第二章-2 生還から始まる楽園生活(内一名を除く)
暗闇に沈んだ市街地にくぐもった砲声が響き渡る。
――右後方約一キロメートル、高層建築物の屋上に1機。さっきの砲撃とスキャニング結果、戦術
ふぅ、と一息。
足元には浮かぶ砂塵。程なくして彼方に去ってゆく。
――危なかった。
敵の位置を表示する
位置がバレたことは向こうもわかっているはずだ。戦術AIの予測があるとは言え、このマッピングも程なくして役に立たなくなるのは確実だろう。
――運が良かった。いや、燻り出すためか。
右に、左に、早く、緩く、不規則にスラローム。それを追うかのようにスナイパー機からの砲弾が次々と路面に突き刺さる。
同時に、視界にピクトグラムが浮かんでは消えていく。
今現在、この機体に接続されている、数多のVAFの戦闘記録が蓄積された集合知たる『ゴスペル』から提供されたVAFの膨大な戦闘データ。そしてパイロットの思考傾向・癖を含めたVAFの動かし方。
VAFに内蔵されている戦術AIがそれらの情報を元に弾き出した予測と最高のパフォーマンスを発揮でき得る動き方が、フィッシュマーケットにずらりと列べられた魚よろしく思考され、そのうち最も最適であろう行動をピクトグラムという形で提示する。
大析出が起きるよりずっとずっと昔、今無き国のとある発明家がこう言った。
――人間は、思考のプロセスの一部、その始まりの始まりである『記憶の想起』。ただそこだけに、九割以上の
そしてまた別の科学者がその主張から一つの結果を導き出した。
――その結果が『〇・二秒のタイムラグ』である、と。
意識・思考の空白、または『自由意志』とも呼ばれるもの。
彼はこの自由意志と呼ばれるものは、知識・経験を想起するのに九割以上のリソースを費やすために〇・二秒のタイムラグが生まれるのだと主張したのだ。
格闘技に限らず、あらゆる戦闘行為は無意識が行ってきた。
如何にして最も効果的なダメージを与えることができるのか――
如何にして最も早い時間で殲滅できるのか――
如何にして最も安全にそれらを行うのか――
これらの思考は、意識的に行うには時間がかかりすぎる。故に訓練なり実践なりで反復してそれらを体に覚え込ませてきた。
即ち、意識的から無意識への委託。
そうやって人間は何も考えなくても最も効果的な対応ができるようになる。
しかし、無意識で対応したとしても『自由意志』という〇・二秒のタイムラグは確実に存在する。
たかが〇・二秒。
されど〇・二秒。
一瞬の判断が生死を分ける戦場は、そのたった〇・二秒すら許してくれない。そして戦場はあらゆる思考を必死に行い、そこから最適な結果を導き出し、即座に行動に移さねば最悪死ぬことになる。
なればこそ、この〇・二秒を可能な限り短縮させ、最適な結果を導き出すために費やさねばならない。
それを突き詰めた結果、誕生したのがこの『TAP』――その一部。
『記憶の想起』というプロセスの省略――つまり、戦後大きく発展した人工知能にホロソフィアというインターフェイスを介してそれを委託したのである。
人間以上の感覚を有する機械であり、同時に人間の動きを、人間が望む動きを、人間以上のパワーとスピードと強度で再現する機械であるVAFにこそ、その役割にふさわしい。
神託のままに、人工知能によって用意された天啓のままに、彼はこれまで積み重ねてきた全てを――とまではいかないまでも――使って舞い踊る。
†
警告を示すピクトグラムが
「やっぱり来たか」
左脚部の駆動ユニットを強制的にロック。右脚の駆動ユニットの出力はそのまま。
左脚を軸にくるりと百八十度回頭。そしてロックを解除し、両脚の進行方向を後方に。
直後、目の前のなにもない空間から
「――なるほど、これが噂に聞く
それは通常状態では電波を吸収するという戦闘機でも用いられるステルス
話は聞いてはいたが、いざ目の当たりに――なにもない空間からVAFがぬうっと出てくるのにはぞっとするものがある。
ただ、弱点がないというわけではなく、高速機動時で使用したときは長時間の使用は困難という点がある。と言うのも、パターン生成のための演算に電力が持っていかれ、やがて追いつかなくなるためだ。元々、歩兵の隠密行動用として開発されたもので、こういう人間の倍以上の速度で縦横無尽に動き回るVAFでの使用は想定されていなかっためだそうだ。
もう一つの弱点は重量や摩擦音は消せないということ。
高機動ユニットをはじめとして各部位に用いられるモータの駆動音そのものに関しては、超伝導モータが採用されているため、その駆動音は限りなく無音に近い。
しかしどれだけ静音化させていても
聴覚感度を正常値にリセット。
右腕の突撃銃を一番近くの敵機に向け、三点バーストで数度に分け発砲する。
それを回避する敵機。
牽制目的での発砲だったので、当たることは大して期待していない。少しでも足止めできれば十分だ。
強引に真横にスライドして横道に飛び込む。
目の前には――
〈馬鹿、そこは行き止まりよ!〉
ヒステリックな声を上げるオペレーターの声は無視。
高速で横進しながら、両腕部に内蔵されているワイヤーアンカー――使用したのは左腕部のものだ――を目の前にある建物の屋上付近に向け射出。ワイヤーの先端につけられているアンカーがしっかりと壁に食い込んだことを確認すると同時に地面を蹴り、その勢いでワイヤーを巻き上げ――宙を舞う。
一気に開ける視界。
人工のものとはいえ、夜明けがとても綺麗に感じた。
†
――エリュシオン モジュール9。産業特区。
――海中。
――多目的実験場。
そこは、アヴァロンズ・クラウンを始めとする数多の企業が利用する実験場であり、エトを始めとする一般市民には全く縁のないどころか、機密を扱う関係上許可されない限り入ることすら許されない場所である。
では、なぜその一般市民でしかないエトがそんなところにいるのか。
それは帰還直後に遡る――
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