第二章-30 夜明けの楽園とその外と内

 目を開けた時、真っ先に目に入ったのは白くて、知らない天井だった。

 そして、医療ドラマで聞かないことはない周期的な電子音。


 以前どこかで似たような光景と音を聞いたなと記憶をたどる。


 そうだ、思い出した。

 エドルア島で血を吐いてぶっ倒れた後と同じ流れだこれ。


 エトはそう思いながら、「いたた……」と小さくこぼしながら身を起こして周囲を見渡す。


 リクライニング機能がついた白いベッド。

 DVDとブルーレイ対応レコーダーがついた薄型テレビとそれを収めた細長い棚。そしてそこに置かれた果物籠。

 丸椅子。

 ベッド用テーブル。

 手元にはナースコール。


 そこは、病室だった。

 それ以上も以下もなく、至って普通の病室であった。


 スライド式のドアが静かに開いて、一人の青年が覗き込む。


「やっと起きやがったかクソヤロウ。そのままくたばればよかったのに」


 四宮カズハだった。


「仮にも怪我人に初手罵倒は流石にひどいと思うんだ」


「女の子泣かせたやつの何処がクソヤロウじゃないっていうんだ。一文字違いで鳴かせるならともかく――イヤやっぱダメだ逆に殴り殺したくなる」


「やめてね」


「ともかく、無事退院できたらミィナに謝っとけよ。あの娘、すごく泣いて塞ぎ込んでたんだからさ――まぁ数ヶ月は覚悟したほうがいいんじゃないかな」


「……わかってるよ」


 そして、カズハが帰って、エトはようやく思い至る。


「…………また、生き延びてる……?」



 ◇ ◇ ◇



 意識を取り戻したエトは、いくつかの検査を終えた後、病院とセーフガード施設で厳重な取り調べを受けた。

 結晶病に関しては、医者曰く――日常生活にほとんど影響がないとのことだった。以前より見違えるようだとも。


〈導星〉は、エトの救出時にセーフガードによって回収されたと聞いた。

『政治屋』と対話する機会があり、この世界において危険極まりない不可成結晶体の粒子を散布する兵装の使用を前提としたVAF――エドルア島での〈K.O.F.〉、今回の騒動で暗躍した〈黒騎士K.O.N.〉を始めとする次世代型VAFアームド・フレーム・ネクストの一つとして〈導星〉は将来的に解体を視野に入れた分析を企業連合主導で行うとも聞いた。


 この後に《神託者オラクル》から、「あなたが成した選択に後悔はないか」と聞かれた。

「まだわからない」とだけ返したが、《神託者》はどこか満足そうだった。


 ともあれ、エトは数ヶ月の拘束の後、釈放されることになった。

 そして、日常に戻るまでの手続きをこなす内に季節は過ぎていった。



 ◇ ◇ ◇



「――やっぱり、変わる時は変わるもんなんだな」


 セーフガード施設の正門から一歩踏み出して、エトはそうつぶやいた。


 廃棄街における極左暴力集団による大規模蜂起が発端となった第三次楽園戦争が残した傷跡は決して小さいものではなかった。


 廃棄街は壊滅。一部は次世代型VAF〈K.O.N.〉の戦闘によって結晶体に汚染されているという有様だった。だが、この騒動を機にエリュシオンを長年悩ませ続けてきた難民やそこに巣食う多くの犯罪組織などといった頭痛の種が消えたという見方もあった。

 それを示すかのように、楽園戦争以降凍結状態にあったエリュシオン開発計画の復活が発表された。除染と調査を行った後に本格的に始まるのだという。


 ユーノが率いていたエグザウィルは、セーフガードに合流・吸収されることになった。第二次楽園戦争のきっかけになったとも言える旧私設自警団同士の対立がようやく消失したと言えた。

 指導者とその親であったフォルティス親子の消息は不明。


 エリュシオン本土もかなりの被害を被っていた。

 その原因の大半を占めているアヴィリア・アコードに対する不信感はより強まり、エリュシオンはアヴィリアに対して安全保障条約における多くの条項の譲歩を強要し、大いに燃え上がっていると聞く。


 眼の前のビルに埋め込まれた大型サイネージに映るニュース番組も、ネットも、新聞もなにもかも、その話題で持ちきりだった。


神託者オラクル》から事情は聞いていたから、今起きている事については、腑に落ちていた。だから、エトは《神託者オラクル》に聞いた。

「今回のような騒動を起こさずに今の結果に誘導できたのか」と。


 答えは「イェス」だった。



 長い――長い夜が明け、そして楽園は変わる。

 一人の老兵が望んだままに。



 ◇ ◇ ◇



「――とまぁ、雨降って地固まる的な感じになってるけどさ、何事にもメリットしか無いものなんて無いように、結構面倒な状況にあったりするのよねエリュシオン」


 駅前のカフェで、一人の青年がため息交じりにそう溢した。

 エトは、自分がおぼろげながらに予感していたそれをカズハも感じていたということに密かに安堵していた。


「……まぁ、そうだよな」


 今回の騒動で、エリュシオンが長年抱えていた問題が解決したように見えるのだが――その実そうでもない。

 第一に、クロムウェルが《神託者オラクル》に立てさせた今回の計画の立案において、様々な縛りレギュレーションを無視させていたという点がある。


 例えば人命。

 例えば、期間。

 例えば、自らの命。

 例えば、その時利用されたモノの真価。

 エトセトラ。


 これらへの配慮もなしに強行すれば、新たな問題が噴出するのは目に見えていた。実行者であるクロムウェルが自決することも計画の一部に入れていたのだから、このことすら把握していたということなのだろう。


「まず、第一にただでさえ拗れかけてるエリュシオンとアヴィリアとの関係が余計拗れそうってこと。ほら、エリュシオンって国防の半分をアヴィリアに委託させてるから戦後復興が早まった節あるし」


「下手にふっかけ過ぎて手を切られて文句は言えないって具合か?」


「いや、VAFとかの技術支援があるから手を切るとかはないだろうけど、あそこ最近結束が弱まりつつあるっぽくてさー……しかもその原因がかつて奪おうとしたエリュシオンってきたもんだから」


「あぁ……」


 アヴィリア・アコードは対北方皇国を掲げてこそいるが、元は大析出直後、互いに争っていた国々の集まりだ。それもあって連携があまりよろしくないというのは以前から言われていた話だし、今回の第三次楽園戦争で駐留していたアヴィリア連合軍が介入してきた最たる原因でもあった。


「二つ。政府は公表してないけど――っていうかできるわけないけど、エリュシオンが戦略的価値と能力がある『何か』を保有していることを勘付かれた。ついでに〈導星〉の価値も同じく、ね」


 現代において、ヒトの知性の総体を突破した――いわゆる技術的特異点シンギュラリティを突破した人工知能というのは、実在するかも怪しいおとぎ話と同等の存在であり、同時にゲリラ戦を主にしていたエリュシオンが、なぜまとまった戦力もなしに独立を勝ち取れたのかというある種の七不思議めいたものがあった――第三次楽園戦争までは。


 人間がどうあがいても敵いっこない人工知能が持つインパクトというのは、核兵器が持つそれと匹敵する。


 莫大な利益をもたらす軌道エレベータと、技術的特異点を突破した人工知能――その両方を持つ国を警戒しない国は果たして存在するのか?


 つまりはそういうことである。


「……エリュシオン内部の問題は解決できたのかもしれない。だけど、あの老害クロムウェルは外を全く見ていなかった。全てはこれに尽きる」


「『楽園』に至った者の真実を、証明することはできるのか――か」


 このあと、カズハは自分たち技術者――もとい技術師の元締め的集団が今回の騒動に乗じてコンタクトを取ってきてきやがった――と愚痴っていた。


 どういうことなのかと訪ねたら、「親父とオーゼさんの話でしか知らないけど、とにかく面倒極まりない連中で、しかも反りが合わないとかで島流しにあったとかそういう話らしいんだよね」とのことだった。


「一応言っとくけど、『静馬家』の君も全く無関係じゃないからね。もしかしたら白羽の矢が立つかもしれない。何を求められるかはわからないけど、少なくとも面倒事であるってのは保証しよう」


「一難去ってまた一難。その一難を乗り越えたらまた新しい一難……か」


「恨むならあの騒動を起こしたクソジジィを恨むんだな。本当の『楽園』文字通り自分たちだけの世界なんだろうけど、ごあいにく我らが世界には他所様がごまんといやがる。

 その程度のことすらわからず、余計なことをしくさったからアイツは『老害』なんだ」


「その面倒事も引き受けて何とかするのも、俺達みたいな継ぐ者たちの役目なんだろうね」


「借金を借金で解決するような真似は寄せってそれ一番言われてるし――って、お前ここで呑気にティータイムに入ってるけど、まずはミィナちゃんに謝るのが先だと思うぜ?」


「お前が少し付き合えって言ったから、こうやって席についたんだが? わからないなら数発ぶん殴って思い出させてやっても良いんだぞ?」


「おいおい、拳を介した会話なんて言う野蛮人特有のコミュニケーションはノーサンキューだぞ」


「誰のせいだと思って、誰のっ!!」


 その後、エトは実家に行ったのだが、肝心のミィナはいなかった。

 母親曰く、彼女は今エトの家にいてそこでエトの帰りを待っているとの事だった。


 ――余談ではあるが、この後なぜか「ミィナちゃんには優しくしてあげてね」とか「二人で食べなさいね」と優しく言いながらいつの間にか炊いていた赤飯を入れたタッパーを手渡された。


 父は「気が早いにも程があるだろ」と言わんばかりの渋面を浮かべていたが、エトはもう色々気づかないフリを決め込むことにした。

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