第二章-16 かくして導星は楽園を駆ける

 時は、少し遡る。


 ◇ ◇ ◇


 目蓋を開くより先に、柔らかい感触が頬に感じた。


 そして、目を開けた先にあったのは見知らぬ天井だった。

 さっきまで起こったことを思い出してみる。

 謎の爆発が起きた後、大急ぎでミィナがいるであろう実家に駆けつけた。しかし、そこはとうにもぬけの殻であり、そして光学迷彩を纏った連中がなぜか潜伏していた。そんな連中の一人が後ろに立ったから、半ば八つ当たりも同然で斬りかかった。


 その結果がこのザマだ。


「もし――」


 どこか老いたような声がした方向に目を向けると、スーツ姿の男がいつの間にか立っていた。

 どこか薄汚れたスーツだった。


「もし、君の父母と大事な恋人をさらったのが、我々議会だとしたら、君は我々を殺し尽くすのかね? 静馬の後継者」


 寝すぎたゆえの背中の痛みを感じながら、身体を起こす。


 答える必要性は不思議と感じなかった。

 もしそうなら、返事なんかいらないから。

 自らを、そして大事な人に害する者に手向ける言葉など、どこに在るというのだろうか。


「沈黙を以て答えとする――か、確かにそれも一つの答えではある。だが、我々は言葉を交わさねば同じ見解を得ることはできない。違うかね」


 それも、そうではある。大学の外国語の授業で同じセリフを聞いたような気がする。


「だから、改めて君に問おう。静馬ミィナをさらったのが、我々だとするのなら、君は私達を殺すのかね?」


 自分が思っていたより、スラリと語れた。小中高あたりで不良の類が脅しとして濫用するものとは違う、確固たる意思を。

 正直、驚いた。


「……殺します。地位とか家とか関係ない。大事な人に手を出すということはそれ即ち、自分に害をなそうとしていることと等しいから。だから、何も思わず断ち切るのみです。もし、あなた達がそれだとするのなら――」


 刹那。


 自分が座っているベッドの窓側付近に、光学迷彩でその身を隠していた兵士が、ホルスターから一瞬で拳銃を引き抜き、その銃口を向けた。


「やめたまえ」


「しかし!」


 拳銃を向けた兵士は、制止を求めた彼に異論を漏らす。

 顔は相変わらずヘルメットで見えなかったが、声は以外にも若い女性のそれだった。


「私はやめろと言った。すんでのところで真っ二つにされそうだったのが腹に据えかねて、上官の命令まで聞けなくなったか! サリア!」


 サリアと呼ばれた彼女はどこか不満げに拳銃をホルスターに戻した。


「どうやら、肝も据わっているようだ」


「いや、思いの外ビビってますよ。あのまんま頭を撃ち抜かれるかと」


 多分、自分は死を覚悟していたと思う。彼女はきっと百戦錬磨の兵士だが、あいにくこっちはVAFしか実戦経験がない童貞だ。

 エドルア島以来の、死の恐怖を感じずにはいられなかった。


「――まずは、謝罪をしよう。事態が急を要していたのと、場所をあまり知られたくないからノックアウトシールで意識を奪わせてもらった」

「ここは。そしてあなた方は、一体?」


「機密だ――と言いたいところだが、今は情報統制が解除されている」


 彼は、誰かに言い聞かせるようにそう話し、


「彼らは、エリュシオンのもう一つの名もなき暴力装置。そしてかつての静馬の役割を代行する者たち、そして私は一介の政治屋――とでも言おうか」


 と、そう結んだ。


 ――さて、まず何から聞きたい? と彼は語った。


 いの一番にミィナはどこだ? と聞きたい気持ちはあった。だが、今エリュシオンで起きていることは尋常では無いことは明らかだ。その正確な認識の上で聞かないと何かを見誤る――そんな予感を感じずにはいられなかった。


 だから、エトは最初に「いま、このエリュシオンで一体何が起きている」と聞くことにした。



 ◇ ◇ ◇



 眼の前のテーブルの上にはプラスチック製の背の低い将棋盤が置かれている。

 盤上のシートを入れ替えることで他のボードゲームに興じることができる、そんな代物だった。

 将棋盤の上にある駒たちは、はじめの位置から離れ様々なマス目に移動していた。


「――三十一手先で、君の詰みだ」


 まだ湯気が立つコーヒーを啜りながら、彼はそう言った。


「…………」


 静馬エトには将棋がわからない。

 過去に多少かじって、それぞれの駒の動かし方を覚えているぐらいで、定跡とか布陣とかてんでわからない。


 それでも多少はなんとかなるだろうと思ったのが間違いだった。


 砲声が響き渡る中であるが、今すぐ行動してもなんとか行くわけでもなく、また張り詰めた状態でいるのも良くないだろうという彼の提案で始まった将棋ではあるが、自分の下手さに申し訳無さすら感じてきてしまう。


 それは彼も同じだったのか(当然、逆の意味で)うーん、と少し唸り、そして何かを思いついたのか盤上の駒をすべて集めて箱に入れ、それを将棋盤の上に叩きつける。


 その音が人一人いない院内に響き渡った。


 彼が箱を除けると、駒が山積みになっていた。


「山崩し――これなら楽しめるだろう」


 互いに一つずつ、駒を引き抜いていく。


「すまないな」


 数順経た後に、彼はぽつりと言った。


「本来ならば、君の父君と母君そして例の少女をアヴィリアに拐われる前に保護をしようと彼らを向かわせたが間に合わなかったようだ。せめて君だけでも、と彼らは思ったそうだが、どうやら彼女はどういうわけか君に対抗意識を持っていたらしい。

 結果として手荒なマネになってしまって申し訳ない」


 こっちだって、半ば八つ当たりで刀を振るった身だ。

 いえ、と返すしかなかった。


「――軽く、君の父の話をしようか」


 老人の趣味に付き合ってこそいるが、今エリュシオンは大騒ぎだ。そんな余裕があるのかと思わずにはいられなかった。


「こんな状況で何を悠長に――と思っているだろう。まぁ、それでも聞いてくれたまえ。この後どちらかか両方がくたばったとしても不思議ではないからな」


 エトはうなずいた。


「聡明が英雄と呼ばれることを望まず、第一線から身を引いて徒人でいることを望むのは、自分を旗印にして余計なことをしでかすのを嫌い、そして何より彼が故郷にいた頃の家業を継ぐのを拒んだからだ。

 オーゼ・アリシアのことは――聞くまでもないようだ。

 聡明は過去に、今の名前になる前の彼女の家の人間を皆殺しに加担した過去があった」


 エトはコーヒーに口をつけて、息を呑むのをごまかした。

 そして、互いに駒を引き抜きながら、彼は語る。


「――流石にこれについては知らなかったか。

 オーゼは、エリュシオンに来る前はある技術流派――聞き慣れない言葉かもしれないが、内情を示すのにこれ以上ふさわしいものはない。我慢してくれたまえ――に属する父がいたそうだ。

 私は、聡明とオーゼと違って技術流派とそれに準ずる人間ではなかったから、一体どういう経緯でそうなったのかは私に知る由はない。だが、聡明と彼の家は、彼女とその家族を皆殺しにした過去があったというのは確かで、それができるだけの腕があったのも確かだ。

 だから彼は、君に普通の人間であることを望み、そして自分自身もそれに準じたのだろう。血なまぐさい過去なんて、楽園に居るには荷が重すぎる」


 彼は再び、コーヒーに口をつけた。


「戦争が終わったあと、彼は私達にある要求をした。

 自分たちは英雄であることとその地位を望まない。ただ徒人として行きていくことを望むと。

 そして、その見返りとして、もし、この島で再び戦火が起こるのなら静馬の名を持つものとして、その役目を全うしよう――と」


「だからあなたは僕をここに連れてきて、このような話をしたわけですか」


「早合点するのはよしたまえ。これはあくまで、ヒノマで代々続いてきた静馬家の一員としての静馬聡明が誓った話だ。今の君に関係ある話ではない」


 知ってか知らずか、彼は駒を引き抜くことはしなかった。


「本題に入ろう。今、エリュシオンで何が起きているのか――だ。

 来月に迫った二十周年の自治憲章と安全保障条約の更新でアヴィリア連合軍駐留基地の全面返還と移設計画並びに、廃棄街の再開発計画の交付が内々で決まっている。エグザウィルもこれに了承している」


 手元が狂って山が崩れた。


「今の基地がなくなって廃棄街の再開発ということは、数十年間知らんぷりを決め込んでいた難民問題と向き合う事になると同時に、真の意味で国防に向き合うことになる。だが、いずれケリを付けなければいけない問題であることには変わりない。

 ここ数年のエリュシオンの人口は増加傾向にある。このままでは今のエリュシオンでは支えきれなくなるのは自明だ」


「だから、廃棄街と駐留基地を回収して、そのモジュール本来の役目に戻すと」


「そういうことだ。

 しかし、時に――近年、我々エリュシオンとアヴィリアとの間で緊張関係が高まりつつあるのは知っているかね? 対北方皇国戦略のみならず、様々な基幹技術がエリュシオンに依存しつつあるという現状と現実に彼らは我慢できなくなっている。アヴィリア全体がそう思っているわけではないが、そう思う連中は少なくないし、それにまつわるトラブルが増加傾向に有るのもまた事実だ」


 再びコーヒーを啜り、彼は軽くため息を付いた。


「我々人間と言う生き物というのは、どれだけ理性で外面を取り繕ったとしても、結局は感情の生き物だ。理屈をいくら説いて、頭でわかっているとしても、収まらないことがある。アヴィリアのような悪い意味でまとまりが悪い組織なら、なおさらだ」


「だから、切り離す」


「人間が闘争を回避する手っ取り早い方法が古来より存在する。今回はその手法を取ろうと、アヴィリアの中核にいる政府とも折り合いはつけた。廃棄街は時間が掛かるが、エグザウィルとの細部の詰めも終わっている。

 ……だが、ここに来てその盤面をひっくり返すトラブルが起きた」


「ある一機のVAFのためだけに、そして一人の少女のためだけに、無理を通した連中がいる。君ならよく知っているはずだ」


「……エドルア島事変」


 本来、緩衝地帯の一つとして設定されていたはずのエドルア島に、北方皇国がバンカーバスターと軍用VAFを投下した事件。

 そして、ある青年が何故かそこにいた少女とともに、その軍用VAFを落とされた地点に眠っていた旧式VAFで撃退した異常事態。


 そして、不可成結晶体の真の力の一端を示した戦いでもあった。


「大析出後に併合を強行した北方皇国とて馬鹿ではない。そんな国が無理を通してでもそのVAFを回収しようとしたということは、そのVAFに相当以上の何かがあることになる。そしてそんな代物――オリジネーション・ゼロを、君はこの島に持ち帰った」


 震えが、止まらなかった。


「全てが全て、君のせいとは言わん。現にアヴィリアはこの島を占拠しようと目論んでいて、それを北方皇国がかすめ取ろうとしてる。あくまできっかけの一つでしか無い。

 エドルア島事変における戦闘データを拝見させてもらった。

 振るった力の真価と恐ろしさと高揚感を実感できないほど、君もそこまで愚かじゃあるまい」


 ユーノが言っていたことと同じだ。

 偶然か否かはこの際どうでもいい。

 わかってはいた。わかってはいたんだ。

 だけど、そうならないことを、願って、願い続けて、目を背けてきた。


「オリジネーション・ゼロを徴収したのは、撃発回避の最後の悪あがきだった。結局意味はなかったがね」


 ことり、とコーヒーが注がれた新しいカップが置かれていた。


「今、エリュシオンでは廃棄街蜂起から端を発し、アヴィリア、北方皇国の尖兵、セーフガードとエグザウィルの三つ巴の相を成している。

 アヴィリアはいつの間にか持ち込んだ最新型の多脚戦車を、暴走と称して暴れさせている始末だ。テロの火消しに奔走しているセーフガードでは手に余る。その上、エリュシオン最大の人的財産である技術流派の面々をこの騒ぎに乗じて片っ端から自分の城に拐かし、牽制と人質とした」


 一口。


「君の父である静馬聡明も、知り合いのオーゼ・アリシアもそうだ。彼らは今、アヴィリアの基地内部に軟禁されているから我々を以てしても手が出せない。しかもその連中の大半がエリュシオンを占領しようとしていた国の人間だから話もハナから聞く気がないと来た。

 おそらく、明日になれば『治安出動』と称してエリュシオンを占拠するだろう」


「そんなことが許されるわけ――」


「無いと、思うだろ? だが、アヴィリア本隊としてはこれを機にアヴィリアによる治安出動を正当化しようとしている節がある」


「そんな……」


「あくまでこれは、うちのとても頼りになるアドバイザーの予想に従うのなら、と言う話だ。なにせ事が急すぎた」


 彼は取った駒を弄ぶ。


「アヴィリアと北方皇国が同居している中、下手を打てば、三十年と同じようにこのエリュシオンを巡る戦争時代に逆戻り――第三次楽園戦争が起こるのは想像に難くない」


 アヴィリアは、エリュシオンをアヴィリアと同化させることで、技術依存とそれに伴うコンプレックスを無かった事にし、その利権を独占しようとし、

 対する北方皇国は、オリジネーション・ゼロの奪取のついでにエリュシオンを占領して利益と橋頭堡に。


「今、アヴィリアの艦隊が待機し、戦闘機の爆装も済ませ、揚陸艦も今かと待ちわびている。

『軌道エレベータプラットフォーム「ビフレスト6」の併合プラン』――全く、アヴィリアも面倒な欲をかいてくれたものだ。いざとなれば部隊の暴走であるとしてしっぽ切りすればいいから痛くも痒くもないのだろう。最悪なのは北方皇国も同じ体制に在るということだ」


 玉の駒を将棋盤の真ん中に、次いで歩の駒をその前に置いた。


「正直なところ、限りなく詰みに近い惨状だ。一度アヴィリアが治安出動の令を発したらそこで終わりだ。今のうちにその声を黙らせるにはどうするか?」


 歩の駒をひっくり返し、『と』の駒に。


「口実になりうる要素を全て叩き潰せばいい」


「そんなことが?」


「無いとはいえない。廃棄街の方は沈静化しつつ在る。そして、それを為せるだけの力を君は持っているはずだ」


「対VAF戦に特化した多脚戦車の群れにたった一人で飛び込めと? 無茶だ」


「いや、一機だけでいい。成功するかは不明だが、我々はそれにすがるしか無い。

 実は幸いなことに、駐留軍の下部の穏健派の中に、まだ我々と緊密に連絡を取っている人達がいる。上層部を経由せずな。多くは楽園戦争経験していない彼らは彼らの軽挙に賛同しちゃいなかった。技術流派の面々の安否も彼らから確認した」


 これが意味するところはアヴィリア内部でもまだ意思統一が図られていないということだ


「彼らの支柱は対VAFに特化した多脚戦車だ。セーフガードでもエグザウィルでも何者でもない君が、これの始末を付けさえすれば、連中の動揺を誘える。それで扇動者の始末を黙らせることができなければ、ゲームオーバーだ」


 駒を強引に引き抜いて、再び山が崩れた。


「もし、アヴィリアの暴走を止めることができれば、技師たちの解放がスムーズに進む。聡明たちも保護できるはずだ」


 さっきまで飲んでいたコーヒーはもう空になっていた。


「――今現在。静馬ミィナは、聡明たちと一緒にアヴィリアのいち部隊に拉致されている。しかし、今回の蜂起の首謀者が搭乗しているVAFが、モジュール1でその部隊と接触し、何かをしようとしているらしい。

 そいつは、過去の我々にとって因縁のある人間でも在る」


 ミィナの名前を聞いて、思わず背筋が伸びた。


「さて、静馬エト。今こそ君に問おう。君は何を望む? 何を成したい? 私たちは、それをサポートする体制を調えている。そして君には力がある。

 ――あとは君の意思次第だ」


 ――答えなんて決まっている。


「どれだけ惨く、不条理で、理不尽で、傲慢なことを言っているのか、それがわからないほど、我々は人間をやめてはいないつもりだ。だが、戦争を乗り越え、ようやく平和を手にしたエリュシオンの市民の生活と財産、そしてこれからの日々を守るのが我々の役目で、同時に君の父から代行した役割であると自負している。

 可能であるのなら、私のような老兵でも君の代わりに事を成したい。だが、それはもう許されない。だから、たった一人の少女のために立ち上がった君に、新たなる静馬に頼むことしかできない。

 私達の過去の因縁に、楽園戦争に決着を付けてほしい」


 エドルアの時から変わらない。


 僕は、彼女ミィナを助けたいと思ったから、戦うことを決めたんだ。


「やります。――僕を、オリジネーション・ゼロに乗せてください」


 決意と共に息を吸い込む。


「僕は――静馬家後継で、セーフガードともエグザウィルとも関係ない、ただの静馬エトです」


「……ありがとう」



 ◇ ◇ ◇



 病院から出た先には、一機のトラックが鎮座していて、そこから一つのコンテナが搬出されている。


「エトくん、この番号をスフィアに登録して自動応答状態にしておきなさい」


 老人から手渡されたのは電話番号が書かれた一枚の小さいメモ用紙。


「これは……?」


「我々の優秀なアドバイザーだ。彼……彼女ともいうべきかもわからんが、とにかく彼の手助けがなければ、楽園戦争に勝つこともできなかった――それぐらい優秀なアドバイザーだ」


 登録したことを伝えると、老人はライターでそのメモ用紙に火を付け、捨てた。


「あいにく、誰にも教えられると言うにはあまりにも荷が重い。――では、頼むぞ」


 メモ用紙が燃え尽きたのを確認した老人はそう言って去っていった。


「エト!」


「カズハ、無事だったんだな」


「なんとかね。で、本当にやるんだね? 此処から先は戦場だ。僕個人としてはぜひとも断ってほしかったんだけど」


「でも、これは俺にしかできない。そうだろ」


 圧縮空気とともに、コンテナが展開する。

 そこから、ダークブルーに塗装されたVAFの姿が現れる。


「オリジネーション・ゼロだ」


 前の角ばっていた装甲から、主流である流線型の装甲へと変わっていた。

 以前のマッシブさとは打って変わって、スマートさを感じる姿だった。


 頭部とそれに設けられた黒いバイザーが前の面影を辛うじて残している。


「――ずいぶん変わったじゃないか」


「そらそうさ。なにせこの僕、四宮カズハが近代化改修したんだからね。前のアレとは違うものと思っても良い。でも、君なら乗りこなせるだろ?

 さぁさぁ皆様方、由緒正しき技術流派が一つ、四宮家の真髄をご覧あれ、と。――あ、そうだ。アレに乗る前に、一回これに着替えてこい」


 そう言いながらカズハは平たい箱を突き出してきた。

 箱を開けて中を見ると、パイロットスーツがきれいに畳まれた状態で入っている。



「お前用に調整した、パイロットスーツだ。こいつでお前の身体状態を監視し、あのVAFに管理させる。餞別代わりだ。あのVAFにも改修ついでにちょっとしたおまけを付けてる」


「……ありがとう」


 すこし躊躇して彼は続ける。


「こんな状況で言うのも何だけど、お前――死ぬなよ。政治屋に依頼されたとは言え、お前は道具じゃない。生きて帰ってこいよ。でないとオーゼ先生とお前の親父だけじゃなく、できたての彼女だって悲しむからな」


「わかった。生きて、帰るよ」


「なら、良し。じゃあ行って来い」



 ◇ ◇ ◇



〈――初期起動シークエンス、開始〉


〈フェイズ二十より開始〉


〈結晶体電荷を開始〉


〈プレスタート確認〉


〈始動電圧、臨界点をクリア〉


〈試作型ICリアクター、起動準備〉


〈3、2、1――撃発!〉


〈ICリアクター起動を確認〉


〈戦術支援AI問題なし〉


フレームランナーパイロットのエントリーを確認〉


 暗闇の中、自分の深い呼吸だけが、コックピットを満たす。


〈支援AIの接続ポート解放。接続準備〉


〈パイロットとのスフィア経由接続を開始〉


〈パイロット、最終接続を〉


「接続!」


〈ブレイン・マシン・インターフェースの確立を確認〉


〈結晶体共鳴を検知。拒絶反応は微弱〉


〈全て許容範囲内〉


〈作業員は車内に退避〉


『試作型ICRは正常範囲で稼働中』

『高度演算ユニットチェック――ハード・ソフトウェア共に異常なし』

『ドライバアップデートを開始』

『全システムの最適化を実行』


 ――『最適化、完了』


『上位権限に基づくゴスペルシステムによる演算支援を開始します』


 そして僕は機体に問いかけ――いや、命じる。


 ――さぁ、俺によこせ。お前の、知り得る全てDark Sousを!


 そいつは、応える。

 やれるものなら、使いこなせるものなら、やってみせろ、と。そう、言わんばかりに、自らのストレージに蓄えた膨大な情報を僕の脳に叩きつける。


『Iシステム擬似拡張パッケージは正常に稼働中』


『IVAF-000(以下本機)の現パイロットの権限は非常時条項において仮登録されたもので在る状態です』


『Iシステムを完全駆動させるためには以下の質問に答え、登録を行う必要があります』


『あなたは、「何者」ですか?』


「……――――」


 僕は少し悩んで、そう在りたい、そう在る事を決めたものを語る。


 刹那、視界の端に並んでいた『休止中suspend』の文字が消え、各機能・部位の正常性チェックとその進行度を表すゲージバーへと変化する。


『登録、完了』


『Vanquish and Augmentation the humanly-Frames for IDEA-Systems No.1』


『イデア級VAF 一番機 導星Star Divine


『――瞬いた星の運命さだめは、あなたが望む星と共に――』


『――Iシステムを完全駆動します』


 視界が開き、コックピット側面のハードポイントに設けられたもう一つの餞別――拡張パッケージから粒子化結晶体が爆発的に噴出するが、直後に周囲に拡散せず機体近くに滞留する。


『全粒子の集約並びに滞留を確認』


 構えて――高機動ユニットの接地を確認する。


『滞留装甲の形成を確認』


 力を、込める。


『滞留装甲の粒子拡散率は0.01%を維持』


 ケーブルの接続を解除。


「――行こう……導星」


 高回転するオムニホイールがスキール音と粉塵を撒き散らす。


〈導星、発進!〉


 夜明け前の楽園に瞬いた導きの星は、青年の意志とともに。

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