第二章 楽園をめぐる父たちの戦争。あるいは、 ――第三次楽園戦争

プロローグ やがて父となる青年の独白

〈――負荷限界値に到達しました。TAPによる思考加速状態を強制終了します〉


 何度聞いたかわからないそんな音声と共に世界の速度が速まっていく。

 コンピュータの支援と共に真空空間の中を突っ走っていた意識が現実へと引き上げられる。


 シンクミッション・アクセラレーション・プロセス。


 高度化した人工知能AIによる、人間ユーザーの思考プロセスの一部の代行と、戦後大きく普及した脳内インプラントデバイス『ホロソフィア』の思考クロック仮想周波数のブースト。これらによってユーザーの意識は可能な限り、リソースが許す限り加速される。

 その加速倍率は最大で六千倍程。

 その倍率に伴って、機体本体の速度も加速される。VAFという身体があってこそ成されるものであった。


 この機能は昔からあったかと言われればそうではない。

 国家連合体が破綻する直接的なきっかけとなった大析出から端を発し、長く続いたエリュシオンに対する不特定多数の国々による侵攻に対する防衛戦――俗に言う『楽園戦争』である――がようやく終結した後、新たに配備されたこの機体に搭載されたものであった。


 この機能システムに何の代償も、負担もないわけではない。

 痛む頭、しきりに酸素を欲する肺、異常なほど上昇した体温――今彼の身体に起こっていた異常すべてがそれを物語っている。


〈――警告します、TAPの長時間の連続使用は危険です〉


「うるさいな……んなもんわかってるよ」


 VAFのコックピット内で自らの意識を加速していたパイロット――静馬聡明しずまそうめいは、しばし荒い呼吸を繰り返し、加速による負担――誰が言ったか加速酔い――で痛む頭を持ち上げる。

 その視界の先には、先程の戦闘でボロボロになった建築物群と、数多の薬莢と冷却する間もない連続使用で、銃身バレルが焼き付いて使い物にならなくなったVAF用の突撃銃アサルトライフルが、その奥には大破してその機能を停止したVAFがその身を横たえていた。


「――システム、チェック」


 VAFという人型機動兵器には、皆共通して外見的な特徴がある。

 胸部から背部にかけて突き出ているコックピットユニットの存在である。

 補足になるが、VAFのコックピットユニットは『搭載』されているものと言う扱いを受けている。おかしな説明かもしれない。この手の機械に操縦席はあって当然のもの。なのに何故わざわざ『搭載』と言ったり、コックピット『ユニット』と呼ぶ必要があるのか。


 その答えはそのVAFの奥で無様に転がっていた。


〈大半の部位に異常を検知、または反応が途絶しています。これ以上の戦闘継続は危険です。速やかな撤退を推奨します。繰り返します。これ以上の戦闘行為の継続は危険です〉


 同時に視界の隅で異常箇所の一覧がリストアップされる。

 

 ――それが表示されると同時に、奥で転がっていたコックピットユニットのハッチが吹き飛んだ。


 新たに配備されたVAFに搭載された新機能は何もTAPだけではない。

 パイロットの保護並びにコンピュータユニットと動力部の確保を最優先とし、かつそれを確実なものとするためにモジュール化したコックピットユニットと脱出機構の一体化。


 戦後に脱出機構の強化というのも、今更で尚且つおかしな話かもしれないが、如何せん最近まで戦時下にあったものだから仕方ない。


 ともあれ、そのコックピットユニットから一人の男――いや、同い年の青年が這い出てくる。

 身体機能を向上させる事のみを目的とし、人が着込むことを前提とした、シンプルな外見の強化外骨格パワード・スキンで身を包み、そして血まみれだった。


 彼は、戦友だった。この島エリュシオンに来てから初めてとも言ってもいい友人でもあった。


 聡明は右手に持っていた槍を手放して、副兵装サブウェポンのハンドガンに切り替える。

 VAFの装甲すら撃ち抜くことすら難しい威力だが、人体をミンチに加工することは簡単だった。

 戦争を共に駆け抜け、彼を支え続け、使い慣れた槍ならもっと簡単だったかもしれないが、銃の大きな利点である『簡素化』に彼は縋らざるを得なかった。


 かつての友を殺すという事実に改めて向き合うことと、殺意と、罪悪感……銃火器はこれらすべてを簡素に――引き金を引くだけで済ませてくれる。こうでもしないと自分はあいつを殺せないと、仮にできても自分の精神が持たないという確信があった故に、彼はずっと自分を支え続けてきたその槍を捨てた。


 ――構える。


「……なんで、なんでなんだ。戦争は終わったんだぞ。もう誰も死ななくても良くなったんだぞ。それなのに……」


 VAFは限りなく人体に近いと言えど、どこまで行っても所詮は機械であり、同時に人間の道具であることには変わりない。

 それはパイロットの意思のままに武器を構え、されどどれだけ震えようとも決してそれを反映することはなく、その照準を保ち続ける。そして『引き金を引け』というただ一つの命令を待ち続ける。

 意思を伴うその時を、その瞬間を、ひたすらに、ただひたすらに待ち続ける。


 これまでの出来事を振り返った聡明は血を吐くように叫ぶ。


「――それなのに、何故!」


 彼は答えない。

 それに対し、答えを急かすようにVAFの歩みを進ませる。


「お前が起こしたこの内戦で、死ななくて良くなった人が大勢死んだ! 今だってそうだ!」


 聡明の叫びに応ずるかのように、銃声と爆音が楽園エリュシオンで響き渡る。

 この内戦を起こした彼を殺せば、壊滅状態の抵抗勢力の息の根を完全に止められる。


 それでも彼は何故、と問わずにはいられなかった。


 そいつはまだ笑ってこっちを見ている。

 一歩、歩みを進めた。


「この一年間、俺達は世界を相手に戦ってきた。みんなを守るためだった。いや、俺もお前も大事なものを守りたいが故に戦ってきた。そうだろう?」


 去年起きた『大析出ブロウ・アウト』。

 その日を境に全てが変わった。そしてエリュシオンは不特定多数の国々からの標的となり、侵攻を受けた。


 どの国も理由は皆共通して、自国の『利益』のためだった。


 エリュシオンと違い、大析出の被害を諸に引っ被った彼らの決意をどうして責められようか。


 そして戦争の真の引き金を引いたのは聡明であると二人共知っていた。


 彼はまだ嘲笑わらっている。


「何故だ!」


 聡明はハンドガンの引き金を引いた。

 ロックオンせずに撃ったため、弾道は大きく外れ、離れた場所に着弾した。


「何故だっ!」


 もう一発。

 やはり外れた。


 一歩ずつ近づきながら撃ち続ける。

 そして、目と鼻の距離に行き着いた。


『ここまで来たんだ。今度は外すんじゃないぞ』と言わんばかりに、自らの額を中指でトントンと叩く。


 ――夢であってほしかった。

 ――悪い夢であってほしかった。


 友人が蜂起したことも、このエリュシオンが再び戦火にさらされたことも、不特定多数の国々から攻め込まれたことも、そもそも『大析出』が起きたことも、過去と決別しきれなかったことも、そして――『英雄』となってしまったことも。


『英雄』という望まぬ諸号が、望まぬ期待が、望まぬ重荷が、皆聡明に撃て、そいつは決して生かしてはいけない、と無言で迫る。


 ――ロックオン。


 引き金はこれまで何度も引いてきた。


 同じ数だけ自らの意思で槍を振るってきた。


 一帯を埋め尽くす自律型無人兵器の群れ、密かに潜り込んできた工作員や特殊部隊、そしてその連中が駆るVAFもどきにエトセトラ――

 何の感慨もなく引いてきた。しかし、この瞬間ほど引き金が重いと感じたことはなかった。


 程なくして、銃声が楽園をこだまする。

 それから数時間、彼は通信のチャンネルを閉じ続けていた。


 楽園の夜は、未だ明けず――

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