第二章-28 ひとりぼっちのせんそうのおわり

 私の旅路は、ここで終わる。


 私は、あの瞬間からこの時のために使い尽くすことを誓った。


 彼女が望んだ『楽園』を。


 最期まで望み、そして終ぞ見ることができなかった『楽園』を。


 訳の分からない結晶に喰われた地上に遺された『楽園』を、この地に顕すために。


 そして、それは成った。


 だから――私の長い長い旅路は、ここでようやく終わるのだ。



 ◇ ◇ ◇



〈――超長期間の作戦活動オペレート、お疲れ様でした。クロムウェル・ザイツェフ〉


 大破したVAFから射出されたコックピットユニットが、何処ともしれない格納庫の一角に着陸し、戦闘とGで傷ついた身体を引きずり出して、クロムウェルは壁によりかかりながら歩き続けていた。


 なぜ、コックピットから脱出しようと思って行動したのかはわからなかった。


「……外は、どうなっている」


 痛み、傷ついた身体を引きずりながら、《神託者》に問いかける。


〈すべて、あなたが望んだままに。難民の殆どは死亡し、廃棄街に拠点を置く犯罪組織の多くも壊滅。エグザウィルはセーフガードに合流し、程なくして吸収されるでしょう〉


 ――お兄ちゃん。

 ――わたしね、『らくえん』が見たい。


〈わたしは、あなたが望む結果への誘導に成功しました〉


 ――楽園なんて、どこにあるってんだ。


 ――つくるんだよ。


 ――作る? オママゴトでも、クラフト系ゲームじゃないんだ。


〈わたしの能力の実証試験の完遂まであと少しです〉


 ――いや、わたしたちなら……エリュシオンに住むみんなならできるよ。


 ――うまくいくものかね、そんなに。


 ――できるよ。わたしも、お兄ちゃんも、お兄ちゃんの友達も! みんなみんな『楽園エリュシオン』の人間だから!


「そうか……」


 今となっては、妹が望んだ『楽園』がなんなのかは知りようがない。

 だが、楽園の在り方は考えることができる。

 だから、クロムウェルは立ち上がった。


 彼女が望んだ『楽園』が間違いでなかったことを証明するために。


 そして、計画は完遂した。

 内容の大半は神託者が組み上げたものではあるが、人間には困難な『楽園』の証明を人間だけで行わねばいけない理由など何処にもない。


 ともかく、『楽園』は成った。


 長い長い夜が明けたのだ。


 全ては、ヒトを超えた機械仕掛けの神のシナリオ通り。


 残るは――


「――憎まれ役の幕引き、だな」


 歩みを止め、壁にもたれかかって、ホルスターから拳銃を取り出す。

 用途は、一つだけ。


〈……そのことですが、それは少し先になりそうです〉


聡明の息子エトか」


〈いいえ。誰なのかはあえて明かしません。少なくともセーフガードの人間ではありません。自らの幕引きは客人の相手をしてから――ということで、では〉


 通話が切れる。

 同時に、足音が聞こえてくる。


「……驚いたな。エト坊か聡明だと思ってたんだが」


 歩んでくるは水色の髪をまとう一人の少女。

 結晶から生まれた少女。

 北方皇国の研究屋と技術屋が「オペレーター37」と呼んでいた少女。


 結晶を操る、結晶の巫女。


「……ともかく、また会ったな、ミィナ嬢。いや、この状態では初めまして――か?」



 ◇ ◇ ◇



 鎧を脱ぎ捨てた黒騎士が、血に塗れた老兵が、壁にもたれかかった状態でそこにいた。


 息も絶え絶えの状態で、片手に拳銃を握っていた。


「クロムウェル・ザイツェフ――で合ってますか?」


「そうだ。だが、どうせしばらくしたら死ぬ身だ。好きなように呼びな」


 ただ、その弾丸は今のところ自分に向けて飛んでくることはなさそうだ。


「ザイツェフさん。過去に一体何があったのかは聞いています」


「そうか」


「あなたの妹さんの身に何があったのかも」


「……そうか」


「……『楽園』は、見つかりましたか?」


「さぁ……な。何しろ言い出しっぺがいなくなったからな。わかるものもわからんよ」


 何を以て、楽園を『楽園』とするのか。

 手っ取り早いのは、楽園に住む人間に聞くことだ。

 だが、それは不可能だ。


 楽園というものが、仮にあったとして――

 そこに至った者が、至上の満足と喜びに満たされたそこから出てくる保証がどこにある?


 ない。何処にもないのだ。


 そして――もし、『楽園』の外に出たと言うことになれば、そこは『楽園』ではなかった事になる。


 ここからわかることは、楽園に至ったものはその存在を外部から観測されることはない――と言うことだ。


「あいつも、俺も、聡明も、誰一人として楽園なんてわかりっこなかったのさ」


「でも、追い求める価値はある。だからあなたはここに楽園を築こうとした。指標も何もわからないままに」


「だが、俺が望んだ楽園は成ったぞ」


「いいえ。あなたのそれは、私にとっての楽園じゃなかった。あなたがやったのは、戦争に見せかけた虐殺です」


「そうだ。何処まで言っても他人は所詮他人だ。だから、楽園は何処まで行っても『楽園』なのさ」



 ◇ ◇ ◇



「――で、お前さんは何の用があってここに来たんだ? 別に俺と言葉遊びをしたいってわけじゃないんだろう」


「誰の内にも『楽園』がある。でも、言葉にすることで伝わることがある――と、私は思います」


「……随分人間らしいことを言うじゃないか」


「例え人でなかったとしても、人であると思えば、私は人になれるから」


 周囲には、先程の戦闘で撒き散らされた粒子化結晶体クリスタルが宙を舞っていて、一部は壁や床、そして置かれている機材に付着し、喰らって少しずつ成長していっている。


 その対象は、クロムウェルも例外ではなかった。


「言葉でその輪郭が、少しでもはっきりするのなら、今からでも遅くはないと思うんです」


 ミィナの言葉に、クロムウェルは眉をひそめる。


「クロムウェルさんの妹さんは、アリーシャというお名前ですか?」


「なんでお前がそれを知って――いや、あいつか。余計なことを……」


《神託者》は過去に、彼女の死を予測していた。

 それは、つまるところ一人の人間の人生の演算であり、そしてそれは本人の人格という因数も含めなければできないものであった。


〈導星〉からの接続を切ったときに《神託者》が語った言葉の意味を、ミィナは理解していた。


 人工知能が彼女の死を予測したということが何を意味しているのかは、この際問題ではない。


《神託者》のデータベースに、アリーシャ・ザイツェフという今亡き一人の少女の人格データがあるという事実が必要なのだ。


〈導星〉と接続し、そして短い時間ながらもエトと共に戦った中で、自分の能力ちからの感覚を掴みつつあった。


「私は、『結晶の巫女』。願う者と共に願いの星を摘んで、そして共に星を積む者。だけど、私だけでも星を摘むことだってできる」


 クロムウェルの目が見開く。


「今、この場所は大量の粒子化結晶体が漂っています。そして、その一部があなたの身体を喰らいつつあります。これなら……」


 人格再現は、膨大な人格データを元に、膨大な計算資源を投入して行われる模倣エミュレート

 過去のゲーム機を再現するものとはわけが違う。しかも演算を行うのはコンピュータではなくヒトの身だ。

 とても難しい事この上無いが、今はとても心強い味方がいる。


「……《神託者オラクル》」


〈――何でしょう。我が女王マイ・レィディ


「あなたが最初に選んだ少女を口寄せサルベージします。だけど、これほどの結晶体から膨大な情報と演算を以て引き揚げるのは、私には無理です」


 一息入れて、続ける。


「――だから、手伝ってください」


〈イェス。マイ・レイディ。現在地のセンサーを利用します。許可を〉


「許可します」


〈感謝を。バックアップ可能時間は四分三十秒。並びにアバターの演算支援が困難になりますが〉


 返答は、肯定的だった。


「大丈夫。やろう」


 今からやろうとしていることは、下手をすれば――いや、下手以前に実際死者の冒涜も良いところだという自覚は流石にあったし、《神託者》からそういう苦言の一つや二つ言われるだろうと思っていたのだが……

 ヒトを超えた人工知能故なのか、それともそういう風に見えるだけなのか、それとも――


「馬鹿な。そんな事できるわけ――」


「落ち着いて聞いてください。クロムウェルさんが望まないなら、私はやめます。でも、あなたがエリュシオンを出てから今までの間、ずっと……ずっと思っていたのなら――あなたは、妹さんと話すべきなんです。

 少なくとも、私はそう思います」


 あとは、あなたが決めてくださいと語ったミィナの視線の先で、クロムウェルは苦悩していた。

 そして、右手に握っていた拳銃をホルスターに突っ込んで、ミィナを見つめる。


「正直、腹が立たないかと言われれば嘘になるが……やってくれ。結晶の巫女さんよ」


「わかりました」


 虹彩が青白く光り、脳が活性化する。知覚は広がり、クロムウェルを喰らいつつあるものも含めた周囲の結晶体の存在を知覚し掌握する。


 ――結晶が砕け、粒子へと還る。


 感覚と、《神託者オラクル》の支援を頼りに、舞い踊る粒子化結晶体を制御する。優しく、大事に、慈しみながら、腕に抱き形作っていく。


 やがて、身体の境界の感覚が遠のいていった。



 ◇ ◇ ◇



 足音が聞こえてきた。


「……遅かったじゃねぇか」


「悪いな。結晶体濃度が下がるまで入るなって文句を言われてな」


 格納庫の中は、所々何かに喰われた痕跡がある壁、床、そして機材があった。


 そして、その中で体操座りのクロムウェルが、膝に顔を埋めていて、そこから漏れる声は、小さく、そしてかすれていた。


 この中で何があったのかは、聡明にはわからない。

 だけど、クロムウェルが泣きはらすぐらいの何かがあった、ということだけはわかった。


「クロムウェル。俺は、俺たちはケリを付ける必要がある」


 持ってきた拳銃の遊底スライドを引いて、弾丸が装填されていることを確認する。


「全ては、あの時お前を殺さなかった俺の責任だ」


「……そうだ、聡明。なら、やることはわかってるだろ」


 ――構える。

 今度こそ、外しはしない。


「今度こそ、外すなよ。下手くそ」


 そして、二発の銃声が格納庫に響き渡る――










 ――


 ――――


 ―――――――――


 ――覚悟していた痛みは無かった。


 ただ、二発の銃声と拳銃を投げ捨てる音だけが聞こえた。

 嫌でも気がつく。こいつは――


「お前、また――」


「クロムウェル・ザイツェフ!」


 胸ぐらを思いっきり掴まれた。


「事情はあのクソッタレの機械から聞いている。全てお前の妹のためにやったってことも、そしてそれはお前が死んで初めて達成するってことも全部!」


「だったらなんで殺さねぇ、聡明!!」


「望んだ結果に誘導し、達成すれば、この騒動の責任を取って自殺する――そんな勝ち逃げを、俺が! 俺たちが許すと思ってんのか!」


 胸ぐらを掴み上げたまま、壁に叩きつける。


「さっきの二発でお前は死んだ!」


「何を――」


「いいか、よく聞け!」


 胸ぐらから手を話し、クロムウェルのホルスターから拳銃を奪い取る。

 そしてなれた手付きで、薬室から弾丸を取り出し、弾倉も外して、遠くに投げ捨てる。拳銃本体も別方向に投げ捨てる。


「――お前には、お前が望んで、誘導したこの楽園を最期まで見届け、そして護り続ける権利と義務ががある!」


 廃棄街という存在に、嫌悪感を抱かなかったと言えば、嘘になる。

 だけど、他に方法があったのかもしれない。慰霊碑の前に立つたびに思うのと同じように。


 だが――


「俺と一緒に戦い続けろ! 生き続けろ! クロムウェル・ザイツェフ! あの娘が望んだ楽園のために!」


 変わったのなら、変えたのなら……最期まで突き通すのが筋だろう。


「それを全うするまで、にこやかに死なせてやるものか!」

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