進みます。その後に続いて中に入ると、外見に違わぬ非常に巨大な空間が広がっていました。

 しかし、実際に外見に違わないのです。おじいさんのお店の倉庫のように固定資産税問題が発生しそうな見た目以上の面積はないようでした。

 いえ、それでもおじいさんのお店の倉庫よりもかなり広くはあります。

 棚がいくつも平行に並んでいて、まるで迷路のような印象すら感じました。

「追加注文持ってきたらしいんだけどー」

 アンさんが声を張り上げます。

「はい」

 無数に続く棚の迷路の中から女性の声が返ってきました。

「はい、はい」

 程なく、棚の隙間からぬっと若い女性が現れます。

 今回はわたしたちよりも若そうな見た目ですので、若い女性という表現で問題ないかと思います。

 白緑色のつなぎに似た服に身を包み、髪を高い位置で結んでいます。

「はい、どちらからの?」

 女性は小脇に抱えた帳面を開きます。

「あ、えっと、おじいさんの、えっと、ルシャンさんのお店です」

「はいはい、その中ですか?」

 目だけでわたしのリュックを差す女性です。

「あっ、はい」

 リュックをお渡しします。

「えーっと」

 女性は慣れた手つきで、リュックの中から商品を次々と取り出し、帳面と納品書の両方を同時に確認していきます。

「これは目録にありませんが」

 女性の手が止まります。おじいさんが出かける直前に突っ込んだ浄化椀でした。

「あっ、それは私物です」

「そうですか、はい」

 手が止まったのはその一瞬だけで、浄化椀をリュックに戻した後はとてもスムーズに確認作業は終わりました。

「はい、確かに」

 中身が浄化椀だけとなったリュックを女性は差し出します。

「えっと、はい」

 なにが「はい」なのかはわかりません。きっと口調が移ったのでしょう。

「珍しいですね」

 女性は口調を変えずに言います。なんだか事務的な口調なので、その意図を読み切れません。

「はい?」

「ルシャンさんはいつもご自分で持って来られますが」

「あっ、えっと、最近おじいさんのお店で働かせていただいていまして」

「そうですか、ヴェヒタです」

 本当に口調が変わらないので名前だと直ぐにはわかりませんでした。

「あっ、えっと、シエルです」

「はい、了解しました」

 どうやら了解されたようです。

「今後、納品の際にはお声かけを」

「あっ、はい」

 そんなわたしたちの会話をアンさんは隣で面白そうに聞いていました。


「面白いやつだろ?」

 倉庫を出るとアンさんがにやりと笑います。

 それは少しおじいさんの笑い方に似ている気がしました。

 尤も、アンさんが楽しんでいたのはわたしたちの会話だと思うのです。

「特徴的な方ですね」

「あれで結構優秀なんだよ、あの若さで倉庫番を任されるくらいだしな」

「そうなんですね」

「ところで、この後暇か?」

 わたしが聞くならまだしも、聞かれるとは思っていませんでした。

「お店に戻る以外に用事はありませんけど」

「それならちょっと付き合ってくれない?」

「なににですか?」

「少し森の方に用事があってさ」

 渡りに船というやつでしょうか?

「それなら川にも寄ってくれませんか?」

「ん? 別にいいけど」

 なんと、わたしにしては非常についていると言わざるを得ません。

 都合が良すぎて作為的なものすら感じます。作為などと、仮にわたしが主人公のお話があったとしたらとても面白くないものに違いないのです。

「でも、学校はいいんですか?」

「言っただろ、暇なのが無理だって」

「暇なんですか?」

「生徒がいない学校ほど暇な場所もないって」

 そういえば、先日来た時も、今日も人の気配があまりしません。

「生徒の方たちは、どちらに?」

「さぁ、それぞれの実家とかじゃないか? 休暇中だし」

「あー、なるほどです!」

 点と点が繋がるとはこんな感じですか。本日のわたしはなかなか冴えているようです。

「なに一人で納得してるんだ?」

「だから入学式なんですね」

 おじいさんの話を聞いた時点でわかっても良さそうなものだとは思いますが、それはそれです。

「ん? 話が微妙に見えないけど。まぁ入学式と始業式は同日だな。それまでは事務仕事しかないから退屈なんだよ」

「仕事あるんじゃないですか」

「あれは仕事って言わないの、私じゃなくてもできるんだから」

 なんだか、問題児だった頃の片鱗を見る思いです。

「それに、森に行くのだって仕事だからな」

「そうなんですか?」

「おい、なんで疑いの目で見る」

「いえ、少ししか疑ってませんよ」

「お前、慣れてくると意外にいい性格だな、人見知りのくせに」

 アンさんにまでバレているとは思いませんでした。

 いえ、それにしてもと言いますか、アンさんはおじいさんの孫的存在だけあってとても接しやすいのは事実です。対時間当たりの胸襟の開き方がわたし史上最速であることは間違いありません。

「人見知りだからですよ」

「わからんけど、まぁ変に緊張されるよりはいいか」

「そういうことです」

「んじゃ行くか」

 お家に帰り着くまでがお使いだとするなら、わたしのお使いはまだ終わらないようです。

 そんなけで、わたしのはじめてのお使いは延長線へと突入しました。

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