第二章 エピローグ Shangri-La

「私が裸エプロンでキッチンに立ったら、エトはムラッってくるの?」


 洗面所から盛大にむせる声が聞こえた。


「……だいじょうぶ?」


「――朝からエキセントリックな質問かまされてどう答えれば良いのかわからん」


「質問に質問で返すのは反則だって聞いた」


「反則以前に誰だそんなことを教えたやつは! 怒らないから教えなさい」


「ベッドの下にあったえっちな雑誌(解説:ミト)」


「僕が悪かった」


「ミトさんに見せてみたら、描いてあることをやったらエトが喜ぶってにこにこで教えてくれた」


「許してくれミィナ。世の男子は、その手の本を親に見つかったら精神に致命的なダメージを負ってしまう生き物なんだ」


 女の子(多分無知系美少女)が野郎の家に過ごしているという時点で気がつくべきだったのだと思う。先の騒動で気を回す余裕がなかったとも言えるのだが、言い訳にしかならないのだろう。


(……何が腹立つって、ここ最近の状況をみてニヤついている母さんの顔が肉眼で見えそうってことだよな。手渡された赤飯とか多分そういうことなんだろうし)


 泣きじゃくり、不貞腐れるミィナに謝り倒したのが一日目。

 行きたいところとか色々付き合ったのがここ数日。


 そして、ミィナが寝ていたベッドに寝ぼけて入り込んで(この時エトはいつものベッドではなく布団を敷いて寝ていた)そのまま朝を迎え、そんなエトの寝顔をどこかわくわくした雰囲気をまといながらミィナが見ていたのを見て、しまったと頭を抱えたのが今朝である。


「……なにを、作ってるの?」


 これ以上の追求されると、そのうち脳からナニカが逆流して断末魔を上げるかもしれない予感が、無視できないレベルで頭をもたげてきたエトは話題を朝食に持って行くことにした。


「ベーコンエッグと焼いたウインナー。あとサラダ」


 いい具合に焼けた二つのベーコンエッグを、フライ返しを使ってよくわからない鼻歌交じりに二つの皿に乗せていく。


 ――美人と同じ屋根の下。しかもご飯を作ってくれるんだぜ? って友人たちに自慢できそう。

 ――いやだめだ。逆にしばき倒されまくって最終的に死ぬ。


「質問、変えるね。私がもし作られた生きる人形でも、エトは今みたいに優しくしてくれる?」


 朝一番――朝食の席でいきなり叩き込まれた重い話題に、継ぐ言葉が見当たらない。

 さすがに冗談の類か何かだろうと一瞬期待したが、ミィナの目は真面目なものだった。


「同じようにできないの?」


「いや違う。……冗談かと一瞬期待しただけだ」


「冗談じゃ、ないよ。本当で、真面目な話」


「そんなところだろうと思った」


 ミィナが世にも珍しい純生体型ピュア・オーガニックアンドロイドであることは、エドルア島から帰ったときの精密検査で判明していた。

 彼女が静馬家に引き取られる際、エトと親の三人にのみその事実を伝えられた。本人にはあえて伝えないという医者の判断は、正解だったと思う。身一つで結晶地帯をさまよい、そして戦闘に巻き込まれた。その際のストレスは相当なものだったはずだ。おまけに記憶喪失状態にある。


 そこに「君は人間ではない」なんて言われたら、その後に自ら命を断っていたとしても何らおかしくない。


 多分父母も、今のように快復していたとしても、エトと同じように事実を伝えようとはしなかっただろう。毎日を充実して生きている彼女に事実を伝えて、平和を謳歌する楽園で生きるにはあまりにも重すぎるであろう重荷と引け目を背負わせるぐらいなら、口をつむぐべきだ――と、三人共そう思うぐらいには冷血ではなかった。


 先延ばしにしてるだけではないか、と言われればそこまでではある。だが、彼女に重荷を背負わせてまで伝えるべきことなのか?


 セーフガードに拘束されていた時、《神託者オラクル》が楽園にまつわる話をしていたのを思い出す。


 ――原初のヒトたるアダムとイヴは共に知恵の実を食らい、知性を得たことで自らが裸であることに気づき、そして楽園から追放されました。これを以てヒトが生まれ持って課せられる罪――いわゆる『原罪』としたそうですね。


 ――では、この楽園に生きる人間が『楽園』を『楽園』であると認識できなくなる……つまり楽園から追放される瞬間はどんなものだと思いますか?


 いきなり何の話だと思ったが、なるほどこういうことか。事実だとすれば実に悪趣味だと言わざるをえない。父たちが嫌っていたのも頷ける。


「《神託者オラクル》が、言ったのか」


「……わかるの?」


「……どうしようもないぐらいに趣味が悪かったってことは」



 ◇ ◇ ◇



 ヒトは知恵の実を食べ、そして楽園から追放された。


 では、彼女ミィナにとってのそれは何か。

 言うまでもない。彼女の正体。彼女がヒトではなく、造られた存在である――というただ一つの事実。


 それが、ミィナにとっての『知恵の実』なのだろう。


 ならば、それを秘すべきものだと判断した僕たちは何なのか?


 無知な少女に明かすべきでないと事実を隠し、神になったつもりか? 神にすらなれない人間風情が偉そうに――そんな《神託者オラクル》の嘲笑が聞こえてきそうだった。


「……エト?」


 ――どうしろっていうんだ。神にすらなれない人間でしか無い俺に。


「……」


「エト……。わたしね、エトと同じヒトじゃないっていうことは悲しいって思ってるの。でも、でもね――」


 少女ミィナは神託者の名を騙った蛇に唆され『知恵の実真実』を食らい、真実を知った。

 だが、『悲しい』と語った少女の表情は悲壮にまみれたものではなく、むしろ――


「でもね、同時にこう思うの。造られた私だからこそ、できることがあって、だからエトは今こうやって私と一緒に朝ごはんを食べている。私と同じ今を生きている」


 ――どこか、嬉しそうに微笑む。


「わたしは、『同じヒト』としてエトと一緒に歩めないかもしれない。でもね、それでも一緒に歩めることはできると思うし、できたの」


 ――やめろよ。


「ヒトでないわたしでも、こうやって一緒に立てる。これが、私にとっての『楽園』……なんだと思う」


 ――やめろ。


「……だからエト、そんな悲しそうな顔をしないで。わたしは、道具わたしだから。大丈夫――」


「やめてくれ!!」


 自分で思ってた以上に、大きな声が出た。しかも、声が震えてると来た。

 もう、止まらない――そう思うぐらいの理性しか無かった。


「……『ヒトとして同じ道を歩めないけど』とか、そんな悲しいこと言うなよ」


 ――これは、俺のわがまま以外の何物でもないだろう。

 自分も、《神託者オラクル》も、そして多分ミィナも、わかってるだろう。


 でも、言わなければ。

 言葉で楽園が楽園でなくなるのなら――


「……自分は道具だからみたいな、そんな悲しいことそんな悲しい事背負うなよ……!」


 その逆も、きっと……

 だから、ぐちゃぐちゃになった頭から、精一杯言いたいことを汲み上げて、言葉にするんだ。


「『ヒトとして同じ道を歩めない』なんて誰が決めたんだ!」


「エト……」


「君が作られたかどうかなんて関係なかったんだ。君は、ぼくと同じ人間ヒトだ。たとえ共に歩めなくても、人だと思って生きて良いんだよミィナ」


「……」


「これは、僕のわがままだ。それ以上も以下もない。だけど僕は純生体型ピュア・オーガニックアンドロイドとか結晶の巫女プリエステスシリーズだとか、そんなの関係ない世界を君に生きてほしかった……」


 笑いたければ、笑え。

 蔑みたければ、そうすれば良い。

 だけど、言わなきゃいけない。ただそう思う。


「そう生きてほしかった! わがままだったとしても、人とかそうでないとか関係なく!」


 だから、言いたいことをできるだけ言い切った僕はミィナの顔を見れなかった。見れるはずがなかった。


「エト……」


「見るなよ……」


「……ありがとう」


「……」


「わたしね、嬉しかった。エトがこうやって言いたいことを言ってくれて」


「……?」


「さっきはああ言ったけど……《神託者オラクル》から自分のことについて教えられた時、辛かった。だからね、その時決めたの」


「……なにを……」


「二人で生きて戻ったら、エトといっぱい……いっぱい話し合って、そして自分のことについて踏ん切りをつければいいなって。だから、うれしいの。こうやって言ってくれたことが」


 ……なんだ……なんだよ。

 ……これじゃあ、俺が道化みたいじゃないか。


「……ずるい……ずるいよ、ミィナ……」


 でも、これで良かったのだ。

『楽園』も、『知恵の実』も、これからも、言葉にして伝えなければわからないままだから。

 だから、笑おう。これで良かったのだと。


「……でも、ありがとう」


 エトは右手を差し伸べる。

 作られたとかそうでないとか関係なく、望むままに――わがままに生きるのだ。そうあってほしいと願いながら。


「こちらこそ、ごめんね。でも、ありがとう」


 ミィナは、差し出された右手を優しく――されど同時に固く握りしめた。


 この世に変わらないものなどどこにもなく、この楽園エリュシオンもまた例外ではなく、そして二人も同様だった。

 だけど、不思議と悲観的な予感はしなかった。

 何があっても、分かたれたとしても、再び交じり、そしてこの世界を共に生きるのだ。

 だから――二人が言うべき言葉は一致した。


「「これからも、よろしく」」

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