第二章-19 我が身を灰にするまで

 初めてVAFアームド・フレームに乗ったときのことは、今でも鮮明に覚えている。


 自分の身体だけど、自分の身体ではない――そういうなんとも形容し難いあの感覚を。

 感覚は鋭敏になり、人間以上のパワーとスピードを手中に収めた万能感を。

 真の意味で思い通りに追従し、人間以上のパワーとスピードを完全に制御できる高揚感を。


 そして、加速し続ける思考への恐怖も。


 弾丸飛び交う戦場に、それも高速化の一途を辿るVAFアームド・フレームの戦闘において、思考という行為のプロセスの一部を人工知能に委託して長い時間が過ぎ、エト自身もその恩恵に与る身でもあるが、それでもその恐怖が消えた時はない。


 今や肉体は希薄となり、重力の存在も忘れ去られた。


提示頻度自動調整タイミングシフト歩行速度アンダンテからアレグロ速度モデラートへ』


 温度、聴覚、嗅覚に至るまで、思考に不必要な感覚は、思考加速プロセスに付随するホロソフィアによる感覚遮断機能センス・マスキングによってほぼ完全に遮断されている。


 人間の思考・情動・行動をある程度予測できる域にまでに至った人工知能とホロソフィアを代表とするブレイン・マシン・インターフェースが確立された現代において、VAFの制御と戦闘思考を続けるにあたって、脳と2つの目以外の身体器官は不要を通り越して邪魔なノイズでしか無い。


 自分を自分たらしめる要素が一つ、また一つと削ぎ落とされるような感覚。

 生きるためにこの機械に身を委ね、頼っていけばいくほどに、静馬エトという一人の人間の本性を剥き出しにされていく。


 これが、恐怖。これこそが恐怖だ。


 目の前にあるフレームイーターというVAFの天敵という死の恐怖。

 エドルアの一件以来、内に巣食い続け、今や今度こそこの身を喰い果さんと活性化した結晶体という死の恐怖。


 それらに匹敵する恐怖が少しずつ脳を犯す。


 加速し続けるエトの思考に追従できるものは、今やこの〈導星〉という第二の身体以外に存在しない。


 避ける。


 撃つ。


 弾道予測線を把握する。


 ワイヤーアンカーを射出し、空中に躍り出る。


 ワイヤーを引っ張り、アンカーを撃ち出し、三次元機動を実行する。


 跳ねる。


 回り込む。


 路面を蹴って肉薄する。


 粒子化結晶体の海から高周波ナイフを引き上げる。


 加速し続ける思考のままに、そして絶え間なく発せられ続けられるパイロットの命令のままに、関節、モーター、人工筋肉エトセトラの寿命を通常以上の速度ですり減らしながらも、〈導星〉は健気にその命令を、意思を遂行し続ける。


 これこそが、VAFの本懐。これこそが、かつて全身義体に求めた理想の姿。


提示頻度自動調整タイミングシフト中高アレグロ速度モデラートから高頻度アニマートへ』


「――インターセプト。もう少し速くアレグレット


了解ラージャ


 されど精神は加速し続ける。


 ヒトらしい理性的な戦闘機動から、次第に凶暴で野性的な――獣じみたそれへと変化する。


 VAFヒトVAFヒトならば、わざわざヒトがヒトの域を超える必要はない。ヒトがヒトを殺すのに獣である必要がないように。


 だが、今彼の眼の前にいるのは三体のフレームイーター

 ヒトが獣を殺すには道具を以て対等にならなければいけない。


 だが、VAFはヒトではない。ヒトがヒトという枠と限界フレームを超えるための器なのだ。


 ――汝、ヒトを超えたいと欲すのならば、どこまで機械自分の速さに食らいつけるのか見せてみろ。


「コール。中高高速度アレグレットからやや急速プレスティッシモへ――ぐっ」


了解ラージャ


 思わずうめき声が出るが、されど機械は冷徹だった。

 四段飛ばして情報提示頻度を引き上げると、負担と恐怖が爆発的に増加する。

 恐怖の縁、発狂に至る深淵という大穴にあと一歩でも踏み込めば、たやすく転がり落ちるような――そんな感覚がエトを包む。


 今、この瞬間、静馬エトという人間は、思考加速プロセスが次々下す天啓のままに、人工知能が下す天啓のままに暴れ舞う一つの出力装置に――いや、道具を振るう一つの獣に成り果てていた。


(だけど、足りない。まだ足りない)


 だが、VAFの挙動が獣に成り果てたように見えたとしても、魂の座に在るパイロットが同じく獣になり果てなければいけない理由はない。ただそういうふうに見えるかもしれない機動を、理性的に選択したに過ぎない。


 思考加速プロセスは、パイロットの思考を手助けするためのものであり、思考を誘導、代替するためのツールではない。


 だから、静馬エトの思考はどこまでも理性的であり、一機の装甲をぶち抜いて内部の燃料電池を握りつぶして、ここまで至ってようやく対等イーブンになったという結論を導き出した。


 既に通常の思考加速は限界に近しい。だが、腰にマウントされた強制停止プラグを確実に刺すにはまだ余裕がなさすぎる。

 残るチャンスはあと二回。

 三機相手には無茶がすぎるのもあって潰したが、これ以降は殺してはいけない。

 良くて無力化。


 ここまで至ってようやく対等。身を削ってIシステムも使ってようやく対等。ここから格上に至るには、二~三段階の加速では役不足だ。


 相手はフレームイーターだけではない。この騒動を引き起こした首謀者が乗ったVAFも相手にしなければならないのだ。


 加速への恐怖はまだなんとかなるが、これ以上の大規模なIシステムの行使は死に直結する。使うにしても、小規模で限定的に。


 ――ならば、一般的ではない方法に踏み切るしかない。


「コール。プレスティッシモからアンダンテへ」


『了解』


 コマンドに応じて、視界の端を埋め尽くし駆け抜ける情報の奔流はその勢いを急速に緩めた。

 スパートをかけたあとにゆっくりと速度を緩めるような、そんな安心感が包む。


 シフトダウンしたのは、諦めたからではない。むしろ――


管理者権限アドミニストレータコマンド。タイムリミットは五分。それ以降の思考加速機能は停止」


『管理者権限を確認。コマンドをどうぞ』


 ――アクセルを踏み切っても足りないならば、ギアを上げれば良い。


「思考クロックブースト。二速セカンドよりスタート。オートシフティング」


拒否ネガティブ。思考クロックブースト状態下で五分間の継続運用は危険です』


「三分」


『拒否。タイムリミットは二分。三十秒ごとのオートシフティングを提案』


「ならそれでいい。コマンド訂正、サジェスト提示速度はアンダンテ。脳機能と戦況を鑑みてオートタイミングシフトを実行。同時にクロック倍率を二速からオートシフティング。以上」


『コマンドを受領。一速ファースト・アンダンテよりスタート。オートシフティングモード移行まであと五秒』


 直後、エトの精神は再び加速し、潜み続ける恐怖とともに二体のフレームイーターの目の前に再び躍り出た。



 ◇ ◇ ◇



 軌道エレベータユグドラシルを背景に、二十五ミリ弾の弾幕が地面を穿つ。


〈導星〉はその弾雨に自ら飛び込み、弾道予測線が飛んできた順を把握しその隙間を縫って避ける。避ける。避ける。避ける。デコイを落とす。避ける。避ける避ける。肉薄する――


 再び高周波ナイフを生成し、右腕のガトリング砲を斬り落とす。


 背後にもう一機のフレームイーター。


 宙返りして右腕を失ったフレームイーターを盾に。

 一瞬まごついた隙に高周波ナイフを土手っ腹に突き刺して、その穴に強制停止プラグを突き刺す。


〈プラグの侵入を確認しました。根が完全に張るまで生き延びてください〉


 オラクルが冷静に伝える。


「時間は」


〈三十秒〉


「上等」


 粒子化結晶体が突き刺したフレームイーターの周りに漂っているのを確認。


 置き土産に、対戦車ダガーをプラグを突き刺したフレームイーターの全関節に重ねさせたまま出現させて、撃発。無力化したのを横目にその場を離れる。


 ワイヤーアンカーをビルに食い込ませて宙を舞い、残ったフレームイーターもその後を追う。


〈二十秒〉


 ウェポンラックに固定させていたアサルトライフルを手に持って牽制射撃しつつ、再びワイヤーアンカーを撃って地面に向けて加速。


〈十秒〉


 フレームイーターが迫る。


〈九〉


 精神が悲鳴をあげる。


〈八〉


 恐怖が侵食する。


〈七〉


 アサルトライフルを発砲する。


〈六〉


 結晶体が身体を喰らう。


〈五〉


 世界が減速する――

 視界の隅に提示させていたタイマーの残時間の全ての桁がゼロになっていて、赤く点滅している。


(こんな時に――!)


 弾道予測線の赤いラインが〈導星〉の身体を突き刺す。

 逃げ場はない。


〈四〉


 粒子化結晶体による装甲が二十五ミリ弾をすべて弾き飛ばすか、勢いを殺してはたき落とす。


〈三〉


 対戦車ダガーを投げつけ――避けられる。


〈二〉


 地面に当たる直前に、接続したワイヤーを引っ張り手に戻す。


〈一〉


 再びフレームイーターの顔めがけて投げつける。


〈ゼロ〉


 対戦車ダガーが力を失ったフレームイーターに深々と突き刺さり、前半分が吹き飛んだ。


〈ネットワークの掌握を確認。全フレームイーターの活動停止を確認しました。お疲れ様です〉


『――負荷限界値に到達しました。思考加速状態を強制終了します 』


「……アクセラレーション終了。マスキングオフ』


了解ラージャ


 急速に戻りゆく肉体の存在感を感じながら、エトはその重さと疲れを同時に覚えた。


 身体はしきりに酸素を欲しているが、無茶な加速をしたにもかかわらず、かつての父のような頭痛は感じなかった。


〈無茶な思考加速はやめておけ、と以前オーゼ先生から釘を刺されていたのでは?〉


「……ここまで……やらないと……それこそ……死ぬだろ……ぜぇ」


〈この後VAF戦が控えているのを忘れてるわけではありませんよね?〉


「わすれちゃいないさ……」


〈それなら、その時が来るまで休んで置いたほうが良いかと〉


「そうさせてもらうよ」


〈導星〉の制御をフルコントロールから、自動巡航モードに変更。

 行き先はミィナと父たちがいるモジュール1。


 ここからなら、全速力で巡航しても着くまでに十分休めそうだと思いながら、エトは息を整えた。






 ――そして現在いまに至る

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