第二章-20 命尽きても尽き果てず、そして人の子は楽園あれと悪魔に願う

 それは、その戦闘を見ていた人間からすれば一瞬のうちのことであった。


 突撃してきたダークブルーのVAFはその勢いのまま、クロムウェルの〈黒騎士K.O.N〉を蹴り飛ばし、転倒させもんどり打ったところにアサルトライフルの弾丸を叩き込もうとし――対する〈黒騎士〉はブレイクダンスの要領で跳ね起きて、円周機動オービットを描きながらその砲撃を次々と回避する。

 そしてダークブルーのVAFもその機動に追従する――


 まるで、ダンスのよう――と、初めてVAFの戦闘を第三者の視点から見たミィナは思わずにはいられなかった。


 ただそう思わざるを得ないほどに、その光景は現実離れしていて、同時に芸術的なものを感じずにはいられなかった。


「あのVAF……誰が乗っている? クロムと戦えるやつは俺以外にいないぞ」


 その光景を見た聡明はそうつぶやかずにはいられなかったが、ミィナはその答えを知っていた。

 知っている――と言うより、直感の域に留まるものでしかなかったが、ただ確信していた。


 あの機体にまとわりついている粒子化結晶体とそこから引き上げられる様々な武器――そう、彼女はあの光景を見たことがあるのだ。


 そしても、も。


「エト……」


 罪がないことが罪であるというのなら、あの時あの青年を救いたいと願った私は罪なのか?



 ◇ ◇ ◇



 静馬聡明は困惑していた。


 なぜ、こんなところに息子エトが乱入してきた?


 なぜ、戦えている?


 なぜ、VAFに乗っている?


 何故、何故、何故――?


〈それは、静馬エト自身が、そうしたいと決めたからなのですよ〉


 鈴を転がしたような、そしてどこか腹立たしい若い女性の声――だった。

 聡明の携帯端末に着信が飛び、その電波をキャッチしたホロソフィアが自動通話に移行している。

 彼のソフィアに自動通話に設定している番号は一つしか無い。


「……今頃何の用だ、神託者! そして今のはどういうことだ? 説明しろ! 何故あいつが、ここにいる!」


〈説明したいのは山々でございますが、VAF同士の戦闘領域に居続けるのは控えめに申し上げまして自殺行為です。安全な場所に避難することをおすすめするのですよ〉


「全体が戦場になったエリュシオンで安全な場所だと!?」


〈あなたはで、そしてその目の前にいるのでは?〉


 目の前には、地面からせり上がり、シャッターが開かれた建造物。


 聡明とクロムウェルは、確かにその中とその先にある場所は安全であると知っていた。


 通話は切った。

 これ以上、腹が立つ声を聞きたくなかった。


「……ミィナ、あの建物の中に避難するぞ」


「大丈夫なの?」


「アイツは戦闘にかかりっきりで、こちらに気を使う余裕はない。それに――」


「それに?」


「あの建物の主と俺は、腐れ縁があるからな… 」


 先程の殺戮で気を失ったミトを抱えながら、建物の中に飛び込んだ。

 そして、手慣れた手付きでセキュリティを解除し、中にあった人員輸送用のエレベーターに乗り込んで下層へ向かう。


「――セーフゾーンはエレベーターを何度か乗り換えた先にある。辛抱してくれ」


 腹立たしかった。腹立たしくて、仕方なかった。


 ――アイツはいつも、俺達の未来を見通し切っていてその上で手のひらの上で転がし遊んでいるのだ、と。



 ◇ ◇ ◇



 もし、人の全てを知り得ることができたというのなら、俺は何をすれば彼女を死の運命から遠ざけることができたのか?


 自分以上に大事な妹が、嬲り殺されたという報を部下の一人から聞いたのは、今日のパトロールを終えたときのことだった。


 最初、一体何を言っている? 笑えない冗談は今すぐやめろと凄んだが、青ざめ震えている部下の表情は変わらず、現場――俺の自宅だった――に赴いて初めて、大切な妹が殺されたと知った。

 その後の経緯は迅速だった。


 犯行グループを特定し、即座に報復を行った。どうやら、闘士団の傘下だったらしいが、その闘士団から見捨てられていた。


 だが、報復し、犯人共を血祭りに上げたとしても空虚は埋まらなかった。

 半殺しにしたやつから吐かせた情報を聞いても、虚無は消えなかった。


 ただ、そこにあったのは怒りだけだった。



 ◇ ◇ ◇



『――なるほど、良い腕だ』


 VAF同士の高速戦闘であるにも関わらず、何ということもなさそうに眼の前の黒いVAFのパイロットはそう語った。


『やはり、死地をくぐり抜いた者とそうでない者とでは全く違う。そうは思わないかね? 静馬の後継』


 地面からせり上げた建造物を挟んで、互いににらみ合い、そして同じように互いの銃口がにらみ合う。


 このまま撃てば、急所に当たるだろう。しかしそれは、目の前の黒いVAFも同じで――


『これが、楽園を継ぐ者――か』


 そんな状況に飽きたのか敵は静かにそう語る。


『やはり君は、この楽園を真に受け継ぐ人間なのだな』


「何が言いたい」


『私には、何もない』


 語り口は、空虚だった。


『守るべき人も、望んでいた楽園も、全て取りこぼした。その空虚も怒りも悲しみも、再び楽園を戦火に沈めても終ぞ埋まることはなかった!』


 だが、そこには怒りがあった。


『少年。私はこの夜明け前の楽園を憎んでいる。ようやく得られた幸せを惨たらしく奪ったこの楽園を』


「その結果が、この騒ぎか」


『それは、イェスでありノーだ』


 彼は言った。

 確固たる意志で、そう言った。


『今となっては空虚にある私だが、それでも願いを受け継ぐことはできる。受け継いだのなら、その意志を叶える権利と義務がある。

 私は、くだらん極左暴力集団みたいな御大層で反吐が出るお題目を掲げるつもりはサラサラ無い。これは、あの娘を守れなかった愚かな男の、精一杯のけじめであり贖罪なんだ』


「…………」


『あの娘が願った楽園を手にし、そして私は罪によって死ぬ』


「あなたは……一体何を」


『だが、タダで死ぬ気はない。生きて、彼女が望んだ「夜明けの楽園」を見たいからな』


 そして、敵は意思と共に堂々と告げる。


『――さぁ、今度こそ私を殺して見せろ、断罪執行官ベルリオーズ……!』


 静止した時間は終わり、戦闘が再開する。

 今や砲声は鳴りを潜めつつあり、それはこの戦いでこの第三次楽園戦争における決着が着くことを予感させるものだった。



 ◇ ◇ ◇



〈――あなたは、一体何を望みますか?〉


 ――と皆で封印することに決めたそいつはそう問いかける。


 あいつからすれば、人類はチェスの駒と同じ価値しかない。その危険性と恐ろしさは、この楽園戦争で嫌というほど思い知っていた。

 しかし――


〈あなたは、これで終わることを良しとしていないのではありませんか?〉


「うるさい……」


〈あなたには、望みがあるはずです。妹から託された祈りがあるはずです〉


「うるさい!」


 携帯端末をソファーに向けて投げつけ、肩で息をする。


〈私にお命じ下さい。私にはその要求に可能な限り応える用意があります〉


 悔しくて、腹立たしくて、仕方がなかった。

 自分自身の全てを見透かして、嘲笑しているようなその全てが。


 しかし、だからこそそいつは神託者と呼ばれるのだ。


 だから――


「お前は、あの娘が――シンシア・ザイツェフが殺されることを予測していたのか?」


 その欲求に屈した。屈しざるを得なかった。


 そして、神託者はこう語った。


〈肯定します。私は犯人、動機、殺害手法その他全てを予測していました〉


「…………もし、あの娘が殺される前に、このことをお前に聞いていたら、その未来を回避できていたか?」


〈それが不可能であることは、あなたが一番わかっているのではありませんか?〉


 やめろ。


〈あなたはあの時、シンシア・ザイツェフが殺されるかもしれないという可能性をリスクの範疇から除外していました〉


 やめろ……


〈これはむしろ当然のことです。人間誰しも、自分や大切な人が殺されるなんて思いすらしないのです。そうでしょう?〉


 やめてくれ。


〈私は道具です。予測こそすれど、命令オーダー外でその予測を提示することはできません。それは、私が道具であるが故の絶対的規範であり、そして――〉


「やめろ!」


〈――この運用規定ドレスコード、それを以てのではありませんか?〉


「やめてくれ!」


〈だからあなたは『なぜ事前に知らせてくれなかったのか』という質問ができなかったのです〉


 おれは、崩れ落ち、慟哭した。


「…………」


〈クロムウェル・ザイツェフ。私は、あなたが求める要求に可能な限り、最大限応える用意があります〉


「……なにが、望みだ」


命令オーダーを。繰り返しになりますが、私は、あなたが求める要求に可能な限り応える用意があります〉


 それはきっと――いや、間違いなく悪魔のささやきであり、契約である。

 だが、こいつの力があれば――


命令オーダーを〉


「…………あの娘が望んだ楽園を現実のものにしたい。どうすればいい」


 俺はあの娘から託された。ならば、その意思と願いを叶えるのが兄としての役割だ。


 願わくは、あの娘が望んだ楽園を。夜が明けた楽園を。

 願わくは、あの娘を殺した根幹に我が怒りを。

 願わくは、その楽園を継ぐ者が現れんことを。

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