第二章-8 ただあなたを知りたくて

「――ヒノマってどんな国だったの?」


 実家近くの駅まで走るモノレールの中で、ミィナはそう聞いてきた。


 モノレールの中はクーラーが健気に悲鳴を上げている真っ最中であり、それのお陰で日も沈みかかったというのに蒸し暑かった外と打って変わって、ひんやりしている。


 モノレールに乗るまでは、無を通り越して文字通り融けていた――例えるなら、そう……まるで、株や為替取引の類で有り金全部溶かしたような……そんな顔である――ミィナも、乗るや否や、どこか幼さを感じる目元と口元で、スッキリとした表情へと戻っていた。


 それを見たエトは、ミィナのようなどこか不思議で幼さも残した美人も、ああいう顔をするのだな――と、図らずも妙な関心を抱くと同時に、妙な可笑しさを感じていたのだった。


「生まれも育ちもエリュシオンの俺にそんな事聞くなよ」


 人間という生き物は、大陸に四散していく過程で様々な言語が生まれ、同じように様々な文化が生まれていった。

 住居も例外ではない。


 父こと静馬聡明の生まれ故郷であり、今は亡きヒノマ皇国も例外ではなく伝統な住居の形がある。


 例えば『畳』が敷かれてあることだったりとか、ふすまとか障子だったりとか縁側とか床の間、その素材には漆喰や珪藻土にエトセトラ――ヒノマの国土自体が周囲を海で囲まれた島国そのものであり、また温帯にあると同時に季節風が存在するために四季がハッキリしているために温度と湿度の差が激しい。


 先程述べた、特徴的な素材やモノ、そしてやたら風通しがいい構造はその気候に対応するために確立されたものだそうだ。

 ――尤も、近代化が進むにつれて、西洋式の住居や和洋折衷を体現したようなものに取って代わって行き、それはエトの実家も例外ではなかったそうだが。


 そして、その極東にあった伝統は、同じ島国でこそあるが全く異なる国となったエリュシオンにも引き継がれている。

 ヒノマ出身者が多いからというのもあるが、一番はエリュシオンが赤道近くにあることだろう。


 何故エリュシオンが赤道近くに建造されたのか。一番の理由はこの島のド真ん中モジュール・ワンから伸びている軌道エレベータユグドラシルの存在だ。


 地上側の施設――つまり、今二人が乗っているモノレールを含めた公共交通機関を始めとする施設、全てのモジュールだ――が任意の場所に在り続けるためには宇宙側の構造物――ユグドラシルの場合だと、ダークブルー・ネクサスと呼ばれている宇宙ステーションが一点に在り続ける必要がある――つまり静止軌道上にあることが望ましい。

 そして静止軌道であることが前提となると当然、地上施設の建造場所も赤道かその付近へと絞られる。


 ヒノマの伝統的住居の話に戻そう。


 赤道付近にあるということは、ヒノマ並かそれ以上の温暖気候で有ることと同義だ。

 そんな気候だからエリュシオンにはヒノマ式住居が結構多い――と言いたいところだが、元々ここは『ビフレスト6』という名前で次世代植民都市の先行試作モデルとして建造された過去を持つ。


 早い話が実験場だ。


 今後の人口増加を見越して、量産するに当たって多くのデータが必要になる。軍民間問わず様々な最新技術を投入できるのに、ヒノマ式住居が大半を占めていたのでは意味がない。

 そういう理由もあって、ヒノマ式住居はそんなに多くない――というのが通説である。


「でも静馬という名字と名付け方はヒノマ特有のもの。そうでしょ?」

「俺の父さんがヒノマ生まれだからこういう名前になったってだけさ」


 後ろを振り返ると、軌道エレベータの姿が目に入った。

 一つにつき一五十平方キロメートルと、そこまで広くない数多の浮島メガフロートを連結して作られた人工の大地に立つ、独立の象徴と過去の栄光がそこにあった。


 小さな人工島たちが連結され、拡張されていった末に、雪の結晶のようになったそれは、五六万の人口のほぼ全てを内包している。

 次世代型植民都市のテストベットとしての役割の面目躍如と言わんばかりに、食料生産、廃棄物処理、エネルギーの生産に至るまで――大気以外の全てがその人工島群の中で完結していた。


 先の大析出によって一度は滅びに瀕した人類が、望み求めてやまない理想の安寧社会――即ち楽園がそこにあり、それは事実であると言うことは内外問わず否定しないだろう。


 故に――求めてやまないのがヒトの性であるが故に、この楽園を巡る戦争が起こったのだ。


 だから、エトの父である静馬聡明は英雄になった。



 ◇ ◇ ◇



 ミィナ――もとい、静馬ミィナは全てを知らない。


 彼女は、記憶を失いながらここに来た。そしてこの島に来て数ヶ月以上経ち、エトの実家に居候になって更に経ち、何の支障もなく日常生活を送れるようになった彼女だが、助けてくれた人も、その父のことも、母のことも、その家のこともわからない。


 わからない、知らないからこそ――知りたい。理解したい。

 そして、あわよくば彼のために尽くしたいとも願っている。


 もしかしたらそれは恋と呼ぶべきものなのかもしれないが、その思いがそれであると理解できるほど、彼女は長く生きていなかった。


 また、静馬エトの全てを知らないことと同じように、自分のことを知らない。


 理解したいからこそ、彼女は驚異的とも言える速度で知識を貪り、己の糧としてきた。

 エトと同じモノレールに乗って同じ大学――エリュシオン総合科学大学に行き、一緒に講義を受けに行くようになったのもその成果である。


 エトと一緒に大学に訪れ、研究室に行く度に口笛を吹かれたり、エトがからかわれたりするが多分関係ないだろう。


 そうやって静馬家と共に過ごし、言葉を交わす内にある違和感が浮上した。

 考えすぎとも言えなくもないのだろうが、そう思わずにはいられない――そんな違和感。


 平凡であることを望みながら、実家に作られた道場で武術の鍛錬にシミュレーターでVAFの操縦訓練に励んでいる。


 平凡であることを望みながら、何かに備えている。


 平凡であることを望むのなら、なぜ名を変えないの?


 平凡であることを望むのなら――なんでわたしを助けたの?


 静馬聡明と静馬エトは、静馬であることを英雄であること忌避している。

 しかし、何故忌避しているのかわからないし、聞いたところではぐらかされるなりして答えてくれないだろう。


 だから静馬ミィナは考える。

 だから静馬ミィナは知りたいと願う。


 彼の全てを。


 彼と自分が背負っている静馬の全てを。


 自分自身のすべてを。



 ◇ ◇ ◇



 エトが住むアパートは、ミィナが過ごすエトの実家へ続くモノレール駅の二つほど前の駅にある。だから、最後まで一緒にという訳にはいかない。あったとしても、週末ぐらいだろう。


『緊急メンテナンスのため一部路線を封鎖します』という旨の立体映像ガイダンスを脇目に外に出ると、一人の青年が女性と話しているのが見えた。

 年はエトと同じ二十代ほど。

 中性的な容姿で貴公子然とした青年だった。

 しかし、どこか鉄火場をくぐり抜けてきたかのような、そんな雰囲気をまとっている。


 女性は黒い髪であるぐらいしかわからないが、その青年に何かを渡しているのは辛うじて分かる。そして逃げるように去っていった。


「モテる男は大変だな。――二代目放逐者エグザウィル


「親公認も同然の彼女を持ってる君に言われると、まるで説得力が違うね。――二代目静馬」


 エリュシオンには三つの暴力が存在する。


 エリュシオンの自衛力を補完し、アヴィリア・アコードの威力と暴力を世界に知らしめる『アヴィリア・アコード連合軍 エリュシオン防衛部隊』――AADF。


 自治権確立からエリュシオン島内の治安を管轄し、同時に自衛戦力を担っていた自警団から発展した多目的治安維持機構セーフガード


 そして、セーフガードと双璧を成すもう一つの自警団セーフガードがあった。

 志を同じくしながらも、道を分つことになり、棄てられた街の治安維持に奔走する事になった組織。


 旧名称、フォルティス闘士団。

 現名称、エグザウィル。


 青年の名はユーノ・フォルティス。


 黎明期に私設自警団を立ち上げ、楽園戦争末期まで静馬聡明率いるセーフガードと対立し続けたアルマリア・フォルティスの息子であり、エグザウィルの指揮を父から引き継いだ二代目の頭目であった。

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